NO,255  田んぼ通信 平成27・9・14

今年も残すところ半月となりました。 今年もお世話になりました。 12月に入ってから 霜が降ったのは数えるだけ。師走というのに異常な暖かさが続いています。 極端な天気が続く
一年でした。 「NPO法人よい食材を伝える会」という元NHK解説委員で日本食育学会会長等をしている中村靖彦先生が中心となって活動している会があります。 その会のニュースレターに近況報告をしてほしいという原稿依頼がありました。 この一年の締めくくりとしてそれを載せて一年間の感謝とさせていただきます。 よいお年をお迎えください。
   
よい食材を伝える会二ユースレター原稿      H27.12.14
我が家は、稲作中心の専業農家である。 今年の作付けは、主食用米20ヘクタール・エサ米5ヘクタール・大麦7ヘクタール・大豆7ヘクタール、延べ39ヘクタール。田植えや収穫時期に臨時雇用をいれるだけで 殆ど家族で農作業をしている。 農家の長男として育ち、なんの迷いもなく、20歳から農業をはじめて今年で42年になる。 
就農当時は、経営面積は3.8ヘクタールだ。この40年間で10倍の経営面積になった。すき好んで大規模農家を目指してきたのではない。 農業だけで暮らしていこうと必死に働いてきた結果として、いまの経営がある。言いかえれば、いまの時代、稲作専業農家として暮らしていくには これくらいの規模が必要だということだ。
40年前には想像できなかった経営規模になったが、暮らしが楽になったかといえばそうではない。むしろ、TPP問題など混迷極まる農政を前にして将来にたいする不安が増している。それでも、不安があるが迷いはない。 我が家の経営には、農業をやめるという選択肢がないからだ。 経営規模の拡大に伴い、政府系金融機関から融資をうけ田んぼを購入、機械設備などに多額の投資をしてきた。その投資をこれから回収しなければならない責任がある。 
ところで、生産現場では、コメや田んぼに対する想いが、急激に変化している事を肌で感じる毎日だ。 昨年の米価の暴落で、稲作の担い手問題などコメの減反政策以来続いてきた無責任極まる農政問題が一気に表面化してきたのだ。
いま、近所の農家からコメ作りをやめたいので田んぼを買ってほしいという話がきている。田畑合わせて150アール300万円で買ってほしいというのだ。10アール(一反歩)20万円。平地で区画整理が終わった立派な田んぼである。150アール(1町5反)といえば、つい最近まで日本の平均的稲作農家の経営規模だ。その田んぼに家族が寄り添い子供を育て村の中で暮らしてきた。その先祖伝来の田んぼの値段が300万円。決して金に困っているから田んぼを売りたいのではないという。高齢化し田んぼを耕す事が出来なくなったことと、子供達が家を離れ独立し戻ってくる当てもない。このままでは、負の財産として田んぼを、子供達に残すわけにはいかない。 自分が健在の内に農地を整理したいのだというのだ。 我が家は、借地と田んぼを購入する事によって規模拡大をしてきた。25年前に買った10アールの値段が160万円だった。その後 コメをめぐる情勢の変化に伴い年々農地の価格が下がって来たものの、昨年からの急激な農地価格の下落は驚くばかりだ。 財産として、農地の価値は無くなった。方々で、そんな話が聞かれるようになった。百姓として淋しい限りだ。 
昨年の米価の急落を境に、担い手農家にどんどん農地が集まろうとしている。
受けての担い手農家も、TPPの大筋合意などコメをめぐる情勢不安と規模拡大に伴う多額の投資資金を思うと躊躇せざるを得ない状況だ。
還暦を過ぎ、同級生は定年退職し第二の人生を歩み始めた。 幸いなことに、百姓には定年がない。まだまだ現役。それどころかTPP交渉など混迷極まる農政を目の当たりにして、躊躇する暇はない。米作りをはじめてから40年間、無責任な農政に翻弄されてきた 悔しさがある。百姓として生きてきた自負心がある。生き残りをかけた、あらたな挑戦を歩み始めたところである。


NO,254  田んぼ通信 平成27・12・14

小春日和が続き暖かな初冬を迎えています。
最低気温が2度まで下がった朝があったものの、まだ霜が降っていません。
昨日、郵便局に注文していた28年度の年賀状が届きました。 暦は、いつしか11月半ば。
今年も残すところ一カ月半となりました。あっと言う間に時間が過ぎていきます。 9月なかばからの稲刈りから二毛作の大豆収穫、麦の種まき作業と、休む間もなく続いた農作業も無事おわりました。 麦畑は、最近の雨で一斉に発芽し辺りの晩秋の景色とは対照的に緑が際だつようになりました。 今年の農作物の生育は、全般的に早まりました。例年、稲刈りが終わり、ひと休みしてから大豆の収穫作業に入ります。それが今年は主力の納豆専用の小粒大豆の生育が早まり、稲刈りが終わって直ぐに大豆の収穫作業に取り掛かりました。しかも10月に入ってからは、晴天が続き記録的な少雨に。この晴天で大豆の収穫作業は順 調に進み、それに続く大麦の種まき作業も10月末にほぼ終わることが出来ました。大麦の種まき作業が終われば、ひと安心です。
さて、土地改良区という農業団体を知っていますか。先日、仙台市で開かれた宮城県土地改良大会に参加しました。 土地改良区は、農地の維持管理や田んぼの用排水事業に関する重要な仕事をしています。全国の大きな河川はもちろん中小河川ごとに組織されています。角田市には 「あぶくまがわ水系角田地区土地改良区」があります。受益面積5千ヘクタールを超す県内有数の規模をほこる土地改良区です。その役員の一人として大会に参加しました。土地改良区の事業運営は、農地を持っている農家組合員の賦課金で運営しています。しかし、農地の基盤整備及び用排水施設の建設には多額な資金が必要であり、国土保全や食糧生産の安定供給の観点から公共性が高いということで多額の国家予算が投入されてきました。その予算執行にあたり生産現場での管理運営が土地改良区に委ねられてきました。その額は、平成21年度 5千7百円億でしたが、政権交代により 平成22年度の当初予算で2千百億円、実に一気に半分以下に激減されたという経過があります。この政策転換で 土地改良区組織に激震が走ったことはもちろんです。その後、再び政権交代したものの今年度の当初予算は、関連交付金を含めて3千5百億円と平成21年に比べてまだまだ少ないといえます。今回のTPP大筋合意に伴う国内農業対策との関連で土地改良事業費の増額を目指し今回の宮城県大会となったといえます。農政を推進するにあたり、 土地改良区は、行政と一体となり極めて大切な仕事をしてきたといえます。その反面、事業内容はもちろん、「土地改良区」という名前すら一般国民には殆ど知られていないということも事実です。また、事業推進にあたり多額の国家予算を要することから、予算獲得には極めて政治的要素を伴います。そのことから、政権交代に際し槍玉に挙げられ前代未聞の予算の大幅カットという事態を招いたといえます。確かに、土地改良区事業そのものが重要な仕事を担っているにもかかわらず、その運営が、閉鎖的で公務員感覚で事業推進を行っていることが大きな問題です。農業に対する農家組合員の意識そのものが大きく変わろうとしている今、土地改良区という組織も 役職員の意識改革をはじめ 身を削る努力をしないと社会的存在意義はないといえます。 雛段に国会議員先生を招き予算獲得のため気勢を上げるのも、問題意識を組織として共有するという観点からすれば、全く否定するものではありません。しかし、農業を語る時、常に対立軸を創ることでしか、自らの農業を語ることができない農業界の体質は一刻も早くあらためるべきです。 多額の税金を投入するからには、一般国民の皆様にも分かりやすい事業運営と事業の説明責任が求められて当然です。 また、国民の皆様も、自ら食する食料に対し他人任せではなく、食の安定供給に直結する農林予算に大いに関心を持ってほしいものです。 いま生産現場は、農業の担い手問題はじめ、先送りしてきた問題が一気に表面化し、驚くほどの速さで変わり始めました。その行き先が何処なのか。それが見えないのが一番の問題です。
いま信じられることは、これまで多くの税金を投入してきた国内の優良な農地を絶対に荒らしてはならない。それほど、日本人は馬鹿でないということだけです。


NO,253  田んぼ通信 平成27・11・15

秋晴れの下、うっすらと赤く染まった蔵王の山々がきれいに見えます。 
今朝の最低気温6度。北の山々から初雪の便りが聞かれるようになりました。週間天気予報を
みると、きれいな晴れマークが続いています。 8月のお盆から稲刈り期間中まで、一カ月余り続いた曇天と大雨の日々。 あれはいったいなんだったのだろうか、と思わせる秋晴れの日々が続いています。 苦労した今年の稲刈りも無事おわり、一息つく暇もなく、小粒大豆(すずほなか)の収穫作業にはいりました。 今年は、大豆の生育も一週間あまり早まっています。
 収穫の秋をむかえ、本来であれば一年で一番活気ある時期です。それが今年は、ちがいます。稲刈り時期、一反歩なん俵とれた、品質は一等だったとか、日々の暮らしの中でコメの出来具合が話題になります。 それが、話題にすらならないのです。昨日、農機具店で働いている知人が来て、この秋コンバインが一台も売れなかった、こんなことは、30年余り勤めていたが初めての事だと嘆いていました。 今年のお米の出来は、決して満足のいくものではありません。お盆までは、これまで経験したことのない猛暑日続き、それがお盆過ぎてからは、毎日が曇り大雨の日々。
どんなお米になるのかと心配の日々が続きました。つや姫は、上出来でしたが、 ひとめぼれは、例年よりも 白いコメ粒、(乳白米)が多く見られます。猛暑と日照不足の影響をうけたようです。
自然の贈り物。それが農産物です。お米を通して今年の、異常天候に思いを寄せていただければ幸いです。尚、食味的には問題はありませんので、安心して食べてください。
お米を取り情勢は、年々厳しさを増しています。それだからこそ、いいお米、喜んでいただけるお米をつくる。それが我が家の生き残る道。そう信じ、春の種まき以来、元肥もより吟味した肥料を使うなど これまでよりも気合を入れて田んぼに通ってきました。 終わってみれば、悔しさだけが残りますが、これも現実です。お天道様の下で暮らす。それが百姓仕事です。決していいわけしません。 人間の英知の及ばない、お天道様のご機嫌を現実のものとして率直に受け入れる。真正面から受け入れる。そのうえで来年の田んぼ仕事を思う。この通信を書きながら、来年の田んぼ仕事への思いが強く込み上げてきました。      ところで、平成27年10月6日。朝刊一面トップに TPP合意。 という大きな見出しが躍りました。国家の安全保障関連法案の審議も進みました。 昨今の相次ぐ日本人のノーベル賞の祝賀ムードに肝心の争点がぼやけてしまいましたが2015年は、日本国家において、歴史に残る大事な節目の年になるでしょう。 ただ、私が言いたいことは、クルマ産業など一部の産業界の話を聞いて 日本国家を語ってもらっては困る。 本気で海外で競争する気があるのなら、自らの立ち位置をしっかり固める。昔から、「腹が減っては戦は出来ぬ」といわれてたではないか。今やるべきことは、世界有数の豊かな自然に育まれた、良質な土壌を有する日本国土を最大限に活用し国民の食料確保を万全にすること。 安全保障を語るのであれば、先ずは確固たる食料政策を国民に問うべきだ。その議論がまるでない。 担い手確保といいながら、相変わらず農村社会福祉政策のみ。担い手が増えるどころか、ますます減るありさま。 食料産業としての農業を如何に強固なものにするか。それが、国家安全保障法案の根幹をなすべきです。そのうえで、武器を手にするか否かの議論をすべきです。生産現場では、田んぼは厄介者あつかい。米には ますます関心がなくなる始末。ここまでくると、 どう考えても これからの時代は、農業でしょうという思いが強くなります。 
TPPの問題にしても、いまさら農業への影響を語るつもりはありません。我が家の結論は、もうすでに出ています。これまで、これまで以上に一生懸命 田畑で働くこと。それが我が家の仕事。私には3人の男の子がいます。できることなら、息子達には農業で働いてもらいです。我が家の農産物、お米を待っている人がいる限り 田んぼに出てお天気様と共に働くだけです。 現実を、ありのままに受け入れる。そこからしか、未来は語れない。これからを生き抜く ためには、自分の生まれた土地で 生きぬく 覚悟があるのか。その腹が決まっているなら、やることは当然みえてくる。なにも、いまさら騒ぐことはないです。


NO,252  田んぼ通信 平成27・9・14

今年の新米です。  例年よりも早く収穫をはじめました。
先ずは、無事 収穫のご報告できましたこと、感謝いたします。 
田んぼの稲は、早生種のひとめぼれ が収穫時期を迎えています。
(つや姫は、晩稲で収穫は9月末から10月初めです。) 
晴天が続けば、すぐにでも田んぼに入りたいのですが、この天気では どうにもなりません。
前回の通信でも お知らせしましたが、稲の生育は例年よりも早く 今頃は収穫最盛期を迎えるハズでした。 それが、お盆に入ってから今日まで 天気が大きく狂いだしました。ここ4日間は、一日中 雨降り続いています。しかも、10日から11日にかけて台風17号と18号の影響でこの2日間で400ミリを超す記録的な大雨となりました。幸い 当地区では、最小限の被害で済みそうです。
ご安心ください。 お盆から一カ月あまり、青空がのぞいたのが数日です。 7月から8月初めまでの猛暑続が嘘のようです。 5月以来、天気が続いたので、その反動として天気が大きく崩れるのではと心配しましたが、それが現実となりました。
今年の天気は、異常つづき。 
そんなお天気さまの下、無事にお米になりました。 
天気は、まだ安定しません。 油断はできません。
少しの晴れ間をみて、収穫した新米です。
 新米を、味わいながら今年の お天道様に思いをよせていただければ幸いです。
 晴れ間が もどれば一気に収穫作業に入ります。


NO,251  田んぼ通信 平成27・8・16

 残暑お見舞い申し上げます。 連日猛暑が続いていますが、皆様お元気ですか。
ここ角田も例年になく 暑い日が続いていましたが、お盆に入り涼しくなりました。 
13日は、一日中雨が降ったこともあり日中の最高気温が、23度。その後お盆中は、にわか雨等も降り 蒸し暑いものの気温が30度以下の日が続いています。
天気予報では、エルニーニョ現象も発生し冷夏の予想もありましたが、予報は外れ、暑い夏となりました。 梅雨入りしてからも、カラ梅雨で先月末に梅雨明けするまで 雨が少なく気温の高い日が続きました。 高温と晴天が続いたことから、例年よりも10日あまり生育が進んでいます。 7月21日には出穂が始まり7月末には、「ひとめぼれ」の田んぼは 穂揃い期を迎えました。7月中に、殆どの田んぼで、穂が出揃うということは近年にない事です。いま田んぼの稲は、稲穂が頭を垂らし色付きはじめました。このまま残暑が続けば、9月初めには 稲刈りが始まります。  9月10日前に稲刈りが始まることは、経験ありません。 今年の暑さは、異常です。 連日の真夏日、8月8日、9日には連続して猛暑日を記録。 日々の挨拶は、「きょうも あついナイン」。 テレビでは、連日 高温注意報、 熱中症予防の呼び掛け。稲にとっても、この猛暑はよくありません。 日中は、少々 暑くなってもいいのですが、夜も高温が続くと実りは良くありません。夜が暑いと、 日中に貯めこんだエネルギーがコメ粒にならず、呼吸に使われ消耗するからです。コメ粒が小さくなります。どんなお米に仕上がるのか心配になります。 前回の通信を書いてから、この一カ月は、田んぼ仕事もありましたが、大豆畑の管理作業が主でした。いま大豆畑は、花盛り。紫の可愛い花がいっぱい咲いています。大豆の生育適温は、30度から35度。猛暑が続いても元気いっぱい。 日増しに大きく育つのが、目に見えます。大豆の生育と共に 雑草も元気に育ってきます。 雑草退治は、除草剤による処理とトラクターで中耕・培土作業の体系処理でおこないます。作業のタイミングが遅れると、雑草に負けてしまします。高温時期ですので、雑草も勢いよく育ちます。 油断するとあっと言う間に雑草だらけ。毎年、2回の中耕・培土作業をしていましたが、今年は、いままでになく手をかける事にしました。中耕・培土作業も一回増やし3回することを目標としました。この間、 雨が少なかったため、予定通り作業を進める事が出来ました。 農作業は、作物の生育に合わせて仕事を進めます。雨が降ろうが、猛暑が続こうが、作物の生育と共に早めの作業を心がけます。それが、農業の鉄則です。この暑さの中でも、仕事を休むことはできません。夜明けを待って畑へ直行。朝の涼しい時間帯に 少しでも作業をすすめます。それでも、仕事をすると頭から汗が吹き出し 作業服は汗でびっしょり。猛暑の最中には、一日 三回下着を着替えます。仕事の合間、 畑からトマトを取って来て 塩をたっぷりかけそのまま皮ごとがガブリ。 これがなんともうまいのです。 午前中は、仕事をしますが、さすがに猛暑の最中、野良仕事は休み。朝仕事をしますので、午後3時頃まで 仕事を休み昼寝をするのが日課となります。 昼寝をするにも、暑いと満足に寝る事ができません。 我が家には、エアコンがありませんので全ての窓と戸は全開。 家の中には不思議と風の通り道があります。 家の中を通り抜ける風が、これがなんともいえない心地よさ。 猛暑日であっても、家の中を吹き抜ける風が涼しく感じ、眠ることができます。 エアコンのない生活をしているせいか、冷房の利いた部屋に長くいると、体の調子が悪くなります。 車もエアコンを使わず、窓を全開にして走ります。7月末に目黒区のサマーフェスティバルに参加するため上京しましたが、東京の暑さは別格です。ビルの谷間から吹く風は、正しく熱風。あれでは、エアコン抜きの暮らしは考えられませんね。 同じ30度を越える気温でも暑さの質が全然違います。田舎暮らしでは、猛暑日でもエアコンがなくても涼を求めて暮らすことができます。 今年も、もうすぐ稲刈りが始まります。 田植え以来、雨の少ない日が続いています。天気は、一年を通して帳尻が合うように出来ています。 これからが大切な秋の収穫時期を迎えます。長雨が心配になります。お天道様を信じ、収穫の準備をはじめます。


NO,250  田んぼ通信 平成27・7・16

 暑中お見舞い申し上げます。 一昨日の最高気温が、37度。昨日も33度。ここ数日 猛暑が続いています。 皆様、お元気ですか。  今朝は、朝から雨が降っています。朝から雨が降るのは久しぶりです。蒸し暑い朝です。 台風11号が日本に向っています。 西日本各地は、大雨の被害が連日報道されています。大きな被害がないことを祈ります。 東北南部の梅雨入りは、先月26日でした。これまで梅雨空が続いたものの、まとまった雨は降らず降水量が少ない状態が続いています。 さて、今月はじめに 大麦の出荷を無事終えました。昨年は長雨の影響で、 検査に合格した麦がゼロ。散々な結果でした。検査が終わるまで安心できません。 結果は、品質・収量共に上出来でした。百姓をはじめて40年が過ぎます。検査や試験の結果を待つ独特の緊張感は、何十年経っても同じです。 ホット一安心。農作業そのものは、毎年同じことの繰り返しです。この緊張感があればこそ、来年に向かってあらたな意欲が生まれるのかもしれません。二毛作の大豆の種まき作業、その後の中耕培土作業も 天候に恵まれ順調に進んでします。農作業は、お天道様の下の仕事。お天道様の機嫌がいい時に、出来るだけ作業を進める。 作物の成長に合わせ、常に早めの作業をする。昔、篤農家といわれた人の言葉。 「草を見ずして草を取る」この言葉の意味が、多少なりとも実感できる歳になりました。 凡人の私には、これがなんとも、言うは易くいざ実行となると難しいです。 経験から早めの農作業ができた時は、作業時間はかからず、無駄な経費もかかりません。しかも、作物の生育も上々で収入も安定し増えます。このことは、農作業を通して痛感します。それが百姓です。常に、田んぼや畑仕事が頭からはなれません。それが、私が思うあたり前の百姓の姿です。 その暮らしに、ストレスを感じる人は百姓にはなれない。そう確信します。 それでも、還暦を過ぎ 小さくとも農業という事業の承継と我が家の承継を考える歳になりました。 いろいろ思いを巡らす時も増えました。いま、我が家も会社組織にしようと真剣に考えています。果たして法人経営にして、農業に思いを寄せてきた我が家の先人の思いを承継出来るのか。 農業経営の基本は、生業です。その思いは、今でも少しも揺るぎません。それでも、時代が大きく動き出した今、激動する世の中で生き残るための ひとつの手だてとして、法人経営を真剣に考えています。私の周には、何代も続いてきた農家がたくさんあります。一般的に、同じ職種で100年以上続く企業は、少ないといわれています。 農家では、100年以上続く家は、たくさんあります。 百姓だからこそ倒産はないのだと思っていました。それが、いま、田んぼ仕事を諦め、家そのものも 後継ぎがない農家が珍しくなくなりました。農家の廃業が身近にみられるような昨今です。このままでは、田んぼにかけてきた、先人達の思いも地域で承継すら出来なくなる。そんな危機感があります。時代を越えて農業という食料生産を担っていく。それが我が家に与えられた役割です。 そのためにも、時代を見据え、事業のやり方も変えていくのは、当然のことと考えるようになりました。  ところで、先日 旧知のマスコミ関係者が訪ねてきました。お互い情報交換をし、有意義な時間を過ごしました。その中で、彼が言うことには、食品の原産地表示が義務づけられ、原料の原産地が分かるようになった。最近気が付いたことだが、パンの表示にアメリカ産小麦使用と表示しているのは見たことない。おかしいではないか。国内で食べられているパンやケーキ等 小麦粉を使用している食べ物の殆どは輸入品だ。それも、アメリカ産麦を大量に消費しているはず。それなのに、アメリカ産麦を使用とは表示していない。終戦直後のアメリカの戦略として、キッチンカー等を導入し、戦略的に日本国民に小麦粉を食べさせた歴史がある。食卓の西洋化に伴い、パンを日常的に食べることが当たり前となった。日本人の胃袋はアメリカ産の食べ物で満たされている。それを、日々実感するためにも、パンなどの小麦粉食品表示にアメリカ産小麦使用という表示を徹底させるべきではないか。 そういえば、我が家の米でさえ、生産年、品種、
生産県の3点セットの表示を徹底するよう行政指導が強化されました。それなのに、アメリカ産と表示しないのは本当におかしな話です。これから、機会あるごとに声を出していきます。


NO,249  田んぼ通信 平成27・6・15

田植え以来 いい天気が続いています。 昨年、6月10日前後に天気が大きく崩れ、収穫皆無となった大麦の収穫も無事終わりました。 麦は、登熟期間に30度以上の高温が続くと実りが悪くなるといわれています。今年は、4月下旬に真夏日を記録する等、田植え以降も 連日夏日を記録するなど 雨が少なく高温の日が続きました。収穫作業も例年になく早く6月1日に始まり、5日には終わりました。こんなに早く収穫作業が終わったのは初めてです。
 あまりの高温続きで今年の麦は細麦になると心配しました。 農作業の目安にしている 御諏訪神社の筒粥目録の 麦の作柄も5分作。 極端に悪いお告げです。今年も麦はダメかと思っていたところです。しかし、調整作業が終わった近所の仲間の話では心配したほど実入りは悪くないといいます。我が家では、二毛作の大豆の種まき作業の関係で収穫したものの、まだ調整作業はしていませんが、少しは希望が出てきました。外の農作業が優先です。麦の調整作業は後回し。先ずは、二毛作大豆の種まき作業と田んぼ仕事が最優先の農作業の毎日です。農業は、常にお天道様と向き合っての仕事。特に米や麦・大豆などの穀物の出来は、実りが大きく影響します。体を大きく育てても、収穫が多いかと思えば決してそうではありません。お天道様の恵みを、最終的に実りとして結実するための丈夫な体を如何につくるか。どうしても、体を大きく育てる事に関心を持ちます。お天道様のエネルギーを効率的に実りとして蓄える事が出来るか。それが、農業です。理屈では、なんとなく分かったつもりでも、それを形にするのは難しいことです。百姓はじめて40年が過ぎた今でも、正直わかりません。 分かった事は、土を作ることが一番。そのためには、田んぼや畑に真面目に通うこと。毎年、少しずつ土が元気になるための作業を積み重ねること。不真面目な私には、これがまた大変なことです。 それでも、最近、田んぼや畑に通うことが、楽しく感じることが多くなりました。種まき作業準備等、本格的な田んぼ仕事がはじまる三月から今日まで、いそがしい日々が続いています。行政区長も引き受ける等、ますます雑用も多くなりました。農作業と関係機関の諸会議、行政区長関係の雑用などの会議・会合。  この三カ月余り、ほとんどゆっくり休む時間がありませんでした。私にとって、農作業以外の諸会議・会合は、お遊び時間。唯一、ホットできるのが朝夕の、時として現れる 素晴らしい景色。 朝日に輝く蔵王の山々。夕日に映える、里山の風景。わが郷土の素晴らしい景色を ひとりじめ。 なんともぜいたくな時間が過ぎていきます。 一日のはじまりは、パソコンに向かい天気予報を確認。その日の農作業の手順をきめます。今の時期が一年で一番昼の長い季節です。 朝3時半を過ぎると夜明けます。4時には、仕事が出来ます。夕方も午後7時半頃まで明るく仕事が出来ます。 寝ている時と食事をしている時間以外は、農作業。一日15時間働く時も続きますが、あまり苦にもなりません。それどころか、農作物は生き物。収穫が終わるまでは、日々育ち続けます。その時々に手入れをしないとうまく育ちません。手入れ次第で収穫も大きく変わってきます。生活がかかっています。次から次と仕事が待っています。田んぼ、畑が待っています。最近、となりの集落に新興住宅地が整備され新しい住人が増えてきました。 田んぼ道は、絶好の散歩コース。 朝5時前には、ウオーキング姿を見かけるようになりました。正しいウオーキングの方法があると聞きました。田んぼ仕事をしながら眺めていると、なんともぎこちなく歩く姿をみかけます。健康のためにやっているのだとはわかりますが、あれでは疲れるだろうな、長続きしないだろうなと勝手に思ったりしています。 それでも、こっちはジョギングやウオーキング等の時間は、とれません。 ものは考えよう。毎朝の 田んぼの見回りであぜ道を小走りで見回るのも、ジョギングと思えば一石二鳥。朝夕の日々変わる景色を眺め、時として心から感動する時間を、贅沢な時間と思えば最高のひととき。百姓仕事を、仕事と暮らしを同時に満喫しながら生活する時間と思えば なんとも楽しいです。最近、一年中 暇なく働く姿をみて、体に気をつけろという言葉をかけられるようになりました。還暦を過ぎ、ますます農作業も雑用も忙しくなりました。毎日を生きる事に精一杯の日々が続きます。  やるしかない、でしょう。


NO,248  田んぼ通信 平成27・5・16

 早朝 雷と共に激しい雨が降ってきました。いまも 小雨が降っています。
久しぶりの雨です。 雨音を聞きながら、通信を書いています。 ゆっくりした時間を過ごすのは、一カ月ぶりです。 きのう今年の田植えが終わりました。 予定していた25ヘクタールの田植え作業を無事終える事が出来ました。 先月はじめの種まき作業に始まり、田植えが終わるまでの2カ月余り。 暦とお天道様のご機嫌を窺いながらの日々が続きました。今年は、4月中は雨が多く、田んぼに入れず春の農作業が大幅に遅れました。 先月の28日は用水開始です。 
田んぼに水がやってきます。 毎年 ほぼ同じ時期に天候にかかわらず用水が始まります。 用水が始まるまでには、砕土作業や元肥散布などやるべき仕事あります。 それが、雨が多く田んぼに入れないのです。先月の後半になり天気が続いたものの、暦との勝負です。 早朝から夜までトラクター仕事を続けたものの、砕土作業ができない田んぼもありました。 それでも、なんとか無事田植え作業を終える事が出来ました。 毎年の事ですが 春の農作業は、育苗管理から 田植え作業まで毎日が緊張と体力勝負の日々が続きます。 田植え作業は、田んぼに水を入れ 田んぼを均す代掻き作業をしないとできません。代掻き作業を如何に進めるか。用水開始から5日間は、長男と二人で代掻き作業をやり、その後、代掻きは私が、 田植え作業は、長男がします。我が家では、作業の効率をよくするため、耕地の集約化を図り、 出来るだけ一枚の田んぼを大きくしてきました。 一番おおきい田んぼで一枚1.2ヘクタール、ほとんどが60アール以上の田んぼに整備。転作田を含めて30ヘクタールの田んぼがありますが、その5割が 一か所2ヘクタールに集約してきました。 田んぼ仕事のほとんどが、機械化されました。経営面積の拡大と共に、機械も大型化します。 大型機械を効率的に使うためには、一枚の田んぼを大きくする必要があります。昨日で、田植えが終わりましたが、最後に残った田んぼが一枚10アール。それも数か所にバラバラです。 面積にして1ヘクタールあまり。最終日ということもありましたが、約一日がかりでした。 一枚 1ヘクタールの田んぼであれば、二時間もかからず終わってしまいます。 今年の大型連休は、6日まででした。 特に連休後半、3日から6日まで の四日間が勝負です。 田植え作業は、高性能機械を導入したことにより、10アール 10分もかからず植えてしまいます。しかし、機械の能力を最大限に生かすためには、苗の補給を如何に効率的にするかが大きな課題です。 育苗ハウスから苗を運ぶ、機械に効率的に補給する。育苗箱等の資材を片付ける。 一連の作業を如何に効率的に進めるか。  それには、多くの人手が必要です。 幸い、毎年 大型連休中は 多くの親戚が手伝いに来てくれます。 大変ありがたいことです。 今年は、4日間で13ヘクタールの田植えをしました。天候にも恵まれ、大型連休中に半分の田植えをすることができました。 仕事は、半分を過ぎると気が楽になります。 ところで、米をめぐる情勢は、激変の時代を迎えました。それを、反映するかのように田植えの風景も大きく変わりました。 例年ですと、大型連休中 田んぼは、多くの人で賑わうのですが、今年はそれがありませんでした。 この傾向は、ここ数年 感じてきたことですが、今年は特に感じます。 多くの農家が米作りを止めて、田んぼに来なくなったのでしょう。 ひと昔前まで、集落全ての農家が規模の大小を問わず米作りをしていました。 田植え時期ともなると、夜明けを待って競って田んぼに行ったものです。集落全体が活気に満ちたものです。そのエネルギーで、田植え作業が進んだといえます。田んぼ仕事の進み具合が、挨拶がわりでした。いまは、ありません。時代と共に農作業のあり方も、大きく変わろうとしています。 それは、同時に 田んぼへの思い、お米への思いも変わることを意味します。 さて政府は、今年から家畜の餌となる米の生産を大々的に進める事になりました。米の生産過剰対策の一環として田んぼの米を家畜の餌にするのです。エサ米としての専用品種もあるのですが、まだ種子の供給が間に合わず、 ひとめぼれ、まなむすめ等の主食用品種もエサ米として栽培する事になりました。 米作りも、大きく変わろうとしています。田んぼで生き残るため日々模索が続いています。


NO,247  田んぼ通信 平成27・4・15

 今月の二日から種播き作業をはじめました。一回730枚、8回に分けて種まき作業をします。
昨日まで5回の種まき作業が終わりました。毎年の事ですが、育苗は最も緊張する時です。毎朝 起きると直ぐにハウスに直行。おもわず おはよう!と声をかけます。 最初に播いたハウスは、緑のジュウタンを敷き詰めたように綺麗に育っています。 ことしも 本格的な米作りが始まりましたが、まわりの様子がいつもと違います。 春の忙しい農作業の時期を迎えたというのに、活気がありません。 この時期になると集落全体がなんといえない緊張感が漂っていました。早朝からトラクターのエンジンが鳴り響き、村全体が活気づいたものです。 私の集落は 2ヘクタール前後の比較的規模の大きい農家が多いのですが、世代交代と共に、米作りを止める農家が多くなりました。昨年からこの傾向が顕著になりました。田んぼは、いらない、条件の悪い田んぼは、タダでもいらない。この春、立派な田んぼと畑2ヘクタールまとめて2百万円で買ったという話。なんと坪300円。山間地のどうしようもない田んぼの話しではありません。圃場整備の済んだ立派な田んぼです。 田んぼが厄介者の時代になってきました。あまりの低米価と農業情勢の激変に生産現場が悲鳴をあげています。 それでも、少し冷静に考えてみれば、このような馬鹿げた時代が続くわけありません。田んぼ、畑は、人間の命を育む食べ物を生み出す大切な宝物。まともな人が育つには、まともな食べ物をたべること。まともな食べ物は、立派な田んぼや畑があってこそ育つもの。 時代が如何に変わろうとも、この事はかわらないと信じています。農作業は、季節と共に毎年おなじ作業を繰り返します。コンピューターが農作業にも駆使される時代になりましたが、お天道様をコントロールできないかぎり、コンピューターでまともな食べ物はそだちません。 農作業は、お天道様のご機嫌を窺いながら、暦と共に日々の農作業を積み重ねる地味な作業の連続です(昨今は、世の中の情勢にも気配りが必要な時代になりましたが)。それが、百姓仕事です。 いま、桜が満開です。 例年よりも早く咲きだしたものの、ここ10日あまり寒い日が続き満開の状態が続いています。 また、この春は数日おきに雨が降り、田んぼが乾かず田んぼに入れず農作業が遅れています。 今月28日には、用水がやってきます。田起し作業もまだ残っています。元肥散布等も待っています。天気が続くことを祈る日々です。
 ところで、今月から行政区長となりました。 4月1日朝。玄関に市役所から月一度の配達文書が届く。それも、山積み。 これにはビックリ。今日から行政区長が始まるのだと実感。私の集落は、戸数70戸の小さな部落です。行政区長は、集落内の小間使い役的存在。困り事の相談から行政関係の諸行事まで出席を求められます。 覚悟はしていたものの、忙しくなることは確かです。与えられた仕事を、毎日ひとつずつやるだけです。 早速、8日中学校入学式・9日小学校入学式・10日児童センター入館式の三日間連続で招待されました。 8日の北角田中学校入学式。我が母校です。北角田中学校は、北郷小・東根小・桜小・西根小の四つの旧村の統合中学校です。面積的には、角田市の半分以上を占めるでしょう。学校の入学式は、数十年ぶりです
出席して驚いたことが三つありました。ひとつ、 入学生の数の少なさ。 入学者総数76名。 角田市は旧7つの町村が集まって出来ました。その半分の村が集まっても、たったの76名。
北郷村の同級生は、86名でした。子供の数の少なさを実感しました。ふたつ、 入学生の名簿をみて、びっくり。 生徒の名前が読めません。 ハイカラな名前が ならび自分の教養では読めないのです。 なんということか。三つめ。 両親がそろって、入学式に出席している。今どきは、当たり前だといいます。自分の時代には考えられません。それほど、学校には縁がない生活を過ごしていたということか・・・。二日目の小学校入学式。中学校の入学式と違って 微笑ましい雰囲気が漂います。北郷小学校の校歌は、自然に口から出てきました。考えてみれば、自分の子供達の小中学校の入学式の記憶がないのです。PTA活動はほとんど、家内まかせ。それが、他人の子供の入学式に出ることになるとは。それも、家内は児童民生委員の代表として三日間夫婦揃って入学式会場にいました。なんともいえない入学式でした。


NO,246  田んぼ通信 平成27・3・16

3月11日、午後2時42分。市役所の防災サイレンが鳴り響きます。種モミの塩水選作業の手を休め、家族揃って東の空に向い黙祷を捧げました。 4年前の同じ日、家族で塩水選作業をしていました。これまで経験しなかった大きな揺れと共に東日本大震災が発生。あれから4年が経ちました。我が家では、毎年3月10日を目途に塩水選作業をはじめます。今年は、小雪が舞う寒い中の作業となりました。4年前も雪が舞う寒い日でした。 大震災に伴う大津波を受けた沿岸部は、震災当時の瓦礫は見られなくなったものの、復旧、復興の最中です。まだ多くの人達が避難所暮らしを続けています。 津波被害を受けた田んぼは、瓦礫処理も終わり1枚1ヘクタールの大型圃場に生まれかわり、大規模稲作経営が次々に生まれようとしています。また、最新のコンピュータ管理による温室団地が建ち、新しい農業への挑戦もはじまりました。 多くの問題を抱えながらも、津波被害を受けた仙台平野から次世代の日本農業のモデルが生まれる事は確かです。  さて、3月は各種会合の総会の時季です。米どころ東北地方の農村にあって、大切な組織のひとつが農協組織です。つい最近まで、規模の大小はあってもどこの農家も、田んぼを耕作しコメを出荷していました。コメを出荷するうえで、農協は欠かせませんでした。平成11年に新しい農業基本法が生まれてから15年が経ちます。その中で専業的農業経営体の育成も大きな課題としてあげられています。協同組合としての農協と 自立した農業経営体の整合性をどこに求めるか。 今、農協改革が叫ばれ大きな政治問題となっています。JA全中は、農協組織の問題だとして自己改革という言葉に活路を見出すという提案をしました。 結論から言えば、「いまさら何を言っている」という感があります。今回の農協改革問題は、巨大組織に安住し 組織を構成している末端の組合員の声に耳を傾ける事なく、合理化だけを求めてきたことにあります。 うわべだけの協同精神を口実に、実際は企業論理に基づいた経営手法にその改革手法を委ねてきたことに原因があります。 協同組合運動とは、時間をかけ繰り返し、繰り返し話し合いを積み重ねることだとよく聞かされたものです。 それが、全中がシナリオを書いたものをただ単に、単協に下ろし末端組合員の声を聞く機会を省略し組織決定だという。組織合理化の名のもとに過去の歴史を総括することなく、組織の合併・統合にひた走る幹部役員。全く形骸化した組織運営に対し、なんら疑問すら感じることなくなった無責任な組織体制。 この春、強固な組織運営を維持してきた旧角田市農協管内の末端 農家組合のひとつが正式に解散したという話が聞こえてきました。 また、我が集落の農家組合も組合運営の基本である班の存在に対する農協との認識の違いから、農家組合解散の話しが出ています。 これまでに、形骸化してしまった農協に対し、組合員の一人として責任を感じつつ、あまりの体たらくに唖然とするばかりです。 ところで、昨日 行政区の総会がありました。 戸数70戸、世帯数76の小さな集落です。役員改選があり、行政区長に選ばれてしまいました。 集落(部落)は、昔から自治組織の中でも最も基本的、かつ大切な組織です。それをまとめる区長は、集落内のあらゆる相談事や行政とのパイプ役をしなければなりません。 児童館、小中学校の入学式、卒業式はもちろん、地域自治センターの各種行事、消防団の演習などに招待されます。いわば、名誉職的存在でもあります。自分もいつの間にか、そんな歳になったのかと思いましたが、仕事の事を考えると、断ろうと思いましたが。 いま我が集落の最大の課題は、築60年を超える公民館の建設問題があります。ここ数十年来、建設の話は出たものの、話しはまとまらず今日まできました。4年前の大震災を耐えたものの、方々に傷みが出てきました。各種団体の会合の場やこれから予想される災害時の避難所としての公民館は、是非とも必要な施設です。それは、誰しもが分かっているものの、最大のネックは建設資金をどう確保するかです。最低でも千万円以上かかる建設資金をどのように捻出するか。今回の区の総会で、区民の総意で公民館建設する事を決定しました。我が集落も、高齢者世帯が年を追うごとに多くなります。しかも、年金暮らしの世帯も目立ってきました。一世帯に公平な建設資金をお願いしても、拠出困難な世帯が予想されます。 建設資金をどのように確保するか。区長としての私に与えられた大きな責務です。 建設資金の目途が立ち次第、一刻も早く建設にとりかかる考えです。 ますます忙しくなります。


NO,245  田んぼ通信 平成27・2・15

 立春(4日)が過ぎたというのに寒さが続いています。 それでも、日差しは確実に明るさを 増してきました。夜明けも早まりました。 先月30日に、20センチを超える雪が降ったものの、田んぼの雪は融けました。 しかも、田んぼの土は、凍みていません。今の時期、こんなことは珍しいことです。 正月いらい例年になく暖かな日が続いています。 それでも、人によっては 今年の冬は寒いね、という言葉も聞かれますし、畑のネギが凍った、これまた珍しいという話を聞きます。作物的には、生育が遅れ気味ということもありますので、極端に寒い日はないものの今年の冬は、相対的に寒いといえます。このことは、民間気象学を学んで農業資材を扱っている我が友人によれば、理論的に説明できるといます。 詳しいことは省略しますが、太陽から発せられる送光熱量がこの冬、少ないからだというのです。送光熱量が足りないから、天気が続いても気温が上がらず、湿度も高いのだというのです。 それが証拠に、作物の病害虫発生を観察すれば分かる。ハウス栽培をしているイチゴ等に、空気が乾燥している時に発生しやすい、ダニやウドンコ病の発生がいま少ないといます。 彼が言うことには、太陽から発せられる送光熱量は、金星の動きによって変化するという。これは、太陽を回る金星の動きが 楕円形の軌道であるため、その動きによって太陽の活動も変化するといいます。 太陽の活動が活発になれば、太陽の送光熱量も多くなり、熱量も多くなる。逆に弱くなれば送光熱量も少なくなる。 太陽の活動は、黒点の動きにも影響されることは知られていますが、金星の動きも大きく影響しているといます。 金星と太陽の関係は、近日点、遠日点として表され、去年の12月が丁度 一番遠い遠日点にあたり熱量が少なく、これから春に向かって少しずつ近日点に向かっていて送光熱量も大きくなるので乾燥してくるというのです。 金星の周期は224.7日でその間、近日点と遠日点は交互にやってくるといいます。 実際には、金星の動きだけでなく他の天体の動きも複雑に関係するので予測は難しいが、金星の動きを理解する事で、病害虫の発生も予測できるというのです。 ここ数年、彼の話しを参考にしながら、栽培計画を立てるようにしています。確かに、この原理は実際に農業をしていて実感できます。 病害虫が発生し、農薬を散布してもなかなか病害虫が収まらない時は、遠日点が多いです。 お天道様の動きを無視しては、農業は語れません。少なくとも気象庁が発表する長期予報を参考に農業をする気持ちはありません。自然の摂理と向かい合って培われてきた 民間気象学と御諏訪神社の筒粥目録を参考に今年の営農計画を立てるのが今の時期でもあります。 天候がおかしくなっているのは確かです。しかしながら官民問わず天気予報はあくまでも目安です。 安定した農業を続けるための基本は、土づくりです。昔から言われてきた事です。土づくりは、永年の積み重ねの賜物です。しかも土づくりは地道な仕事です。今年も、積み重ねるだけです。 ところで、いま農協改革が大きな話題になっています。2月10日付、地元紙 河北新報の一面に「農協60年ぶり抜本改革」ということで大きく報道されました。その関連記事で「反発・期待・東北に濃淡」という見出しの中で{・・・最終盤の折衝で、全中は農家以外の準組合員に対する利用制限見送りと引き換えに、改革を受け入れる形になった。角田市で32㌶の田んぼを耕す専業農家面川義明さん(61)は「金融部門など準組合員の存在なしに組織を守れない現実を浮き彫りにした。厳しい現場にいる組合員との間に温度差があるのではないか」と冷ややかだ。「担い手を支える農業団体へと変わるスタート地点にしなければならない」と面川さんは語り、「消費者との合意による持続可能な食料生産を再構築するため、政府は明確な道筋を示してほしい」と注文を付けた。・・・} という私のコメントが載りました。 決して農協を否定するものではありません。それでは農協が農業本来の役割である、国民の命に直結する食料生産の安定供給組織としてこれからも存在出来るかというと大いに疑問を持っています。今回の農協改革は、いろんな考えがあります。改革は始まったばかりです。社会的存在意義のない組織は、将来共に存在出来ないという厳粛な事実があります。いずれにしても結論は農民自らが出すでしょう。


NO,244  田んぼ通信 平成27・1・12

 あけましておめでとうございます。
新年早々、寒波の襲来で北海道や北日本各地から大雪の便りが届いています。 同じ北国でも 東北南部太平洋側に位置する角田は、全く雪のない正月を過ごしています。しかも、暖かな新年を迎えました。    1月11日は、農のはじめ。
 毎年 11日の朝。日の出前、今年の稲作に使う種モミにお供えしていた、正月飾りのオガンマツを田んぼに持っていきます。昔 田起しに使っていた 田起し鍬で田んぼを数回起し、藁を敷きその上にオガンマツを飾ります。 朝日に向かって 今年一年の豊作と農作業の安全を祈願しました。 今では、ほとんどみかけなくなりましたが、昔は、どこの家でもしていたものです。我が家は、稲作農家。  本格的な農作業を迎えるにあたり、決意をあらたにする思いを込め、ささやかな行事ですが毎年欠かさず続けています。  
今年も農作業がはじまりました。 それにしても、今年の正月は、暖かすぎます。 
米作りをはじめて、40年が経ちます。年々、温暖化が進み暖かくなってきたというものの、 農のはじめの朝、田んぼはカチンカチンに凍みているものです。それが、田起し鍬で耕しても全く凍みていないのです。 こんなことは、初めての経験です。 夏の天気が 心配になります。
 2015年・平成27年もスタートしました。お天気も心配ですが、世の中の動きも心配です。
全ての面で、激動の時代を生きることになります。 その覚悟があります。 お天気や 世の中の動きは、田舎の田んぼに立っていて、いくら思いを巡らせてもどうにもなりません。 
どうにもならない事は、考えない事にします。 しかし、時代に流される生き方だけはしません。 天気や世の中の動きの予想は、情報収集や学習する事で田舎にいても出来ます。
過去の経験と学習する事で、ある程度は対応できます。
問題は、現実を素直に受け入れ、如何に向き合い、主体的にどう行動するか、出来るか。
これまで真面目に勉強しませんでした。60歳を過ぎた今、遅ればせながら ようやく気付くことができました。  自分を大切にする生き方を求めて、本気で真面目に勉強します。 
 農業をしていると、一年中 仕事があります。農作物は、生き物。百姓で生きている限り仕事が続くのはあたりまえです。 幸い、我が家は 米と麦・大豆が主な作物。 冬の間は、比較的 時間的余裕があります。 正月から2月まで いろんな思いを巡らせる時期でもあります。
 年賀状は、年内中に準備し、正月元旦にお届けしなければなりません。毎年 年賀状をいただく皆様には申し訳ないと思いつつ、新年を迎えての 思いと自分自身を鼓舞する意味で新年を迎えてから年賀状をお届けしています。   今年の年賀状です。
あけましておめでとうございます。  昨年は何かとお世話になりました。
  角田は雪のない穏やかな新年を迎えました。
 昨年12月に角田市主催の防災士資格試験講座に参加する機会がありました。いまさら、資格取得には興味はありませんが、最近のたび重なる災害を目の当たりにして基本的な知識だけは確認したいとの思いがあり受験する事にしました。講座の最後に資格試験がありました。試験と聞くと自ずと緊張します。分厚い防災士教本との格闘の日々、何十年ぶりの延べ20時間に及ぶ座学形式の講義。 久しぶりに緊張した日々を過ごしました。そこで学んだことはただ一つ。「大いなる自然の営みに畏敬の念を持ち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」すなわち国民一人ひとりが自らの命を守ることに自覚と責任を持つ。 
ところで、時代が大きく動き出しました。激動の時代を迎えました。米作りの現場も大きく変わります。     不思議と不安はありません。
どんな時代になっても、百姓としてやるべきことが決まっているからです。 貪欲に土を肥し、よりよい農作物を安定して供給する。田んぼにこれまで以上に通うこと。 本年もよろしくお願いいたします。

     平成27年   元旦