NO,207  田んぼ通信 平成23・12・15

 今年も残すところ半月余り。今年もお米を通して、この一年お付き合いをいただき心から感謝いたします。  本当にありがとうございました。
食べていただく皆様があってこそ、お米作りが続けられます。 この秋ほど、買い支えていただいているお一人お一人の皆さまの顔を思い浮かべた事はありません。
今年は、たくさんのことがありました。
3月11日の東日本大震災、秋の台風15号の直撃、そして今なお続く福島原発事故による放射能汚染の脅威。  百姓仕事は、常に自然相手。自然の猛威に対しては、素直に向き合えます。日々の農作業の中で否が応でも自然の力を実感させられますし、自然の営みを無視して農業は成り立たちません。全ての現実を受け入れ、そのうえで明日に向かって種をまき続ける。それが百姓仕事です。 自然から逃げ出しては、百姓は成り立ちません。
「百姓の来年」と言う言葉があります。 たとえ冷害や台風災害等に遭って収穫皆無の秋であっても「来年こそは」という新たな決意のもとに新しい春を迎える。その積み重ねが、百姓仕事だと信じます。 
ところで、人間の欲望の塊と共に育ってきた原子力発電。その原発事故の放射能で数百万人の人が、その脅威に怯えている現実があります。原発事故は、明らかに人災です。
天災ではありません。自然災害とは違って、悔いが残ります。悔いが残る分、素直に受け入れがたいところがあります。 しかし、これも現実です。 批判を恐れずに言います。
多少の放射能物質を食べながらでも生き続ける覚悟が求められている時代なのだと。
所詮、人間の力など些細なもの。その人間がコントロールできないエネルギーに未来を託そうとしてきた現実。人の欲望が原発を育ててきたとすれば、その功罪も素直に受け入れるべきです。  その覚悟なくして明日は語れません。 いま、日本人は、福島原発で大きな過ちを犯したばかりだというのに、 新たな人災を起そうとしています。 それは、「風評害」と言う人災です。 生産現場では、この得体のしれない新たな脅威に怯える日々が続いています。 あと半月も過ぎれば、新しい年を迎えるというのに「百姓の来年」と素直に思えない現実もあります。 多くの仲間は福島原発事故による放射能の風評害の脅威さらされ続けています。 放射能に関しては、「安全値」はないという考え方があります。 この主張には、大いに疑問を感じています。  私達生産者に求められているのは、国の言う暫定基準値500ベクレルという数字ではありません。放射能測定値がゼロか不検出か。その二者択一を迫られています。 国は、その暫定基準値の見直し作業をしていますが、たとえその値が100ベクレル以下の数字に設定したとしても、風評害がなくなるか疑問です。 放射能安全基準値をあらたに設けるのであれば、基準値以下の食品は国が全面的に保証するという事も同時に宣言すべきです。今の状態は、誰もが責任をもって安全だと言いきらない事が多くの混乱を招いています。 確かに、放射能の人体に対する影響は分からない事が多すぎます。 しかし、少しでも不安があるならば栽培を止めろ!では農業の存続はありえません。人災ともいえる戦後農政の失敗による農業構造の脆弱なところに、TPP貿易問題。そして追い打ちをかける放射能の風評害。このまま風評害が続けば福島県および宮城県・岩手県の農業は壊滅してしまうでしょう。 また、放射能害を心配するあまり、春以来農作物の栽培を休んでいる農家がいると聞きます。その判断に関しては、口をはさむつもりはございません。 私は、来年も自信を持って田んぼに稲を植え、畑に大豆や麦を作り続けます。それが、私の仕事だからです。唯それだけです。大震災を境に、あらゆる分野でこれまでの生き方が大きく変わろうとしています。 どんな時代になっても 人は農作物を食べながら生き続けていく。 土の力を信じ気持ちを奮い立たせ新年に向かいます。
    それでは皆様、良いお年をお迎えください。


NO,206  田んぼ通信 平成23・11・17

 今月に入り、穏やかな小春日和の日々が続いています。初冬と言うのに本格的な霜は降っていません。 今年は、稲刈りが終わりホットする間もなく忙しい日々が続きました。 二毛作の大豆の収穫作業その直後の大麦の播種作業。それに、宮城県議会議員選挙。
大豆は、大豊作でした。天候にも恵まれ刈り取り作業も順調に進み、その後の大麦の播種作業も予定通り終わり発芽も良好で麦畑の緑がいっそう輝いてみえます。 県議会議員選挙の告示日は4日でした。それまで、予定していた大麦の播種作業は全て完了。全力投球で、県議選を戦いました。 今回の県議選、本来ならば春の統一地方選挙で4月に行われる予定でした。それが3月の東日本大震災の影響で延期され、しかも宮城県議会議員定数削減条例が10月から施行され、定数が二議席から一議席に削減。 我が選挙区は、角田市と隣町の丸森町の二つの町にまたがる伊具盆地です。角田市から現政権の民主党から有力な新人候補、隣の丸森町から自民党公認4期目を目指す古老現役候補。そして3期目を目指す自民系無所属の我が親友の三候補による 三つ巴の激しい選挙。一気に激戦区になりました。 選挙活動は、百姓をはじめた当初から趣味的範囲で関わってきました。
あれから30数年、県議会議員選挙を中心に国政や市長選挙等を楽しんできました。 この間、負け戦も経験。負け組の悲哀も体験し、正しく選挙は体裁のいい戦争です。選挙戦の答えはただ一つ。勝つことだけ。 選挙活動は、政党に頼る選挙は好みません。自身の生き方も、組織等に依存する生き方を好みませんし、組織や選挙はあくまでも自分の考えを実現する一つの手段にすぎないと考えています。あくまでも、候補者並びにその強力な支持者に共感した時にだけ関わってきました。 今回の選挙を通して、選挙活動は大切な地域づくりの根幹なのだとの思いをあらたにする日々でした。 8年前、当時の大物自民党県議を破って初当選した経緯から革新系の人達との交流がありました。しかし、前みやぎ県知事・浅野史郎さんが宮城を去ってからは、自民系列の県議として活動することを助言し今回は無所属自民推薦という立場の戦いです。 当初、4月の統一地方選挙を想定し定数2議席を前提とした戦いでした。それが、大震災の影響で選挙は延期。しかも、10月から宮城県議会議員定数削減条例施行で定数が二議席から1議席へ。 また、知り合いだった民主党公認・新人候補者が、我々に きちんとした挨拶もなく突然立候補した事に対する百姓としての意地とプライドがあります。 今回の戦いは、なにがなんでも負けられない選挙。 参謀役として、4日の告示から投票日までの10日間は、24時間、県議選に全力投球という覚悟を決めて臨んだ選挙戦でした。 今回の選挙、これまでの30年にわたる時代の流れを実感する日々でもありました。 この間、市内を二分する戦いを経験し、今回まさか、相手先生の参謀役を務めた市会議員さんや前回戦った自民党公認の市会議員さんと一緒に選対本部を組むことになるとは。混沌とした今の時代を痛感しながらの選挙戦でした。 選挙になると選挙の神様なるギャラリーが、突然あらわれます。普段は、あまり当てにはしませんが、今回は大いに活用させていただきました。 選挙後半の予想は、地元新聞社も含めて全て我が陣営、不利な情報ばかり。しかし、負けるわけがないという自信は最後まで揺らぎませんでした。 結果は、勝たせていただきました。 それにしても、民主党さま、田舎選挙に現職安住財務大臣まで駆けつけ負けてしまって大丈夫なのですかね。 こんなことで国際交渉出来るのですか。 それにしても 角田・丸森に住む多くの、支持していただいた皆さまに感謝です。「支持していただいく皆様お一人お一人が選対本部長!」 その合言葉が、わが陣営の最大の戦略であり、支持して下さった皆様が選対本部長として活動できる環境整備が私の役目。  本当にありがとうございました。    投票が終わった翌日から、即、本来の百姓仕事にもどりました。 
小春日和の下、来年の美味しいお米作り向け気分爽快 田んぼ仕事をしています。


NO,205  田んぼ通信 平成23・10・15

 8日 今年の稲刈りが無事に終わりました。
先月8日、放射能検査のための試験刈りをはじめてから一カ月が経ちます。 台風15号の影響もあり例年よりも作業期間が長くかかりましたが、それ以上に長く感じた今年の稲刈りでした。 今年の稲刈りは、コンバイン(稲刈り機械)のトラブルにもありました。我が家のコンバインは、購入してから12年が経ちます。収穫作業は、お天気勝負。しかも 適期作業は品種ごとに数日間と限られています。 収穫作業が始まれば、少しの時間を惜しんでの農作業が続きます。 そこで、一番こわいのがコンバインのトラブルです。それを未然に防ぐために機械の整備は入念に行います。整備そのものは、殆ど自分でおこなっています。 10年を過ぎてからは、特に時間と部品交換を惜しまず整備をしてきました。 来春、長男が卒業して一緒に百姓をする事になりましたのでそれを機会に、そろそろ新しいコンバインにしようとの思いがあります。 しかし、今年は全く予定がありませんでした。 しかし、思わぬ重大トラブル発生。 コンバインを動かす油圧モーター及びミッショントラブルです。多少のお金をかけても整備をすることにしましたが、稲刈り作業はまだ7割以上残っています。 新車を購入するという手段もありますが、一千万円もする機械を即、購入という事にはいきません。資金計画もありますし、この先、お米を取り巻く環境は、TPP問題も含めたいへん厳しいものがあります。簡単に、早く新しいコンバインを持ってこい。等と威勢のいい事をいえる状態ではありません。 農機具店の好意で中古コンバインを手配してもらい、また先輩の稲刈り刈り応援もいただき無事に作業を終えることが出来ました。 また、先月21日に上陸した台風15号は、角田にも大雨をもたらしました。総雨量が293ミリ。特に、午後9時からの時間雨量が79ミリという物凄い雨が降りました。角田市は、阿武隈川の下流域低地に広がる水田地帯です。 藩政時代から洪水との闘いの歴史でもあります。私の村に、東北最大、全国でも指折りの国営江尻排水機場が存在するということは、今でも水との闘いが続いていることを物語っているといえます。 今回は、特に3月の東日本大震災によって阿武隈川の堤防が大きく損傷したことから堤防決壊の危険性が高く一時、警戒水位に達したことから緊張する場面もありました。 幸い、田んぼが一部冠水したものの大きな被害もなく、またその後、一気に気温が下がり晴天が続いたことから穂発芽等の品質低下もなく稲刈り作業を終えることが出来ました。 先ずは、一安心です。それにしても、春先以来、あまりにもたくさんのことがありすぎます。 無事にお米が収穫できただけでも全ての神様に感謝です。
 ところで、福島原発事故による放射能汚染による風評害の脅威は、いまだに収束の目途がたちません。それどころか、拡大するのではないかという不安の日々が続いています。
牛を飼っている仲間は、行政機関による安全宣言が出たものの、放射能汚染の長期化の脅威から経営断念を決断する時期が来るかもしれないといいます。 前回の通信でも報告しましたが、我が家の田んぼは、宮城県による放射能検査の結果 「不検出」という結果をいただきましたが、 それでも放射能に対する不安をいだく人が少なからずいるという現実。 放射能に関しては、明らかな安心値はない。つまり、何処までも放射能物質はゼロなければ安心できないという消費者の皆さんの要望にどう答えたらいいのか。東京も含めて東日本一帯に飛散した放射能物質。また、過去の核実験や原発事故による世界規模の放射能汚染の中で世界中の人が生き続けているという現実。人は食物を食べてこそ、命が続くもの。人は、特別の生命体ではなくその地域に生き続ける、微生物も含めた全ての生命体の循環の一部として存在しているにすぎない。その生命循環に適合できなければ、その生命の未来はないでしょう。それだからこそ、居住地の気候風土で育った食べ物を食することが最も適していると信じています。 たとえ 多少の不合理があったとしても。


NO,204  田んぼ通信 平成23・9・11

 角田市の米は、二回の放射能検査の結果 「不検出」 でした。
 9月11日 今日昼に電話をいただく。 石巻市の蛇田小学校体育館で避難所生活をしている支倉さんからだ。  新米が届いたというお礼の電話だ。 数年前NHKラジオ深夜便で2年間に亘り、日本列島暮らしの便りのレポーターをしていたのが縁で今でもお付き合いをさせていただいている。 支倉さんには、初回の放送からレポートが終わると必ず電話で感想をいただいた。定年退職後 石巻市内で一人暮らしをしている。 3月11日の東日本大震災から一週間あまり過ぎた頃だったろうか、石巻市の被災地現場から青年とお婆さんが奇跡的に救助されたというニュースが飛び込んできた。 その時 ふと思いだしたのが支倉さんのことだ。たしか、石巻だったはず。 携帯電話に残っていた、支倉さんの携帯電話に恐る恐る電話をしたことを覚えている。 電話が通じた。 自宅は津波で住める状態ではない。蛇田小学校体育館に避難しているという。 不安そうな声だ。今すぐにも飛んでいきたいという衝動に駆りたてられた。しかし、石巻まで行くガソリンがない。 近いうちに必ず会いに行くと言ったもののなかなか行けない。時間だけが過ぎていく。再会するまで、毎日欠かさず電話をするのが精一杯だった。結局、お見舞いに伺ったのは田植え作業が終わった、5月中旬だった。 震災後あわただしく時間だけが過ぎ 震災から2カ月が経っていた。 なにも出来ない自分が、情けなく思ったものだ。せめて、新米が出来たら一番先に新米を食べてもらいたい。その思いを胸に秘め田んぼに通った。 そして、今日9月11日。無事に新米を届けることができた。大震災から丁度半年が過ぎた。 震災直後から春の農作業が忙しくなり、種をまいた稲が見事にお米になった。 震災から半年が経つというのに、いまだに蛇田小学校体育館で30名を越える人が避難生活をしているという。避難所生活をしている人が新米を食べ少しでも元気になってほしいものだ。  ところで、今年も無事 新米を届けすることが出来ました。格別の思いがこもった新米です。 9月7日 角田市内13か所で 放射能本検査にむけた稲刈りが始まりました。我が家でも、角田市より稲刈りを依頼され 少し早目の稲刈りをしました。 福島原発事故による放射能汚染が心配されています。 8月26日には 予備調査として市内の数か所の田んぼの放射能検査が行われました。 その結果は、放射能は不検出でした。それをうけ 実際に稲を刈り取り本格的な調査が行われます。 調査結果がでるまで、出荷自粛要請が農水省から通達がありました。市内の農家は、その調査結果を固唾を呑んで待っています。 これまで経験したことのない 大きな責任を感じての稲刈りでした。一昨日の朝 、籾すり終わったばかりの玄米を担当職員がとりにきて仙台の検査機関に届けました。 宮城県庁をはじめ 関係機関は土日返上で放射能検査にあたると聞いています。 昨日、昼過ぎ県庁職員から 角田市内の13か所全ての田んぼから 放射能は「不検出」だったという報告を受けました。 昨夜のテレビニュースで、県内初めて角田市の米出荷自粛要請が解除されたと報じられました。 これで、安心してお米を届けること出来ます。  本当に安心しました。 田んぼの神様、そして全ての 関係機関の皆様に感謝です。3月11日の大震災の影響で 県内でも多くの田んぼで稲が作れませんでした。 春になれば、田んぼに稲を植える。 この当たり前の事が、多くの田んぼで出来ませんでした。 多くの稲作農家の悔しい思いを胸に秘め、今年の稲作がはじまりました。いままでになく、肥料等を吟味し真面目に田んぼに通いました。 早速 新米を炊き神棚に供え 家族で感謝しました。炊きあがったばかりの 新米をいただきました。 今年の米は 凄く美味いです。自信を持ってお届け出来ると確信しました。いろんな想いが たくさん詰まった今年のお米を楽しんで食べてください。放射能という見えない敵に負けることなく、お米を食べるという行為を通して、共に未来を語り生きていけたら嬉しいです。


NO,203  田んぼ通信 平成23・8・20

 残暑お見舞い申し上げます。今年はカラ梅雨で天候にも恵まれ、稲の生育は極めて順調。7月21日には、走り穂が見えました。 この調子では、7月末には 殆どの田んぼで稲穂が出揃うのでは期待しました。しかし、20日の台風通過後、これまでの暑さは一変。21日の朝には、最低気温が14度まで急降下。それ以来、8月4日まで気温も低く梅雨を思わせる天気が続きました。 真夏のお日様が戻って来たのは、今月の5日。 今度は、毎日が真夏日。 角田も、猛暑の中でお盆を過ごしました。この暑さで、予想よりも出穂が遅れたものの、無事に出穂開花を終え、日増しに稲穂が重く垂れてきました。  さて、今年も18日から21日まで、3泊4日の日程で、あぶくま農学校「土の塾」が開かれています。 角田の農家にホームスティーしながら農業現場を体験してもらう塾です。今年で11回を迎えました。例年、東京農業大学の留学生を中心に10名前後の参加者で実施してきました。今年の参加者は、3名。  福島原発事故による放射能の影響で留学生の参加はゼロ。  留学生本人は、参加希望者がいたものの、母国の両親の許可がもらえず、参加を見送ったというのです。  そういえば、ここ数年実施してきた、東北JICA主催の海外青年研修の受け入れも事業(今年は、ベトナムからの研修生)も体裁よく断られました。 放射能の影響がこんなところまであるのかと思うと愕然とします。
 お盆が過ぎると稲刈り準備がはじまります。 収穫の秋です。一年の苦労が実る時期です。 喜びの季節でもあります。 しかし、今年は 違います。 いま、村全体が重苦しい雰囲気が漂っています。  今月末から実施される米の放射能の検査の結果を 固唾をのんで見守っています。 放射能汚染ワラに起因する、牛肉放射能汚染事故いらい、米の放射能汚染を心配する声が日増しに高まっています。 新米の放射能汚染を心配するあまり、昨年の22年産米を買い求める動きまででてきました。我が家にも、米の在庫を聞いてくるお客さんがいます。 そのようなお客さんに対しては、「放射能を心配するのは分かるが、これまでの麦の放射能データーや放射能物質の飛散データー等から推測すれば 健康を害する放射能が新米から検出されることは考えられない。 来月中旬には 美味しい米が食べられるので在庫を持つ必要はない」とはっきり答えています。
今月末には、予備調査として田んぼからサンプル米を取り出し、放射能の測定が始まります。その後 9月5日頃に本格的に米を収穫し、再び放射能を測定し安全確認されたお米だけを流通することになりました。それまでは、集荷・販売を自粛するよう行政機関から要請がありました。 命に直結する食べ物です。生産者としての最も大切な責任は、安全な食べ物を育て、届けることです。今はただ「安全で安心して食べられる米」をお届け出来ることをひたすら祈る日々です。  ところで、内閣府の外局組織に消費者庁という組織があります。日本人の主食は、お米です。毎日食べます。 それだからこそ、消費者の皆さんが心配することは当然です。 今月末から、農水省など農業関係部局が中心になり万全の態勢で放射能検査をすべく準備が進んでいます。検査結果は、速やかに公表され「安全」というコメだけを市場に流通させることになりました。問題は、この検査結果を消費者の皆さんが どのくらい信用・信頼するかです。特に、育ち盛りのお子さんを持つ家庭では、想像以上に放射能害を心配する声があります。そこで、いまこそ、消費者庁の出番です。農水省が お米の安全宣言を出すのではなく、消費者庁が消費者の立場たった視点で検査結果を解析し 安全宣言を出すべきです。 余りにも消費者庁の存在そのものが、影が薄い。消費者庁のお役人さんは、なに仕事しているのでしょうか。
今回のお米の放射能害の対応いかんでは、日本の農村を象徴する、田んぼの風景がなくなるのではと危惧しています。 それでなくとも、稲作を取り巻く経済的環境は、悪化するばかりです。消費者の皆さんの、冷静な判断と行動を切望する毎日です。


NO,202  田んぼ通信 平成23・7・18

 11日に梅雨明け宣言が出ました。 例年よりも10日余りも早く梅雨が明けました。
今年は、ヤマセも吹かず、梅雨寒もなく一気に真夏がやってきました。
連日 真夏日が続いています。6月中旬から始まった大麦の収穫作業。その直後の大豆の播種作業。毎年の事ですが、麦と大豆の二毛作は、梅雨時と重なりお天道様のご機嫌を窺いながらの農作業が続きます。 今年は、梅雨空が殆どなく、大麦の収穫作業、大豆の播種作業は極めて順調でした。 農作業は、農作物の生育に合わせた適切な作業が必要です。適期作業といわれています。 その期間は意外と短く、人間様の都合など関係なくやってきます。 しかも、農作業の多くは、外の仕事。お天道様の下の仕事です。毎年、季節と共に同じ作業の繰り返し。その時々の思いも、表現こそ違っても毎年同じ。それが、百姓仕事。 さて、6月〜7月にかけて、一年で最も昼間の時間が長い季節です。 7月も半ばになり幾分、夜明けが遅くなりましたが、それでも朝4時前には明るくなり農作業は出来ます。夏至の頃には、朝三時を過ぎるとうす明るくなり、しかも夕方は、8時頃まで農作業が出来ます。ありがたいことです。 大麦の収穫作業、その直後の大豆の種まき作業。しかも、梅雨の真最中。 作業が可能な限り早朝から暗くなるまで農作業は続きます。
今年も、無事に大豆の種播きも済み、発芽も揃い順調に生育をはじめました。先ずは、ひと安心。と言いたいところですが、ホットするのも束の間。田んぼでは稲が待っています。 これから稲穂が出来る大事な時期が控えています。 早速、田んぼへ。 稲の一生で、最も低温に弱い時期がやってきます。 幸い今年は、ヤマセもなく真夏日の連続。 余りの暑さが続くと 稲も夏バテするのではと心配になりますが、最高気温が33度前後の角田の気温は心配ありません。むしろ豊富なお日様の光を有効に生かし、美味しいお米を育てたいものだと意気込んでおります。 昔から、 朝仕事3日すれば、一日分の仕事といわれてきました。 今の時期、朝ごはん前に3時間はたっぷり仕事出来ます。 朝日を浴びて、草刈りしごと。稲の葉先に朝露がキラキラ輝き青草の香りを嗅ぎながら汗をかく。  百姓仕事もいいものです。  さて、3月の大震災後4ヶ月が過ぎました。これまでとは違った、田んぼへの思いが込み上げてきます。 農業とは、人間が作物をコントロールし育てる仕事であり、それが出来ると思った時もありました。しかし、それは間違いでした。人の力はほんの些細なもの。 作物の生育状況を極め、早めに手当てをする。 いい作物を育てる基本です。 農作業は、如何に てまめに作物に接するかです。 その手法は、栽培面積に応じ機械力に頼るか、手作業でするかの違いはあっても、作物に接する姿勢は同じです。 農業とは、作物の持つ生産能力を最大限いかす生育環境を整えることだと気付いたのは つい最近のこと。 作物を育てるのではなく、育つ環境づくりのお手伝い。 「コメ作りは、毎年一年生」とは、今は亡き地域のコメ作り名人の言葉。38回目のコメ作りにして、そんな思いを強くする暑い夏です。 ところで、福島原発事故の収束が見えてきません。それどころか、放射能の害とその風評被害は、拡大するばかりです。  原発の爆発事故で、東日本一帯に大量の放射能物質が放出されたことは確かです。しかし、日本から逃げては生きていけません。それを前提として、これからどう生きていくか。 いま、求められているのは、確かな情報。そして的確な行動指針と冷静な行動。 放射能に対する「知識」ではなく。放射能物質と共存して生き抜く、確かな「知恵」。 食べ物は、安全が一番。先日、収穫の終わった大麦は、国の検査の結果、基準値の十分の一の極めて低い値。食べても安全だと宮城県を通して連絡がありました。 お米は、これからが仕上げの大切な時期をむかえます。気合を入れて、田んぼに通います。もうすぐ新米の時期がやってきます。県等の公的機関の指導をいただき、安全が確認できたお米をお届けします。
今、なでしこジャパンがアメリカに勝ちました。おめでとう!
(2011・7・18日AM6時22分)。


NO,201  田んぼ通信 平成23・6・14

 昨日から麦刈はじめました。  世の中、3月11日の大震災以来、落ち着きません。
それでも、季節は確実に廻ってきます。 今年も「麦秋」の季節を迎えました。
青い空に、ぽっかりと浮かんだ白い雲。田んぼの稲は、日増しに緑を濃くし、その中でひときわ目立つ大麦畑の黄色。 一年で最もきれいで清々しく躍動感あふれる季節です。
6月6日は、旧暦の端午の節句。 「菖蒲〔しょうぶ〕の節句」とも言われます。前日は、宵節句。例年通り、母屋などの軒先に、強い香気で厄を祓う菖蒲やヨモギを飾り、また菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。 いまでは、殆どの家で菖蒲やヨモギを飾る家はなくなりました。我が家では、稲作農家としての証として、今でも続けています。 今年は、格別な思いで菖蒲とヨモギを準備しました。  ところで、一昨日、仙台の葬祭会館で行われた二瓶さんの告別式に行ってきました。 今回の震災の大津波に遭遇し、数日後に奥さまと二人で車の中から発見されました。 あれから3カ月が過ぎ、もうすぐ百日の法要を迎えようとしています。 祭壇には、夫婦そろって遺影が飾られ、残された三兄妹の姿がなんとも痛々しく言葉がでませんでした。 二瓶さんは、農業の担い手組織の全国のリーダーとして活躍し、私も農業をはじめてから今日まで、農業の将来の在り方について互いに議論をしてきた仲です。突然の訃報に驚き、これからの津波被災地復興を想う時、かけがいのない人材を失い無念でなりません。今はただ、ご夫婦のご冥福をお祈りするだけです。 合掌。 葬儀の最後に、住職さんよりお言葉の中に、「私のお寺は380年前に建てられたものだ。今回の津波で、一瞬にしてお寺は全壊、自らも津波に追いかけられたが、なんとか命だけは助かった。 これまで「一日一日を大切に生きる」のだという事を説教してきたが、津波に遭遇し その言葉の持つ重さをあらためて感じている。一日も早く復興し、地域の人たちと明るく仲良く楽しく暮らす地域にしていきたい」という話をいただきました。 震災から100日を迎えようとしているのに田んぼには、瓦礫がそのままのところがたくさんあります。瓦礫の跡を見るだけで気が滅入ります。一刻も早く瓦礫だけでも撤去し 明日への希望にむかって一歩を踏み出す事が出来るように願うものです。   今も被災地では人の暮らしは続いている。 政府は依然として「人の暮らし」が見えていない。  さて、お米の放射能汚染を 心配する声が聞かれます。いま食べていただいているお米は、昨年の秋に収穫したもので、低温倉庫などで保管しているお米です。今回の放射能汚染は、考えられませんので、安心して食べてください。 当たり前のことですが、お米は、一年に一回しか収穫できません。 今年の秋の新米は、放射能検査をしっかり受け、安全が確認できた、お米をお届けします。 ご安心ください。私の地域でも、放射能に対する不安の声が高まってきました。いろんな事が囁かれています。野菜等も県当局で日々検査を実施しています。しかし、 安心して食べられると発表されても野菜の値段は、大きく低迷しています。 風評害が確実に広がってきました。  秋に収穫する米に対する不安の声も聞かれるようになりました。「どうせ売れないなら、これから余計な手間をかけない方がいい」という声まで聞かれます。そういう人には、はっきりと「それは違う」という事を言っています。百姓は、精一杯いいものを作る事が仕事。いまやるべき事は、いつものように田んぼに通う事。ただ単に原子力の知識や放射能の値に一喜一憂する日々を送ってもストレスがたまるばかり。 その知識によって、未来に対し悲観する日々を送る事になるとすれば最悪です。人の知識は、未来を拓くものだと信じます。東日本一帯に均しく降ってしまった放射能とどう付き合うか。いま求められているのは、「放射能と共存し、これからも地域社会と共に生き続ける」事を前提とした知恵と冷静な行動です。  私からの提案です。被災地 東北を元気づけまた、自らの体を放射能から守る有効な手段の一つは、  毎日 ごはんとみそ汁を食べること!


NO,200  田んぼ通信 平成23・5・16

 昨日は、日曜日。 日中 風が少し吹いたものの最高気温が25度を超える夏日でした。
田んぼでは、遅めの田植えを予定していた人が田植えをする姿を多く見かけました。
私の地域では、昨日で殆どの田んぼで田植えが終わりました。我が家でも4日に田植えをはじめ12日に予定していた18ヘクタールの田植え作業を無事終わることが出来ました。
  本来であれば風薫る5月。新緑の山々を背に心躍らせながら田植えをする季節です。
それが今年は、違います。 3月11日、午後2時46分に発生した大地震。それ以来 毎日続く度重なる余震。 また、太平洋沿岸部を襲った大津波。その現場は、2か月経った今でも凄まじいものがあります。 角田は、津波の直接的な被害がなかったものの、多くの市民が親戚や知人が被災しました。その惨状を目の当たりにし 心に深く傷を受けています。しかも、福島原発事故。 終息の目途がつくどころか益々深刻さを増す情勢。目に見えない放射能への不安とそれに伴う風評害の脅威。 落ち着いて新緑の季節を楽しむ余裕などありません。 それでも、季節は確実に動いています。 農作物も季節と共に育ちます。人間様のご都合など関係ありません。 田んぼに稲を植えなければ お米はできません。私達日本人は、お米を食べて生きてきました。当たり前のことです。昨今は、変わりつつありますが、基本は変わっていないと考えています。米をめぐる農政が如何にめまぐるしく変わろうとも、経営的に赤字であろうとも、損得勘定は抜きにして春になれば田んぼに稲を植え続けてきました。 それは、常に命を感じ、生き続けるために最も大切で、必要なものだと感じているからです。 それが今年は、大津波で塩水をかぶった多くの水田はもちろんのこと、津波被害を受けなかった水田でも稲を作れないところが出てきました。 上流部に位置する田んぼからの排水で、二次災害が心配され沿岸部の被災地の復旧作業に支障が出るからです。また、福島県第一原発周辺の多くの水田でも放射能汚染の影響で作付できません。 田んぼがありながら米を作れない。百姓は、田んぼや畑で作物を育ててナンボの世界です。その悔しい思いを察する時、余りあるものがあります。 角田は、幸い無事に田植えが出来ました。 本当にお陰様です。心から自然の神様に感謝です。
ところで、大震災後 常に心にわだかまりが残っています。福島原発事故です。原発事故による放射能汚染とそれに伴う風評害を、どのように受け止めたらいいのかという問題です。 角田では、40年前から消費者の皆さんに安心して食べてもらえるため、出来るだけ有機質肥料に変え、農薬の使用回数も減らす努力をしてきました。 農産物の生産でも、コスト低減が求められる時代の中で、安全でおいしいお米を作る為、生産資材と労力を惜しまずお米を作ってきました。 皆さんからの「美味しかったです!」というその一言を心の支え毎年 田植えを続けてきました。 それが、原発事故による放射能汚染の脅威。 生産者も消費者も関係なく等しく降り注ぐ放射能。 放射能は、怖いもの。少しでも入っていれば毒であり食べ物に供さないというのであれば、全ての人は、この世で生きていけないでしょう。無農薬栽培は、生産者の努力次第で可能です。しかし、放射能害は生産者の努力ではどうにもなりません。 しかも、大消費地・東京を含めた関東の人たちが使用している電気を供給してきた福島原発。 その事故で発生した放射能が、人体に対し安全だというレベルの農産物であっても、風評害の影響で買い叩かれる現実。
これから先、何を信じて生きていけばいいのでしょうか。 原発から降り注ぐ放射能を等しく共有し、逃げ出さず未知の世界を共に生きていく。「食」を通して時代を共有する。生産地では、その覚悟と信頼こそが今一番求めています。大地震や大津波の被害に対しては 素直にその現実を受け止める事が出来ます。しかし、原発事故は、違います。 日増しに 怒りだけが込み上げてくる今日この頃です。これからの原発建設は、大反対です。理由は、唯一つ、エネルギーコストがあまりにも高すぎます。


NO,199  田んぼ通信 平成23・4・11

 東日本大震災から一カ月が過ぎました。
多くの皆様方から 励ましのお言葉やお見舞いをいただきまして本当にありがとうございました。    角田市は、地震の被害は少なかったものの東に連なるあぶくま山地を越えると直ぐ太平洋です。車で30分ほどです。 そこには、震災から一カ月が経つというのに 荒涼たる風景が広がっています。 旧角田女子高跡は、遺体安置場となり、すでに600体を超える遺体が安置されました。
一昨日、隣町の山元町から 消防団の応援要請があり急遽出動しました。
朝6時半出発。山元町役場で 地元消防団と合流。9日から二週間余り角田市消防団が交代で応援出動することになりました。山元町は、福島県との県境。国道6号線と常磐線が海岸付近を通っているところです。津波は国道6号線を乗り越え あぶくま山地の麓まで達していました。被災地の現場に立つと言葉を失います。今回の津波被害は、東日本の太平洋沿岸数百キロに及ぶ気の遠くなるような、想像を絶する被災規模です。 
被災現場は、テレビや新聞報道写真の比ではありません。
地震後一ヵ月が過ぎようとしているのに、まだ救援の手が届かないところがあります。
山元町も そのひとつです。 被災現場は、正しく戦場。 無差別爆撃を受け何もかもが跡形もなくなった光景が広がっています。 民間の手では、手に負える状態ではありません。 自衛隊が特殊な車両を持ち込んで 被災地の片付けと 遺体の捜索にあたっていました。 消防団の役割は、 被災現場への一般車両の立ち入り規制。
被災現場に通じる主要道路の入り口で、自衛隊車両や災害復旧車両以外の車両の立ち入りを厳しく規制する役割です。 役場で発行した立ち入り許可書を持っている人以外は立ち入り禁止。 地元の被災者でさえ車で立ち入りできません。 自衛隊の復旧作業に支障をきたすからです。  お世話になった地元消防団の幹部も娘さんを亡くしたといいます。 震災以後この一ヵ月間、娘さんの葬儀で三日間だけ休んだだけで連日 消防団活動をしているといいます。 消防団活動が、娘さんの弔いだ といっていました。
私が担当した地区は、磯浜漁港に通じるところです。 磯浜海岸は、有名な大ぶりなホッキ貝が採れるところで、海水浴もできる景色のいいところでした。 津波で、堤防が破壊され唯一 鉄筋コンクリートの建物一軒だけが無残な姿を残し、その以外の建物は、土台だけを残して地上部は何も残っていません。 磯浜海岸から亘理町にかけては、東北でも温暖で有数のイチゴの大産地です。津波で一瞬にして、その大産地は消滅しました。いま、パイプハウスの残骸と土台だけが残っていて荒涼とした広々とした風景がひろがっています。 その中でポツンとひときわ目立つ建物があります。常磐線山元駅の駅舎です。 駅舎は、鉄骨部分だけを残し無残な姿だけが残っていました。辺りは何もありません。線路は飴のように曲がり 津波の威力の凄まじさを物語っています。    また、磯浜海岸の隣は福島県新地町。 福島県へ通じる県道が、海岸線に沿って通っていました。 新地町に入ってすぐのところで 道路が寸断され、防波堤も無残に破壊されています。遠くに新地の東京電力火力発電所がみえ、太平洋の荒波だけが押し寄せていました。新地浜も壊滅的状況です。 津波災害は、元気で生き延びるか、そうでなければ死ぬか。 その二つの選択肢しかなかったようです。 しかも、一瞬で世界が大きく変わりました。     さて、気持ちを奮い立たせ、種まき作業をはじめました。 季節は、確実に動いています。時間は、待ってはくれません。 これからも生きていくうえで、食べ物は不可欠です。 一昨日も、震度6という地震がありました。しかし、百姓の使命は、食べ物を生産することです。   今はただ、日々の田んぼ仕事を確実にするだけです。 これからも、よろしくお願いします。


NO,198  田んぼ通信 平成23・3・23

 皆さま お米の発送が遅れましてたいへんご迷惑をおかけしております。申し訳ございませんでした。  幸い角田は、大きな被害がなく皆 元気です。 平成23年3月11日午後2時42分。 ラジオから緊急地震速報が流れたと思ったら直後 ものすごく大きくしかも長時間の揺れ。 M9 国内最大級の東日本大地震発生。あれから10日経ちました。 いまだに被害の全容が分かりません。それほど今回の地震の被害は計り知れないものがあります。  角田に電気が来たのは地震発生後7日目。電話が使えるようになりパソコンンも携帯電話も使えるようになりました。水道は、まだ復旧していませんが少しは落ち着いてきました。 東に連なる阿武隈山地の向こう側、車で30分ほどのところが太平洋です。 そこは、10メートルを超す大津波の直撃を受けた惨憺たる現実が広がっています。津波は、海岸から4〜5K先までたしたところもあります。現場を見た人は、皆 地獄の様だといいます。 その光景が宮城県はもちろん、福島県から青森県までとてつもない広範囲に広がっているのだと思うと背筋が凍ります。 津波の被害地の皆さんの思いを想えば角田は、多少の不便があっても天国です。 地震から10日を過ぎ、現代の生活が如何に化石燃料に依存し、利便性と効率だけを追い求めた生活だったかを思い知らされる日々が続いています。地震直後から電気が来るまでの間、毎晩 ラジオを聞きながらとロウソクの明かりで食事しました。電気が使えなくなり、電話、携帯電話 、ンターネット等 外部との連絡が全くとれなくなりました。携帯電話が使えなくなり 消防団の幹部をしていますが消防団員にも連絡がとれなくなり情けない思いをしました。10日経っても、ガソリン等の燃料が極端に少なく 近所への車の移動も躊躇する毎日です。 幸い、 3年前に自宅をリホームした際、家内の強い希望により薪ストーブを導入しましたので、直ぐに 暖をとることが出来ました。家内に 家族全員で感謝しています。 薪ストーブを購入するにあたって 私は 大反対したのですが 大いに反省しています。 水道工事はほぼ終わったようですがまだ水道は使えません。 海岸にある広域下水処理場が津波で全壊し汚水を流すことが出来なくなりました。そのため、マンホールから汚水が溢れ出し 水道が流せないというのです。 人は食った分だけ排泄する。その良好な循環があってこそ人間生活が営まれます。当たり前の事です。 しかし、いざという時に便利な生活ほど役に立たないのです。便利という事は、ただ単に本人がやるべき事を「他」に依存していただけだという事を実感する毎日です。現代社会は、その「他」を血の通った「人」に依存してする事を極力さけ、「お金」という対価を支払う事によって利便性と効率を追い求める都市型社会を創ってきたといえます。この災難に直面し日ごろ便利な生活をしている人ほど 不自由な生活どころか命さえ維持できなくなる時代に生きているという事を痛感する日々です。私も含めて、殆どの日本人が何を求めて近代教育をしてきたのか自問自答している毎日です。 いま最大の心配事は、福島原発事故です。 すでに風評被害が出てきました。電気が来るまでラジオで情報収集していましたが、政府の記者会見は原発事故だけ。現実に進行している数万人が亡くなっている大災害に対しての対応は一週間なし。確かに原発事故は大きな問題です。しかし、いくら情報を出してもらっても素人ではどうにもならない。ただたんに不安と恐怖心をあおるだけです。原発事故は国家の威信をかけて専門家に委ねるしかありません。 個人でできることは、避難するだけです。最悪の場合、角田も避難地域になるかもしれません。しかし、狭い日本どこに逃げればいいのでしょうか。東京ですか。受け入れてくれますか。狭い日本どこに逃げても同じ。 この際、原発賛成派、反対派も含めて、恐ろしい原子力の力を借りて近代的利便性に富んだ生活を享受して生活しているという現実を直視する事です。そのうえで、これからをどうするかです。  私は、この際 原発は止めるべきだと考えます。 地震災害の真っただ中にすんでいる者にとって、東京からの報道は、あまりにも身勝手です。 放射能汚染が広がっている いまこの現実を共有しなければ、明日の日本の未来は語れません。NHKの報道が真実を伝えているかの検証は別にして、NHKを公共放送と信じ原発事故による放射能汚染レベルが、人体に影響がないというのであれば、これまで福島原発の電力を享受してきた首都圏に住む人達は、風評被害を助長するような行為は慎むべきです。 むしろ 食べても問題ないというのであれば福島産及びその周辺の農産物をすすんで食べることで、この苦しい現実を共有することにより初めてこれからの未来を共に語れます。その互いの信頼がなくしてこれからの未来は開けません。 いずれにしても今回の原発事故問題で これからの社会システムは大きく変わるでしょう。ところで 最も心配していた、地震で壊れた田んぼへ水を引くためのパイプラインは、きのう試験通水した結果 なんとか使える見通しがつきました。今年は稲が作れないのではと心配しましたが大丈夫です。 被害が少なかった私達 角田の百姓の使命は、精一杯お米を作ることです。お米は、一年に一度しか収穫できません。今年作付出来なければ来年食べるお米がなくなります。  未来を信じて 今年の稲作をはじめます。


NO,197  田んぼ通信 平成23・2・15

 立春も過ぎ 陽ざしが一段と明るくなりました。
東北地方、特に日本海側は、例年になく雪が多く大雪による被害のニュースが伝えられています。  ここ角田は、一昨日この冬一番の雪が降りました。それでも15センチ程の積雪です。しかも、春の陽ざしと共に一気に融け始め田んぼの土が見えてきました。
 角田は、お正月から雪のない 暖かな冬を過ごしています。 大雪のニュースを観るたびに 同じ東北でもこれほど違うものかと感心します。 除雪の苦労を想うと頭が下がります。 例年 今の時期は寒さが厳しく 田んぼの土はカチンカチンに凍って田起し作業はできません。 それが、今年は違います。 田んぼの土が凍みていません。 
立春を過ぎてから、田んぼでトラクター作業を多く見かけました。 ここ数年 暖かな冬が続いていますが、このような光景は初めてです。 本来であれば、雪が積もり、一年で最もゆっくりできる時です。 少しは雪が積もって欲しいと思いますが、大雪の日本海側の皆さんのご苦労を想えば贅沢なことです。
 ところで、今月21日から24日まで東京工業大学の留学生20名の皆さんが、農村体験交流で角田にやってきます。 今年で3年目です。 東京工業大学は、東京目黒区にあります。目黒区と角田市は、姉妹都市の関係にあります。しかも、20年来 目黒区内小学生の田植えや稲刈り等の農村体験事業を継続して行ってきました。 そんな縁があって、留学生センターを担当する先生から農村体験事業の依頼があり留学生のホームスティーを受け入れるようになりました。 東工大は、日本を代表する理科系の大学です。 農学係の学生さんではなく、工業大学の学生さんが何故 農村体験?  担当は、武井先生です。 先生の話では、東工大には、世界各国から1,000名の留学生が学んでいるといます。これまで春休み等を利用して、日本の文化を体験してもらう事業として奈良・京都等の日本を代表する古都の見学を行っていたそうです。 武井先生によれば、古都の見学もいいが、日本の文化を体験してもらうには、日本の田舎・農村に泊まってもらう事がなによりだと思っていたといいます。  文化系の学生は、比較的大学の外での交流の機会があるそうです。それに比べ理科系の学生は、大学に来れば朝から晩まで研究室に閉じこもりの生活。 しかも、東京では外国人は珍しくない存在。一般のひとから声をかけられることも少ないそうです。 研究も大切だが、せっかく日本に来たのだから日本の生活も体験してほしい。 直接 仕事に役立たないかもしれないが、母国に帰り日本と交流をする機会があった際かならず役立つというのです。 4年前 角田市を通して「角田市アジアの農民と手をつなぐ会」に受け入れの話があり もちろん即OK。 「角田市アジアの農民と手をつなぐ会」は、発足してから18年が経ちます。タイ国イサーン地方の農民との交流事業をはじめJICA研修の受け入れ等これまで50カ国以上の皆さんを受け入れてきました。 会員の殆どは、専業農家。 忙しい中にも、積極的に海外の人との交流を楽しみにホームスティーを受け入れてきました。 今回は3泊4日、13カ国20名の学生さん。12軒の会員宅に泊まります。知らない日本人を泊めるのでさえ大変。しかも、外国人となればなおさらです。 ホームスティーは、家族の協力が不可欠です。 理屈の上での国際交流事業の大切さだけでは、事業の継続はできません。海外との交流そのものを、楽しむ事が出来なければ20年余りも続きません。角田市には、特別な文化も何もないという人がいます。 そうは思いません。数十代に亘ってこの角田の地に住み続けている大勢の先輩達がいます。異文化の人を、いつでも二つ返事で受け入れる仲間が大勢います。角田市民の誇りです。
  武井先生から「今年は例年になく参加希望者が多く、大よそ2倍の倍率でした。口コミで学生の間に、良い評判が回っているのだと思います」というメールをいただきました。 
東京だけが日本じゃない。東北の片田舎・角田市民の心意気を感じてもらえば嬉しいです。。


NO,196  田んぼ通信 平成23・1・16

 寒中お見舞い申し上げます。 年末から新年にかけて西日本各地で大雪が降ったというのに、ここ角田は、例年になく暖かで穏やかな新年を迎えました。  七草を迎えるまでは、早朝でも気温はプラスという日が多く、田んぼは全く凍みていませんでした。
 あまりの暖かさで、夏のお天気が心配になります。 正月に千葉の友人から電話をもらい、角田は全く雪がないと言ったところ驚いていました。
 いつも思うのですが、東北の冬は、雪深く寒いというイメージがあるようです。
 東北といっても、日本海側と太平洋側では天気の様子は全く違います。  角田は、東北南部・太平洋に位置し北関東と同じような気候です。
 東京に雪が降った時に、角田も降るといった感じです。  11日は、「農のはじめ」。 日の出前、種モミに飾ったオガンマツと田起し鍬、稲わら一束をもって田んぼへ向かいます。 田起しの儀式をすませ、最後に手を合わせ今年の豊作と農作業の安全を祈りました。
 いよいよ今年も、本格的な農作業の始まりです。
 今年は、TPPの問題等 農業をとりまく環境が大きく変わる事が予想されます。 如何に世の中変わろうとも、自分に与えられた仕事は、食べ物を生み、育む仕事。 人様が生きていく限り止められません。いつものように、まじめに田んぼに通うだけです。
        (私からの 年賀状です)
 明けましておめでとうございます。
 角田は、早春を思わせる明るい陽ざしのもと穏やかな新年を迎えました。   今年で58歳になります。  同級生は、定年退職を話題にする歳になりました。  就農38年目にして百姓仕事が如何なるものかが分かった思いです。 これまで、自分なりの確固たる目標を持たずに生きてきたといえます。 組織等の辺りを気にしながら自分を格好つけて生きてきただけではなかったか。 どこかで自分から逃げていた自分自身に気づき、あらためてこれからの生き方を考えています。  本当にやりたいことは、何か。やらなければならない事は何か。可能性を信じ、些細なことを気にせず 自分に正直に 生きたい。 遅すぎだといわれそうです。
 幸い、百姓は定年退職がありません。      
 思いが続く限り、夢は実現出来ると信じます。勝負時は、これかだと 胸を躍らせ新年を迎えました。
 百姓を続けるうえで最も大切なこと。  それは、作物が健康で育つ事の出来る「土」を育むこと。 これまで多くの百姓諸先輩方が、語ってきたことでもあります。あたり前のことですが、あたり前のことをやり遂げることの難しさ。物事には、全て基本があります。 もう一度、勉強のやり直しです。 これまで日本のコメ作りは、無責任な農政に翻弄され続けてきました。 今更、農協等の組織や農政を嘆く気持ちはありません。  自分自身の可能性を信じ、一歩づつ前進です。
     今年も、よろしくお願いします。
         平成23年元旦
今年も お天気様に一喜一憂しながら少しでも、田んぼ仕事を共有できれば幸せです。 よろしくお付き合いをお願いします。  角田の様子は、今年も http://www.omokawa.com で発信します