デジカメ農作業日記 (2011年06月)

2011/06/30

 梅雨入りしたものの、連日30度を超す晴天が続く。 普通大豆の あやこがね の播種作業は 順調に終わり、小粒大豆の種まきを始めようとしたら、思いがけず雨が降り出す。

 今年の梅雨は、空梅雨のようだ。 稲は、順調に生育いている。


2011/06/25

 講演で上京し次の日17日に、残っていた麦刈を終わらせる。 天気に恵まれ9ヘクタールの麦刈作業が順調に終わる。 早速、二毛作の大豆の播種作業。

 耕起作業・元肥散布など種まき準備は、忙しい。 朝 明るくなるのを待って畑へ、今の時期は一年で一番 日が長い時期。 夜 8時頃まで仕事が出来るからありがたい。

 6月21日に 今年の梅雨入り宣言がでる。 22日は、最高気温が32度を越える 真夏日の暑さ。 必死に種まき作業を続け、 普通大豆の 「あやこがね」の種まき6ヘクタール を無事におわる。

 残りは 小粒大豆 「すずほのか」の種まき3ヘクタールを残すのみ。 すずほのか の播種適期は7月10日頃まであるので 後はお天道様のご機嫌を見ながら 作業が出来る。 23日には、各地で大雨が降りだす。 本格的な梅雨空がはじまった。 予報では向こう一週間は雨マーク。


2011/06/19

 角田市消防団6分団幹部会議 地元の自治センターで 消防団幹部会議。 先日行われた 角田市の幹部会議で決定した、7月3日の水防訓練等について 協議する。 今回の震災で 県内の多くの消防団員も犠牲になった。 国の方でも、消防団の献身的な行動度と活動に対し その存在意義をあらたにしたという ニュースがあった。 消防団は、組織的に幹部の号令ひとつで動く 民間組織として唯一つの組織だ。 会合も、礼に始まり礼で終わる。


2011/06/16

 昨日の午後3時過ぎまでまで 麦刈をやる。 急いで新幹線の時刻を調べ、身支度し新幹線に乗る。 夜9時前に ホテルに着く事が出来た。
 事務局のはからいで、前日に講演会会場のホテルを確保いただく。
 池袋駅の目の前、メトロポリタンホテル。 なかなか立派なホテル。


 毎日メトロポリタンアカデミーは1988年より毎月一回、ホテルメトロポリタンにおいて、各界第一線で活躍中の方を講師にして、さまざまなテーマで講演会開催している。法人会員を中心に、毎回40人から50人が集まる勉強会。 今回で235回。過去の講師陣のリストを見てビックり。

 それこそ、あらゆる分野の超一流の講師の方々。 自分が聞きたいと思う、講師陣。 今まで 農業関係者はなし。 今回が、初めてだという。毎日新聞の 事業部長さん の お誘いをいただきなんとも光栄なこと。 11時30分から75分講演してその後質疑応答。 会食会。  話題だけは、一応 忙しい百姓仕事の合間をみて それなりに用意したので あとは、時間の調整。 そんなに講演会等したことがないので、時間の調整がどうなるか ぶっつけ本番。   用意した話題の 三分の一が残ってしまったが、もう少し時間が欲しかったが、なんとな、無事に終わることができた。  飛びまらる程の 忙しい日々。 俺の仕事は、田んぼに出てナンボの世界、 これだけは常に頭に叩き込んでいる。 合間をぬって、情報発信。  毎日新聞の部長さんには、いい経験をさせていただいた。 感謝している。 帰りの新幹線の中では、さすがにぐったり。 疲れた。 明日から、また麦刈。そして 大豆簿種まきだ。いそがねば。


2011/06/13

 麦刈を始める。 出穂が例年よりも 一週間程 遅れたが 気温の高い日が続いたため収穫時期は予想より早い。

 会議が重なったが、やりくりして刈り取り作業をはじめる。 放射能の心配は あるが。心配してもショウガナイ。

 日々の仕事を確実に進めるだけだ。 季節は、待ってはくれない。 いい天気が続き、順調に麦刈作業を進める。

 16日は、東京で講演する予定。 15日夕方の新幹線で上京する予定。ギリギリまで麦刈作業をする。


2011/06/09

 すがすがしい初夏の景色がひろがる。  気分のいい季節になった。 季節は 麦秋。

 きれいな季節になった。

 6月に入って 初夏の陽気が続いている。 最高気温も30度近くまで上昇。

 大麦畑が黄色に、輝いてきた。 予想よりも早く、麦刈が出来そうだ。

 それでも、いつもとどこか違う。 福島原発の 放射能が気になっている。

 本当に 一刻も早く事故処理をして欲しい。 お茶飲み話でも、放射能の風評害を心配する声が 普通に聞かれるようになった。

 口には 出さないが 皆が心配しているのだ。

 12日は、仙台市の二瓶さんご夫妻の 告別式。
祭壇には、ご夫妻の御遺影が 仲良く飾られていた。
3月11日の 大震災の大津波に遭遇し 数日後 無念にも車の中でご夫妻そろって御遺体で発見されたという。 なんとも痛ましい。。


 斎場を後にする際 線香をあげ二瓶さん御遺影を 見たとき「よ!面川と声かけられた感じがした」
二瓶さんとは4Hクラブ時代 いまから37年前から何かとお世話になった。 お互い言いたいことを言い合った仲だ。
これからの日本農業の在り方を、盛んに議論した仲だった。 3人のお子さんに恵まれ、上二人のお子さんは、すでに独立し末息子さんが大学3年だという。 これからが、いろんな面で楽しみにしていた矢先だった。 それが、こんなことになってしまった。
無念だったろう。
合掌。


2011/06/07

 今年も カブトエビが田んぼで活動を始めた。

 昨年 見つからなかった田んぼでも見かけるようになった。 世の中 放射能害で騒いでいるが、自然界では明日に向かって確実にしかも必死に。

 生き物達がいきている。 人間様は 逃げることは可能だが彼らは、生まれ育った土地で 生きていくしかない。。


2011/06/05

 方々の集落で 早朝から共同の草刈り作業の姿をみかける。

  

  

 6月6日は、旧暦の端午の節句。

 いつものように、菖蒲とヨモギを取ってきて、母屋や納屋などの軒先に飾る。  夜は、菖蒲湯に入る。

 最近は、この風習をやる家は、ほとんど見かけなくなった。 それでも、我が家は我が家。

 この習わしは、いつまでも続ける。 それが、稲作で生き続ける我が家の、象徴だ。

 今年は、大震災の事もあり、例年よりも時間をかけて準備をする。

 この習わしは、いつまでも続ける。

 それが、稲作で生き続ける我が家の、象徴だ。 今年は、大震災の事もあり、例年よりも時間をかけて準備をする。

 朝早くから、方々で草刈り作業の共同作業が見られた。

 きれいな田舎の田んぼ風景も、そこで暮らし続け人がいるからこそ 維持されるのだ。


2011/06/03

 風薫る季節の到来だ。 麦畑も 黄色に色づき始める。 5月30日にかけて大雨となったが、被害は殆どなかった。 一年で 最もきれいな季節の到来だ。 季節は、人間様の都合度は関係なく、例年のとおり廻ってくる。 あたり景色は、いつも通りだが、今年は福島原発事故の放射能がまんべんなく 降ってきた。 そう思うと、頭にくる。 3月11日以前の放射能のない 田舎の風景を返してほしい。

 銭金の問題だはない! そんな思いの 落ち着かない日々が続く。 いま必要なのは、腹をくくって 目標を定め生き抜く決意を示すこと。 日本の 国会は何してるんだ! いかなる結論になろうとも、その道筋が見えると思ったが、最悪の結末。  それにしても、国会議員たるもの、小利口な連中の集まりになったものだ。

 権力にそんなに未練があるのか。
 またもや、辞めるの辞めないのと ごたごたが続く。
東北を そんなに馬鹿にするな! 一刻も早く 予算執行し被災地に 多くの金を回してほしい。
そうしないと、未来に向けての気力・活力が萎えてしまう。 震災後 もはや3ヵ月が 経とうとしている。


 まだ、ガレキノ山はそのままだ。
 信頼できない リーダーを選んでしまったツケは  あまりにも大きすぎる。 いい加減にして欲しい。