NO,231 田んぼ通信 平成25・12・17

 今年も残すところ2週間余りとなりました。 年々時の経つのが 早く感じます。今年は特に早く感じます。つい先日、田植えをしたと思ったら収穫を終え、来年の稲作に向けた準備がはじまりました。 ほとんどの田んぼは、来年の米作りに備え秋起しが終わり、静かな田園風景がひろがっています。 今年の秋は、比較的暖かな日が続きましたが、一昨日、朝起きて窓の外を見てビックリ。 真白な銀世界でした。雪が降ると寒さが違います。外で仕事をしていると体の芯まで冷えてきます。季節は、確実に冬です。
 さて、先月末 知り合いの先生のお誘いで 明治神宮参集殿で行われた 収穫感謝と食の集い(新嘗祭) に参加する機会がありました。 会合の趣旨は、 古くから日本の重要な行事であった 新嘗祭 を復活させることです。会合には、国連の協賛もあり在日大使館から十数カ国の大使が参加。 国際飾豊かな会合です。 今年は、主催者の一人でもある裏千家の千玄室 大宗匠さんの基調講演がありました。講演の冒頭数分間は英語での講演、 それを日本語で通訳するというという講演会を初めて体験をさせてもらいました。これにはびっくり。 また、日本を代表する書家 吉川寿一先生の  迫力あるパフォーマンスもあり貴重な体験をさせていただきました。
新嘗祭については、いろんな考え方があります。 特に、戦後欧米の考え方中心の教育が広がってからは新嘗祭という言葉すらなくなりました。戦前の教育については、全く分かりません。
難しいことは分かりませんが、戦争に繋がったということで戦前の教育の全てを否定するという風潮の中で生きてきたことは確かです。しかし、40年余り米作りを続けてきていえることは、我が家の暮らしは、米作りと共に日々歩んできたといえます。廻り来る四季の自然に寄り添って 毎年繰り返されてきた米作り。常に自然を意識し、畏敬の念を持って接することで初めてもたらされる天の恵みへの感謝。働くことに感謝する生き方。まだまだ、分かりませんが還暦を迎える歳になって、こんな生き方も悪くはないのだと勝手に思う今日この頃です。 第二次世界大戦から半世紀以上過ぎました。戦前の教育を受けた人も高齢化し極端に少なくいなってきました。 
確実に戦後教育で育った年代が新しい時代を担っています。 裏千家の千玄室大宗匠さんの話の中で、 日本の文化は箸の文化。 日々箸で食事をする。箸は木でできている。それに比べて西欧の食事は、ホークとナイフ。しかも金属でできている。木では、命にかかわる争いにならないが ホークとナイフはとんでもない争いになる。その言葉が今でも印象に残っています。
 ところで、先日ある研修会で隣町の人と一緒になりました。人口一万五千人余りの町です。
町の集まりの中で、昨年一年間で生まれた子供が70人たらずだったと聞いたといいます。県内でも高齢化率が高いとは聞いていたが 現実の数字として知らされると近い将来 町の存続さえも心配になる・・・。と深刻な顔で話をします。 我が角田市はいいますと、隣町のことを他人事として聞き流せない現実があります。 このままいけば、20年後には人口が一万人減少。二万人になるのだというのです。 高齢化社会とは日常的に聞きます。口にはするものの、日々の暮らしの中で言葉だけで分かったつもりでいても、現実を数字で知らされると愕然とします。  つい先日も、お茶のみばなしの中で、 隣近所をみると一人暮らしの家が多くなってきた。気が付けば、軒並み若者が家を出ていき 老夫婦ばかり。いずれは一人暮らしになる。
そうなった時、皆でひとつの家に寄り添って暮らすことも本気で考える時代になるかも、という話になりました。 東日本大震災、それに伴って起きた東京電力福島原発事故。年が明ければもう直ぐ3年が過ぎようとしています。今日の世の中の動きを見ていると、歴史の大きな節目の中を生きているのだと痛感する日々です。 農政問題だけでなく 先送りしてきた多くの問題・課題が どうにもならず次々に表面化してきました。 今の時代は、農業分野ばかりではなく すべての分野において、過去の歴史を踏まえ個人としてどう生きるかが問われる時代なのだと実感させられる年の瀬です。

    皆様ことし一年、お世話様でした。良いお年をお迎えください。


NO,230 田んぼ通信 平成25・11・16

 例年10月下旬は、秋晴れが続き大豆の収穫作業や麦の種まき作業などが順調に進む時期です。それが今年は相次ぐ台風等の影響で、雨模様の日が続きました。そのため思うように農作業が出来ません。特に大豆は、収穫目前にして作業が出来ず品質低下が著しく、角田市管内の大豆に大きな被害が発生しました。我が家では、少しの晴れ間を逃さず、早めの作業を心がけたため最少減の被害に止めることが出来たことは幸いでした。百姓仕事の厳しさを、痛感させられた秋です。
麦・大豆の二毛作は、圃場を有効に利用するという点では理想的です。しかし、春の農作業がはじまってから今日まで 常にお天道様のご機嫌をうかがいながら 息つく暇もなく農作業が続きます。ひとつの農作業が狂うと 後の農作業に影響します。春から秋まで常に緊張の連続です。
 さて地元紙・河北新報一面は、 毎日のように米の減反政策廃止等の農政の大転換に関する記事で、賑わっています。 米の減反政策は、私が就農した当時にはじまり40年余り続いてきました。 本来であれば、平成7年に戦後の農政の根幹をなしてきた食管法が廃止された時に減反政策も見直されるべきものでした。それが 新食糧法施行してからすでに18年。その間、農村票の行方を恐れ、農業の構造改革は先遅れされてきました。その結果として多額の農政予算が使われたにもかかわらず、時代を担う若い後継者が全く増えないという農政が続いています。  これまでの戸別所得補償政策等、中途半端な農政を維持しても、担い手の高齢化に伴う離農が続出、問題の先送りだけ。若い後継者育成にはつながらず、このままでは生産現場が持たないという深刻な事態に直面してきました。今回の農政の大転換は、多様な意見がありますが、生産現場の状況を考えれば 遅すぎます。  先日、米の再調整作業を頼まれ、村の先輩宅を訪問する機会がありました。会社勤めをしながら2ヘクタール余りの田んぼを耕作してきたという兼業農家です。これまでの日本の米作りを支えてきた代表的な農家です。 75歳になり息子さんも地元の誘致で働き、田んぼ仕事をしながら悠々自適な生活をしているようです。40年前に家を建てたものの息子夫婦が今風の新しい家に住みたいということで昨年、また新築したという真新しい家に住んでいます。 雑談しながら当然 農政の話になります。  その中で、勤めをしながら田んぼを守っていた時は、田んぼ仕事がはじまる時期になれば、朝4時から夜8時過ぎまで毎日毎日よく働いたものだ。それこそ「ご飯を噛み噛み田んぼ仕事をした」といいます。確かに日本のコメ作りは、多くの兼業農家の存在なくして語れません。この先輩のように田んぼを守るため、収入を確保する手段として 会社勤めという兼業の道を選び その合間をぬって、田んぼを荒らさず懸命に働いてきたのです。しかし、その生産構造が激変しています。時代の変化と共に、田んぼに対する思いも確実に変わってきました。 先輩の家でも、若夫婦と同居しているものの、殆ど農作業等には関心はなく主な田んぼ仕事は先輩がしているといいます。話の中で 数年前 まとまった田んぼの購入話があり 若夫婦に言ったらそんなの買うことないということで断ったといいます。 今となっては、断って良かったという話になりました。 その当時 一反(10a・300坪)で80万円だったといいます。それが、つい最近では 一反歩 20万円台(坪1千円以下)、少し不便な田んぼでは買い手がいないという状況です。 昨年から今年にかけて 田んぼの価格が急激に下落しています。 田んぼそのものが、若い世代にとってお荷物的存在になってきました。田んぼが財産という時代から田んぼは生産財の一部という考えに変わって来たのでしょう。百姓はじめて40年。その間、田んぼを購入する事によって規模拡大をしてきました。政府の資金を利用し、20年数年前に一反歩150万円(坪5千円)で購入した田んぼの借金返済も終わり、その後も制度資金を活用しながら次々に規模拡大をしてきた者にとって 複雑な思いがあります。今また、まとまった田んぼの購入依頼が来ました。坪千円の田んぼ。これ以上田んぼを買っても・・・・・という思いもあります。「日本の国土は限り有る。それを大事に生きなさい」という大先輩の言葉と、自分が百姓で食えなくなる時は日本国が滅ぶ時。という百姓としての信念に従い今度だけはまた、国から借金して買うことにしました。また、バカな奴といわれそうです。


NO,229 田んぼ通信 平成25・10・18

 10年に一度という大型の台風26号。上陸はしなかったものの 東日本各地に大きな被害をもたらしました。 特に伊豆大島には、一日に800ミリという想像もつかない大雨が降りました。
被害に遭われました皆様に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
幸い私の地域は、心配したほどの雨風は少なく殆んど被害はありませんでした。しかし、昨今の全国各地で起きている大きな気象災害は、とても他人ごととは思えません。今回の台風もひとつ間違えば私の地域も大災害に見舞われたかもしれません。 台風26号発生以来、不気味な予感がしていました。 私の地域は、最近大きな気象災害はおきていませんが 災害は忘れた頃にやってくる。「備えあれば憂いなし」。この言葉をあらためて思いだし、台風の前日は、出来る限りの台風対策をしました。 百姓仕事は、自然相手。常にお天道様のご機嫌を窺いながらの仕事です。いくら科学が発達したとはいえ、人の力など些細なもの。自然の驚異にはなすすべもありません。 自然は、克服するものではなく、現実と向き合い、受け入れ、如何に折り合いをつけて付き合っていくか・・・。百姓をはじめて40年、そんな思いをつよくする今日この頃です。
それにしても最近の天気は変です。 10月半ばというのに、数日前まで真夏日を記録する暑さが続いたと思ったら、今朝の最低気温が5度。しかも、蔵王の山々には初雪が降りました。秋を感じることなく一気に冬がやって来た感じです。極端な天気が続いています。
 さて、今年も無事に稲刈りを終えることが出来ました。今年のお米の出来は、品質、量共にまずまずの出来でした。 しかし、村には豊穣の秋を喜ぶ雰囲気はありません。就農当時、秋の収穫時期ともなれば村全体が、活気に満ち溢れたものです。その賑わいが薄れてきました。 この傾向は、年々強くなっています。戦後の食糧難を経験し、食糧生産に誇りを持って米作りに取り組んできた先輩方が80歳の高齢となり次々とリタイヤが始まりました。しかも米を取り巻く環境が年々厳しくなり、田んぼに本気で向き合う人が少なくなったことの証です。 さびしい限りです。   先日、内閣官房 日本経済再生総合事務局から事務局員数名が角田にやってきました。お世話になっている先生からの依頼で、生産現場の生の声を聞かせてほしいというのです。
角田市には公益法人 角田市農業振興公社がありますので、窓口となり対応しました。
現在 TPP等の対応で 農業改革が叫ばれ、企業による農業参入が大きな話題になっています。それに伴う規制緩和が大きな課題です。 政府内でも従来の組織とは別に大臣直属に検討に入っているようです。 今回の来角は、その一環のようです。 折角の機会なので、気心しれた数名の仲間と共に、率直な意見交換をしました。 私からは、農政の役割は、国民の食糧の安定供給が最大の役割だ。食糧は、余っているという事を前提として農政を展開しているが世界的視点からすれば食糧不足は明らか。 そのために限られた日本の良質な農地・国土をどのように有効活用するかという観点に立ち、これからの政策を考えてほしい。 第一次産業の使命である食糧生産の安定供給に資するという視点に立った産業政策が全くなっていない。数十年にわたり多くの貴重な税金を投入して、時代を担う担い手が育たないということは、いつまでも許されることではない。 農政は、農家・農民ましてや農村のためにだけにあるのではない。 国民のために農政があるのだという観点に立った、農政が展開されて初めて まともな農政がはじまる。 農業への企業参入は、基本的には拒む必要はない。しかし、農業は、人の命にかかわる食糧生産に関わる仕事。 数年の損益だけで農業参入してもらっては困る。ましてや多くの作物は、土を土台にしてそだつもの。その土を育むためにも多くの時間と労力が必要だ。 最低30年以上は、田んぼ畑から離れない ということを国民に明確に意思を表明し、そのことを具体的に担保させることが必要だ。 既存の農業関係組織は、既得権益に縛られ新しい時代を切り拓く活力が失われている。 新しい時代にふさわしい農業の担い手を一刻も早く育てるべきだ。企業参入も その選択肢の一つだ。 そんなことを言わせていただきました。また台風27号がやってきそうです。
大豆の収穫作業、大麦の種まき作業が待っています。気の抜けない日々が続きます。


NO,228 田んぼ通信 平成25・9・14

今年も新米が出来ました。  新米のご報告が出来ますことを心から感謝いたします。
今月10日、放射能検査のための稲刈りをはじめました。
13日、宮城県より文書で放射性物質測定結果について という報告がありました。

検査結果は、 不検出でした。

これで、今年も安心してお米を届けることが出来ます。
 東日本大震災以来 2年半が経つというのに、震災の影響がまだまだ残っています。
特に、東京電力福島原発事故による 放射能汚染による風評害は、まだ治まりません。
根本的な解決策がないまま時間だけが過ぎていきます。 原発事故発生いらい一番心配したことは、風評害でした。  風評害に対する最も有効な手段は、情報公開だといわれます。
事故発生いらい2年半経った今。 放射能検査結果を、いくら公開しても風評害はなくならないという現実があります。 風評害に対する最も有効な手段は、人々の記憶から消え去ること。
時間の経過だけが頼りという情けない現実。  放射能問題を騒げば騒ぐほど、風評害は治まらない。 事故発生から2年半経った今。風評害の最大の被害者は、世の中を底辺で支える第一次産業に従事する生産者。 殆どの生産者は、価格決定権を持たず、しかも、風評害に対する賠償請求もままならず なんの補償もなく世の中の不合理だけを一身に背負い日々生きています。
誰も風評害の責任をとらない。 世の中の一番弱い者が 一番の被害者となる。
これが、世の中の現実。事故発生当初から心配していたことが、現実のものとなった今、悔しさだけが残ります。  原発問題は、人々の生き方を問う問題でもあります。 その議論も深まらず時間だけが過ぎていきます。 東京電力福島原発事故現場は、いまだに人間がコントロールできない とんでもない状態になっているかもしれません。
それでも、今の時代を生きていくしかありません。 
7年後に東京オリンピック開催が決まりました。 たいへん嬉しいことです。 
しかし、素直に喜べない複雑な思いもあります。時間の経過と共に東京オリンピックの話題が大きくなるでしょう。 それと共に、原発事故による風評害もなくなるでしょう。風評害がなくなるのではなく、人々の記憶から忘れられるだけですが・・・。
 原発事故から2年半経った今、はっきり言えることは、 今の時代に生産された食べ物を共に食わない人は、信用できない。 共に将来を語れないということです。
 とんでもない今の時代を 共に生きる覚悟の証として 同じものを共に食する。
これが基本です。
残念なことに、原発反対運動が広がらないのは、腹をくくった生きざまが 見えないからです。
底辺で生きている多くの人は、世の中をよく見ています


NO,227 田んぼ通信 平成25・8・19

 残暑お見舞い申し上げます。 全国的に記録的な猛暑が続いています。
最高気温の日本記録も更新されました。最高気温が41度。体温よりもはるかに高い気温です。 ニュースでは、連日 熱中症に対する予防を呼びかけています。皆さま お元気ですか。
 西日本各地では、早々に梅雨明け宣言が出たようです。それ以来、猛暑が続いているようですが、東北の梅雨明け宣言は8月3日です。例年よりも遅い梅雨明けでした。
ニュースでは、西日本各地の猛暑を伝えていましたが、宮城では最高気温が20度前後の
涼しい毎日でした。 7月中旬から下旬にかけて、稲の穂が育つ大切な時期です。梅雨明け宣言が出た、8月初めまで冷害が心配される程の天気が続きました。 また、8月入り秋田県や岩手県では、これまで経験したことのないような集中豪雨が降りました。極端な天気が続いています。
 8月7日は立秋でした。角田では、秋の声を聞いてから本格的な夏やって来た感じです。
連日 30度を超える猛暑が続いています。幸い角田では、大雨の被害もなく、また心配された低温の被害もなく無事に稲が育っています。 このまま暑さが続けば9月10日過ぎには稲刈りが始まりそうです。  ところで、9日に東京目黒区の青少年委員会の皆さんが角田にやってきました。 角田市と目黒区は、鎌倉時代から歴史的つながりがあり友好都市として交流事業を進めてきました。 特に、平成3年に始まった角田の農村体験ホームスティ―事業は、20年来続いていました。 私が農協青年部委員長をしていた時にはじまった交流事業です。この間、地元の皆さんの協力をいただき、角田市内の小学校三校で米作り体験授業やホームスティを実施するまでになりました。 それが、二年半前に起こった東日本大震災。それに伴う東京電力福島原発事故による放射能汚染を心配する目黒区の親の皆さんの要望で 20年来続いてきた米作り体験事業は中止となりました。 放射能による風評被害は、いまでも続き交流事業までに及んでいます。 いくら国が宣言を出しても、容易に理解してもらいない現実。 それでも、ここ角田では、震災以前の暮らしが営々と続いている。 子供達も震災前と同じ学校生活を続けている。
 この間、角田市と目黒区の関係者で、交流事業再開に向け模索してきました。
今回、目黒区青少年委員会の皆さんが、子供たちの体験交流事業再開の可能性を見出したいということで角田に来ていただいたことは、大きな前進です。 懇親会の席上、目黒区との交流事業の経緯を話す機会がありましたので、25年前の様子を交えて話しさせていただきました。
ササニシキの苗と角田の土、そして稲を育てるプランターをセットで送ったことで始まった目黒区小学校との交流事業。 苗を送りっぱなしでは、駄目だ。稲が実るまで面倒を見るようにと
当時の農協幹部から三回分の上京経費をつけてもらったこと。 訪問した小学校で角田の農業の話をしたことなど、思いで話をしました。今でこそ学校教育現場で 田んぼの体験事業が広がりを見せていますが、上京して農村の話をするということは珍しかったといえます。 あれから、20年以上も経ったのかと思うと感慨深いものがあります。 その間、子供たちだけではなく、先生方の農村体験ホームスティ事業、角田市内の子供たちの目黒区訪問交流事業など 様々な交流事業に発展してきました。 何事も始めることは簡単です。止めることも、もっともらしい理屈をつければ簡単に止められます。時間と共に地域や人の思いが変わります。 多くの時間を経ても、尚且つ継続する。継続するには、物凄いエネルギーが必要です。それが多くの人が交わる交流事業となれば、なお更です。 時間を超えて継続するには、理屈は必要ありません。人の理屈などは、単なるきっかけです。継続するには、未来に向けた強い思いがあるか。交流事業ならなおさら、互いの立場を超えて未来に向け、共有できる夢が持てるかです。 懇親会の席で、目黒区委員のひとりが、25年前に目黒区が用意した貸切バスで父が角田を訪問したというのです。父は、亡くなってしまったが 当時小学校だった私は、何度も角田の話しを聞いて育ったという。 彼女曰く。「角田では、多くの市民が震災前と変わらぬ生活を続けている。目黒区が一方的に交流事業を断り続けるのは角田に対して失礼ではないか」


NO,226 田んぼ通信 平成25・7・15

 全国各地で猛暑が続いています。 暑中お見舞い申し上げます。 
関東以西は、早々と梅雨明けし同時に猛暑がやって来たようですが、東北地方は、まだ梅雨明けしていません。 ここ数日 どんより曇った梅雨空が続いています。これまで30度を超す真夏日も3日程です。 梅雨空が続いているとはいえ、猛暑日もなく雨量も少なく比較的過ごしやすい梅雨です。先月中旬からはじまった麦刈。それに続く二毛作の大豆の種まき作業も無事おわりました。我が家では9ヘクタールの転作田で麦と大豆の二毛作を続けています。毎年のことですが、梅雨の時期の農作業です。 少しの晴れ間をみて麦刈や大豆の種まき作業をしなければなりません。しかも、田んぼの稲の管理もあります。例年この時期が農作業のピークを迎えます。
幸い、一年で一番昼間の時間が長い時期です。朝4時前には農作業ができます。 夕方も7時過ぎまで農作業は可能です。寝る間を惜しんでの農作業が続きます。 農作物は、生き物です。しかも、成長のリズムは、大自然のリズムに合わせて育ちます。特に米・麦・大豆などの土地利用型の農業は、常に大自然のリズムと共に生産されます。 自然のリズムを無視し、人間様のご都合に合わせて農作業を進めたのでは良い作物は育ちません。 当たり前のことです。農業をはじめて40年を迎えた今でもこの当たり前のことを満足に実行できずにいます。 農業で成功する唯一の秘訣は、如何に作物の気持になれるか。 言葉で言うのは簡単ですが、私にはいまだ分かりません。 ただ40年農業に取り組んで分かった事は、農作物にとって育ちやすい環境をつくること、その基本は、土づくり。これも、農業の基本として 当たり前のこととして多くの篤農家といわれた先輩方が言ってきたことです。 これを理解し多少なりとも実行出来るようになるために、40年もかかったということです。 情けない思いです。
 今年の麦作は、収量・品質共に過去最高の出来栄えでした。 大麦を出荷すると品質検査が行われます。一袋ごとに一等から規格外まで検査され格付けされます。一等が一番いい品質です。 これまでも一等の麦を生産してきましたが検査麦の全てが一等。しかも、収量は過去最高の千俵の大麦を出荷する事が出来ました。 9ヘクタールで千俵です。ひとつの目標が反収十俵。目標を超え平均11俵の麦を収穫することできました。 ここ数年の 土づくりの手ごたえを感じると共に、 百姓として心意気と充実感に満ちた今年の麦作でした。 さて今年の大麦一等千俵出荷しJAの販売通帳に入った麦代金は90万円でした。 国内で消費される麦の殆どは、輸入されたものです。1俵50キロ900円です。これが大麦の国際市場価格の現実です。一等千俵の麦を出荷したのは県内の個別農家ではトップクラスでしょう。 その麦代金が90万円。 9ヘクタールの肥料・農薬代が約86万円。その他に農機具や乾燥するための燃料代や出荷用袋などの資材等がかかります。 直接かかる経費だけで麦の販売代金収入では大きな赤字。 もちろん働いた労賃などが、麦代金で出るわけありません。それでも毎年大麦を生産しているのは、販売代金の他に生産数量に応じた国からの交付金があるからです。たとえ交付金があっても麦の作付けが増えません。そのことを考えれば、交付金の交付単価水準が想像できるでしょう。 現在TPPが大きな問題になっています。今の情勢では日本も参加する方向に動くでしょう。関税がなくなりまともに国際市場価格競争にさらされた時、日本の稲作農家は壊滅するでしょう。 しかし、日本の田んぼや畑を荒らすわけにはいきません。これまでの通信にも何回か書いてきましたが、我が家には米作りを止めると言う選択肢ありません。生き残るためには、家族が暮らし毎年米の再生産ができる販売収入を確保するしかありません。国策としてTPP参加を決定するのであれば、国が責任を持って食糧の安定供給する義務と責任があります。 私は、 国民の税金を投入して国策として日本の農業を守り国土保全や食糧生産を維持すべきだと考えます。 国内農業対策として これまで以上に国民の税金を農業に投入することになれば、農業者も更なる生産コストの低減に向けた努力を求められるでしょう。 貴重な税金を使う以上、その税金の使い道が国民の皆様にとって分かりやすい農政が求められるのは当然のことです。


NO,225 田んぼ通信 平成25・6・16

   昨日から麦刈をはじめました。 季節は、麦秋です。6月13日は、旧暦の端午の節句。
母屋や作業場の軒先に ヨモギと菖蒲を飾ります。今では、全く見かけなくなりました。
我が家では、恒例の宵節句の行事として続けています。また菖蒲湯に入ります。菖蒲の独特の香りを楽しみながらゆっくりとお湯につかりました。菖蒲の香りは、心が癒されやる気も出てくるから不思議です。   今年は、春先から天気が落ち着きません。4月末からはじまった大型連休いらい東風(ヤマセ)が吹く日が多く、例年よりも気温の低い日が続きました。
しかも、5月の降水量は観測史上最低の降水量でした。 極端な雨不足で畑はカラカラ状態。
市内の山間部では、田植えを諦めた田んぼもあります。また、井戸水が枯れ、給水車で補給した地域もでました。  幸い角田市の殆どの田んぼの水は、阿武隈川から取水しますので水不足で田植えが遅れるということはありませんでした。 不思議なことに、田んぼに水があっても稲の生育は思わしくありません。 少しの雨でも、雨が降ると一晩で稲の姿が一変し元気になります。雨は、時として大きな災害をもたらしますが、ほんとうに天の恵みだという事を実感します。
 ところで、今年は田んぼにカブトエビが大発生しています。我が家の殆どの田んぼで見ることができます。10年以上も前から、毎年5月末から6月はじめに田んぼで見ることができます。古老に聞いてもカブトエビは見たことないといいますから、ここ十数年のあいだに増えてきたといえます。もともと暖かな西日本の田んぼに生息していたカブトエビ。生きた化石と呼ばれ、三億年前の古生代に生息していた三葉虫と同じ時代にこの地球に誕生したといわれています。三葉虫は、絶滅しましたがカブトエビはいまなお生き続けています。 カブトエビがいる田んぼは、水が濁っています。 カブトエビはミジンコの仲間で大きさが5センチ前後で40対もの えら脚があります。その脚で田んぼの泥を所狭しとかき混ぜるために田んぼが濁って見えるといわれています。田んぼが濁っていると雑草も生えにくくなりますので草取り虫ともいわれている由縁です。 また、何処の田んぼにも生息しているというわけでもありません。不思議な事に、 隣の田んぼには いないという事が多いのです。環境の変化にたいへん敏感な生き物なのでしょう。角田市では、40数年前から生協との交流事業をはじめました。いまでこそ消費者の皆さんとの交流が全国各地で盛んになりましたが、その先駆けが角田からはじまったといえます。その交流の中から、より安全で安心して食べていただける農産物の生産活動がはじまり、環境への配慮と理解も徐々に深まったといえます。 その実践活動として出来るだけ農薬の使用を控え、肥料も有機質主体肥料のお米作りに努力してきました。地域をあげて努力してきた証としてカブトエビが生まれてきたものだと信じています。  先月26日、角田市と友好都市となっている東京目黒区の米屋さん愛米屋本舗の高柳さん夫婦が角田にやってきました。数年前から角田の田んぼにカブトエビがいると言う話をしていましたので、わざわざ角田の田んぼを見に来たのです。 高柳さんは、カブトエビの博士です。店を訪ねると一年中 カブトエビを見ることができます。 昨年5月には、「飼って楽しいカブトエビ」いう本を自費出版しています。 その本の中で
初夢が正夢になりますように・・・・ということで次のような言葉が綴ってあります。
平成23年3月11日の東北大震災、また津波により多くの尊い命を失いました。そして福島県にある原子力発電所の爆発で多くの放射能物質が世界中に拡散し、人々を恐怖の底に落とし込みました。放射能物質で汚染された水が海に流れ出し、山や畑や田んぼ、また村や町や都市部に降り注いだ放射能物質は動植物に対して、どのような影響があるのか?お米や根菜類、家畜などは大丈夫なのかと思いつつも、とうとう年が明けてしまいました。「これから日本はどうなってしまうのだろうか・・・」・・・・・・・米屋を営んでいる私たち家族にとって、田んぼが元気になり安全・安心なお米が育つことで、農家さんや消費者のみなさんも元気になると考えています。夢の中でのお話のように、カブトエビに田んぼを助ける力があったら・・・。みんなが元気になれるように、初夢が正夢になるように願っているのです。・・・・・・。


NO,224 田んぼ通信 平成25・5・15

 13日今年の田植えが無事おわりました。先月28日に田んぼに水が入り、代掻きを開始。
田植え作業は、代掻きをしないと出来ません。 田んぼに水を引き、田んぼを均し田植えができる状態にする代掻き作業が終われば、田植え作業の7割は終わったといえます。 今では殆どの田んぼが用水路と排水路が分離され、一枚の田んぼの広さも大きくなりました。昔のように、田んぼに水を引く為の水争いも見かけなくなりました。 田植え作業も、たいへん楽になったといえます。 殆どの農家は、二日もあれば田植えは終わります。 大型連休を利用すれば代掻き作業から田植えまで楽に終わる時代になりました。 また、戦後の食糧増産時代を担ってきた先輩方は80歳を過ぎ、田んぼで見かけることも極端に少なくなりました。明らかに世代交代が進んでいます。世代交代を機に米作りを止める農家も目立ちます。 これまでは、1ヘクタール前後の規模の小さい農家が米作りを止めましたが、最近は1.5ヘクタールから2ヘクタールのこれまで地域のコメ作りの中核的存在だった稲作農家が米作りを止めるようになりました。 これは、昨今の米価低迷とTPPなど米作りの将来に対し悲観的な要素が多く、米作りを続ける上で欠かせない農機具などの新たな設備投資に躊躇する事が大きな要因といえます。ここにきて数十年来の農政の大きな課題だった稲作生産構造が大きく変わろうとしています。 さて、米作りを止めた農家の田んぼは、何処へ行くか。 我が家もそのうちのひとつですが、地域の担い手と呼ばれる農家に集積する事になります。その集積速度が年々早くなりました。 10ヘクタール規模の 農家は珍しくなくなりました。  米や麦・大豆など土地利用型農業といわれる農業経営では、20ヘクタールから30ヘクタールの経営規模の家族経営でなければ専業農家として生きていかれない時代になったといえます。 我が家では、今年の作付け計画は、28ヘクタールの圃場に稲作19ヘクタール、大麦9ヘクタール、大豆9ヘクタールです。本年度から長男が本格的に 農作業に参入しましたので、作業場や農機具などの設備投資を決断しました。設備投資には、多額の資金が必要です。国の機関から融資を受け新たな気持ちでコメ作りをはじめました。
 TPP問題や、東京電力福島原発事故に伴う風評被害など米作りに対する不安要素がありますが今更、考えてもどうにもならない事は考えない。お米を食べていただいているお客様を信じ、 喜んで食べてもらえるお米を生産する事が最大の使命であると考え今年も田植えをしました。
 ところで、今年の天気は変です。 これまでになく風が吹き寒い日が続いています。気温の変動もこれまでになく激しいです。 先月17日は、最高気温が一気に27度まで上昇。その数日後の21日には、ナンという事でしょう。雪が数センチ積もりました。この時期の積雪は、昭和22年以来65年ぶりだといます。まだ生まれていない時です。今年の春は、 寒暖の差が激しい年だと思っていましたが 雪が積もるとは。 大型連休に入ってからも 冷たい風が吹く日が多く、気苦労の多い田植えでした。 また5月8日には、朝 起きてビックリ。田んぼの畔には、真っ白い霜が。5月8日になったというのに、霜が降るとは。アメダスデータによれば、朝の最低気温0.7度。日中晴れたものの、空の色は高く澄んで大陸性気候のようです。
また、先日12日には田んぼから立ち上る湯気の中を田植えするという珍しい田植えを経験しました。 朝20度まで気温が上がり田植え日和になると思っていたのですが、昼になるにつれ東風(ヤマセ)が吹き出し気温が急降下。暖められた田んぼの水が湯気となって漂いはじめたのです。これまでも、少しの時間帯は、同じ現象を見ることがありましたがこの日は昼から夕方まで 長い時間にわたって珍しい光景が続きました。 
  田植が終わり、気になることは、この異常気象でも 大きなニュースになっていないことです。社会全体が、農業に関心がなくなってきたのでしょうか。農業は、単なる産業ではなく命に繋がる産業だという事が忘れられてきたのでしょうか。また、生産現場でも、育苗管理や田植え作業でも手抜きや雑な作業が目立ってきました。 異常気象続きのことしだからこそ、先輩たちが積み上げてきた 基本技術に忠実にするように心がけたい。そうおもう、今年の田植えでした。。


NO,223  田んぼ通信 平成25・4・16

 いま 桜が満開です。東北にも春がやってきました。 暦は、あっと言う間に4月半ばとなりました。今月28日には、田んぼに用水がやってきます。それを目前に、元肥散布や育苗管理など忙しい日々を過ごしています。 ゆっくり花見は出来ませんが、里山のヤマザクラを眺めながらの農作業は格別なものがあります。田んぼ仕事は、そのほとんどが外の仕事です。常に、暦とお天道様と相談のうえで仕事の段取りをします。 天候を気にしながらの農作業は、気が休まる事がありませんが、仕事の合間にふと眺める辺りの景色に小さな幸せを味わうこともあります。
さて米作りの土台は田んぼです。 客土作業など田んぼの手入れは、稲刈りが終わった冬場の大切な仕事です。今年は天候が悪く田んぼに入れませんでした。 それが、三月に入ると殆ど雨が降りません。三月の降水量が数ミリ、記録的な少雨でした。しかも強い風が吹く日が続きこれまでになく田んぼが乾きました。このカラカラ天気で、これまで2トンダンプが入れなかった田んぼにも、直接入ることでき懸案だった田んぼの客土作業が一気に進みました。また、14日には、集落全戸による共同作業が行われました。朝5時半集合。毎年のことですが集落総出で用水路の手入れと道路沿いの空き缶やゴミの清掃作業を実施します。 集落内の殆どの家庭は、田んぼを所有しています。しかし最近は、耕作せず借地に出す農家が目立ってきました。耕作しなくなると、用水路の手入れなどに無関心になります。私達の集落では、田んぼを所有している限り用水路の手入れに参加してくれます。田んぼは、地域全体の生活の糧。 そんな、意識があるからです。それでも、世代交代が一気に進み、昨今の厳しい農業情勢を考えるといつまで続くか心配になります。
 ところで、大震災から2年が過ぎ自分自身の価値観が明らかに変化した事に気づきます。また、 TPP問題や朝鮮半島のきな臭い情勢など、地球全体が大きな転換点にさしかかっていると感じます。
そのような中にあっても不思議なくらい焦る気持ちはありません。いま やるべき仕事がはっきり見えるからです。世の中どんなに変わろうとも、人が生きていくうえで欠かせないもの それは食糧。
その食糧を生産する仕事に従事しているという自覚と責任をひしひしと感じます。最近ハイテク技術を駆使した野菜工場などが注目されるようになりましたが、所詮そんなものはお遊び程度。食糧の殆どは、地球の大地とお天道様のご機嫌によって生産されます。しかも食糧は生き物。地球の大地のリズムと宇宙のリズムの合作が食糧です。それぞれの大きなリズムに伺いをたて、その鼓動を聞きながら暦に合わせて粛々と日々の農作業を進める。それが百姓しごと。人が生きていく限り。お米を食べてもらえる人がいる限り仕事はつづきます。昨今のTPP問題は、大きな大地のリズムに比べれば人間の戯言に思えます。 先日業界紙の農業共済新聞にTPPに関し意見を求められましたので、掲載されましたコメントを私の思いとして記録します。

  2013年3月4週号。 一面記事より
 大震災からの復興の妨げに 宮城県角田市 面川義明
 政府には、日本を預かる責任者として自らの言葉と行動に責任を持ってもらいたい。一方的に不利益な条件を呑まされる可能性がある。TPPへの参加は絶対に反対だ。東日本大震災から2年が過ぎ、東京電力第一原発による風評被害と闘いながら米作りを続けてきた。復興への課題が多く残る中でのTPP交渉への参加表明だ。
正体がわからないとんでもない敵が現れたものだ。我が家にとって今さら米作りをやめるという選択肢はない。長い時間と汗を注いで育んできた立派な田んぼがある。地域の田んぼを荒らすわけにはいかない。私たち農家は、しっかり田畑を守る。現場で出来ることはきちんと取り組む。政府も国民の食糧と農村を守る決意をしっかり示し、生産現場にきちんと目を向けた施策に本気で取り組んでもらいたい。TPPという外圧だけでなく、農家の高齢化、担い手不足など農家を取り巻くさまざまな問題はますます顕著になってきた。これからの農業を支える担い手の育成や農家が今後も安心して営農を続けられる農政を強く望む。 以上       

 日本国の首相が参加を表明し、世論調査では国民の6割がTPP参加に賛成している現在、情勢はTPP参加に向かって一気に進むことになるでしょう。しかし、個人的には、日本国の主権にかかわる大きな問題。TPPは、反対です。それでも、今の時代を生きるためにも、豊穣の秋を信じ 今年も田んぼに通います。


NO,222  田んぼ通信 平成25・3・17

 今年は、例年になく寒い冬でした。 ハウスで野菜を栽培している友人は、暖房用の燃料代がいつもの年の倍になったと嘆いていました。 相次ぐ寒波の襲来で北日本、特に日本海側の各地は、記録的な大雪になったようです。同じ東北地方でも、奥羽山脈を境に天候が全く違います。ここ角田は太平洋側に位置しています。 雪は降ったものの、積雪は少なかったといえます。雪が少なかったぶん、寒さは厳しいものがありました。小雪が舞う荒れた天気が続き、ほとんど外の農作業は出来ませんでした。 農作業の遅れを心配しましたが、今月の6日から気温が一気に上昇。13日には、最高気温が22度を記録するなど、東北地方も春本番を迎えました。 いま、トラクターで田んぼの春耕作業の真っ盛り。 種モミの塩水洗や消毒作業等、今年も本格的な米作りが始まりました。  この春は、気温変動の激しい日が続いています。  春を感じたと思った次の日、最高気温が4度という真冬へ逆戻り。しかも、強風が吹き荒れ、最低気温が三月半ばというのにマイナス8度を記録するなど、日々の温度差が大きい春です。 
 ところで、先月19日から22日までの三泊四日の日程で、東京工業大学の留学生18名が角田にやってきました。今年で5年目です。 東工大では、留学生に対し日本の文化を学ぶプログラムを実施しています。その一環として、毎年 奈良・京都へ研修旅行をしていたようですが、縁があって5年前より角田のホームスティー農村体験プログラムも加わり引き受けるようになりました。 角田には、「アジアの農民と手をつなぐ会」という国際交流組織があります。会が発足してから20年以上経ちます。JICAの農業研修員等の受け入れなど専業農家を中心に国際交流活動を続けています。この20年間で80カ国に及ぶ国々のホームスティーを受け入れしてきました。 活動の合言葉は、「角田の田舎にいながら、世界の話が直接聞ける。こんな楽しい事はない」。 東工大の留学生でも5年間で100名を越えました。 今年も中国・インドネシア・タイ・ブラジル・ドイツ・韓国・イランの7カ国からやってきました。
我が家には ブラジルのトレス・ビクター君とインドネシアのアンディ君の二人がホームスティーしました。 ブラジルのビクター君は、昨年の10月に日本に来たばかり。成田空港にやってきた時は、日本語は殆ど話す事ができず、少しのカタカナとひらがなが読める程度だったとのこと。 ホテルに着くまで 本当に苦労したといいます。その彼が、まだ3カ月だというのに日本語の実力は中級程度になったといいます。 毎日 必死に日本語を学んでいるとのこと。 我が家に滞在中も何事にも興味を持ち、食事の時も全てが勉強、勉強と積極的にチャレンジします。二日目の夜に全員で歓迎会をしましたが、一緒に歌を歌いたいというのです。  我が持ち歌は、川島英五の 「野風増」「元気出していこう」 おそらく聴いたことも歌った事もないはず。それが一緒にマイクを持ち、大声でカラオケを一緒に歌うではないか。 「大きな夢を持て〜♪!!!・・。 元気出していこう〜♪!!!」 なんという理解の早さ。なんだ!!これは、思わずビックリ。世の中、本当に頭の回転の良い人はいるものだと一人で納得。いま、ブラジルでは国策として理系の人材育成に力を入れているといいます。海外留学生に対しても積極的に応援してくれるという。 南米ブラジルの発展の可能性を肌で感じました。 最終日、参加した留学生全員から角田での印象を語ってもらいました。 口々に、角田の人達の普段の生活に触れることができたいへん勉強になったという話がありました。 20年以上に亘って、海外の人達のホームスティーを受け入れてきましたが、すべてはホストファミリーの理解と協力があってこそ続いている活動です。 角田には、いつでも二つ返事でホストを引き受けてくれる素晴らしい仲間がたくさんいます。 TPP参加の問題等、農業を取り巻く環境は激変する事が予想されます。 しかし、さほど心配していません。心配してもショウガナイ事だからです。我が家には、米作りを止めるという選択肢はありません。 また、目の前には、これまで多額の税金と多くの汗を投入して創り上げた立派な田んぼが広がっています。この田んぼを荒らすわけにはいきません。
百姓意地です。ましてや、毎年 私達の育てた、お米を楽しみに待っている多くの人がいます。
 今年も、いつものように 美味しいお米を育てるために田んぼに通います。


NO,221  田んぼ通信 平成25・2・17

 立春が過ぎ暦は、2月半ばです。 今年は、例年になく厳しい寒さが続いています。
それでも、日差しはその光を増し、窓越しのお日様が眩しく感じられます。  
春が確実に近づいています。  のんびりとした時間を過ごせるのも 今の時期だけです。
本格的な農作業も、もう直ぐ始まります。今年のお天気様は、どんなご機嫌なのか。
今年一年のコメ作りに、思いを巡らす大切な時期でもあります。
 米販売を取り巻く環境は、様変わりしたといいます。昔ながらの、お米屋さんから米を購入する世帯は、全体の5パーセントを切ったというのです。スーパーから購入が40数パーセント、意外と多いのが無償提供のお米、これが25パーセントもあるといいます。 最近は、スーパーでのコメ販売も陰りがみえ、それに代わってインターネットによる米の販売が伸びているというのです。皆さんも 気付いている事でしょう。お米屋さんの看板が本当に少なくなりました。  先日、東京のお米屋さんを 訪問する機会がありました。 これからも、お米屋さんで生きていこうと頑張っている皆さんです。永年お付き合いをいただいているお米屋さんです。御挨拶とお米の販売の相談を兼ねて上京しました。 
お店を訪問して、あらためて感じた事があります。 お米屋さんは、単なる お米という商品を扱っているのではない。命を育む お米を通して暮らしの情報も提供してきたのだ。 その情報が、最近の急速な情報革命によって多様化している現在、どのような手段でお客様との接点を見出すか。 
悪戦苦闘している、お米屋さん現場を目の当たりしたおもいです。  
食の多様化が進んだ今。 お米は、日本人の命を支える最も大切な食べ物であり、これからもそうであると信じます。  それだからこそ、これまでにも増して、田んぼの温もり、百姓の温もりを お米を通して消費地の皆様にお届けしたい。そのためには、これまでの農家個々の産直等の努力だけでは限界がある。 困難な時代だからこそ、お客様と常日頃接しているお米屋さんとの新たな協同を創り上げる。 
お互いの生き残りをかけて。 そんな思いを強く感じ帰ってきました。 
今年米作りの目標がはっきりしました。
これまで以上に、お客様に喜んで食べてもらえる美味しいお米を育てること。 
お米屋さんが 自信を持ってお客様に提供していただける米をそだてること。
 さて、TBS系列テレビで 「もてもてナインティナイン」 という番組があります。
昨日、その番組収録が角田市で行われました。昨日と今日の二日間に亘り収録が行われました。バラエティー番組の中でも、出会いの場を提供する、極めて真面目な番組だという。
 放送局から、一昨年の大震災の被災地で番組を制作したいと、市町村に打診があったといいます。それを受けて、市役所の担当職員が申し込んだところ、角田でのロケが決まったといいます。 その後、角田市長を先頭に行政区長、各種団体等で実行委員会を設立。角田市をあげて花嫁候補を歓迎する準備がはじまりました。 花婿は、地元行政区長さん等が募集し地元から20数名が参加。花嫁候補は、番組で全国から募集。今回は60名がやってきました。 花嫁候補は、仙台市青葉城史に自費で集合。仙台から角田での番組収録に関する費用は、地元自治体が負担。 番組収録が決まってから、急遽 予算を計上。
その額三百万円。  昨日午後から、その歓迎会が角田市総合体育館広場で行われました。
天候は、この冬一番の寒さ。 気温は氷点下に下がり時折、小雪も舞うあいにくの天気。 それでも、
約二千名の角田市民が郷土芸能等を披露するなどして熱烈歓迎。幼稚園の園児が「角田サ お嫁さんに来てケライン」と声を揃えて歓迎。 全国から参加していただいた花嫁候補。
先ずは 厳しい寒さの中での角田入り。   第一印象が大切といいます。
どんな印象を持ったか。今日は、寒さは続いたものの、きれいに晴れ上がり、西にそびえる蔵王連峰もきれいに眺めることができました。  世の中 全ては縁。 全国から集まった花嫁候補。 
角田の厳しい寒の洗礼を受け、冷え切った体を、心から温めることができる 優しい花婿が登場することを期待します。 ひとりでも、角田にお嫁に来てもらえば三百万円は安いもの。
放送は、3月19日(水曜日)夜7時から、TBS系列で全国放送。。


NO,220  田んぼ通信 平成25・1・17

 寒中お見舞い申し上げます。 今年も宜しくお願い致します。今年は、喪中のため静かなお正月を過ごしました。 お正月様を迎えたのが14日。14日朝。村の神社の宮司さんに、お祓いと新年のご祈祷をしていただき、我が家の年とりをしました。 例年ですと、元日は行政区の新年会、二日は消防団の分団出初め式、三日は お寺さんの総代役員会並びに大般若経会、四日は、角田市の年始交換会。と新年早々会合が続きます。 今年は、全ての会合を遠慮しました。 お客さんも 殆どなく本当に静かな新年を迎えました。 さて、東日本大震災発生してからもう直ぐ2年が過ぎようとしています。 大震災に伴う大津波の大惨状。それが引き金となった東京電力福島原発事故による放射能汚染問題に対する様々な人々の対応。それらを目の当たりにして、自らの価値観が大きく変わった事に気づきます。変わったというより、二つの点で自分なりに心の整理ができた。と言った方がいいかもしれません。 ひとつは、昔から言い伝えられている風習を続ける事への思い。 二つ目は、知識と知恵をどう理解するか。 これまでも、農の始めや 端午の節句に菖蒲とヨモギを軒先に飾るなど農業を営む上で その時々の昔から伝えられている諸行事をしてきました。 昨今の急激な生活環境の変化に伴い、その殆どは、みかけなくなりました。また、喪中の正月の過ごし方も大きく変わってきました。 昔と比べれば簡素化されたといっても、喪中の新年は、14日に村の宮司さんにお祓いをしてもらい年取ります。 それまでは、来客があっても火を使ったお茶や料理等の接待は控えます。親戚はもちろん 隣近所、知人宅の訪問も極力ひかえます。訪問しても、火を使った暖かいお茶などは遠慮します。新年のおめでたい時には、特に忌み嫌います。 単なる 迷信・風習といえばそれまでですが、年配者がいる家庭ではいまでもその風習は残っています。 
先日 菩提寺の長泉寺を訪問した際、喪中の過ごし方にどんな謂れがあるか住職に訪ねる機会がありました。  住職によれば、結論から言って我が家の場合、年を取ってもいいのだという。ましてや、火を使った料理の接待を受けてもかまわないというのだ。 それでは何故、正月の松の葉のうちに、喪中の家で「火を交えない」という風習が出来たか。昔は石油等の燃料がなかった時代、何処の家庭でも カマドの火を使って料理をしていた。食べることは 生活そのもの。しかも、その中心にあったのが「火」だった。特に、松の内に不幸があったとき、その家では、不幸(生活)を交えないということでカマドを別に用意して過ごしたという。そんなことから、風習が生まれ伝わっているというのだ。  そのうえで、住職曰く。 毎年 年末になると 数軒の檀家さんから同じような相談を受けると言う。  その時、福沢諭吉の話をするといいます。福沢諭吉は、小さい頃、親から神様を粗末にすると 罰が当たると言われて育った。自分は、そんなことは迷信だと思って、ある時、神棚から御札を取りだし足で踏みつぶしたという。それから数十年間、生きてきたが、それが原因で体を悪くしたとか、不幸になったと思ったことなど、一度もなかった。 しかし、それ以来 事あるごとに、そのことが気になって これまで生きてきたという。 たたりや罰が当たるという事は、そういう事ではないか・・・。 と福沢諭吉がいったというのだ。 なるほど、なるほど 住職の話しをどう理解しどう生きるか。それぞれの考え方ひとつ。 
さて、我が家は、どうするか。結論は、昨年亡くなった義父をしのんで 今年の正月は控える。そう決めたのだから、昔のしきたりに従った新年を過ごすことにしました。  今の時代、カマドを使っている家など見かけなくなりました。 生活習慣も、大いに変わりました。喪中の過ごし方も、今風に随分 省略されてきました。 今回、新年会やお祝いの席に 参加できなかった事等、不自由な思いをしましたし、面倒くさい と思えばそれまで。  しかし、科学的、合理的生き方?を求めるあまり、知識の多さだけをひけらかし、その知識に振り回されている人をみかけます。 生活にねざした、生きる知恵に結び付かない知識等、単なるお遊びの延長線です。 世界大戦後、欧米化や民主主義の名のもとに、急激に進んだ田舎の風習を切り捨てきた現実に大いに疑問を持ってきました。迷信や風習には、今の時代にそぐわない事や間違ったことも多いことは確かです。しかし、そこには 人として生きる知恵がたくさんあります。  我が家に嫁いでもう直ぐ60年になる母に、喪中の仕来りや その意味を尋ねたところ、意味など分からないという。 ただ、そうするものだと思って 昔ながらにやっていることをしているだけだ・・・・・。という返事が返ってきました。  その言葉が妙に素直に聞こえる今年の正月でした。