NO,279  田んぼ通信 平成29・12・17

 今年も残すところ2週間あまり。 あっと言う間に一年が過ぎました。今年も無事にお米を お届けできましたことを感謝いたします。 この一年を一口に言えば、「天気がおかしくなった」。 雨が降らない日が続いたとおもうと、曇天、雨続き。 高温多照の日々から記録的日照不足の 毎日。 50年に一度の異常気象が、日常的になり異常が異常でなくなりました。お天道様のご機嫌が特に悪かった一年でした。 常に、お天道様のご機嫌と共に農作業を進めるのが百姓仕事。 お天道様と共に育つのが、稲や麦・大豆など農作物。 当たり前のことですが、お天道様のご機嫌によって作柄が決まるのは当たり前です。 当たり前のことが、当たり前に思える一年でした。 それにしても、ことしのコメは不作、大豆こそはと期待したものの雨続きで最悪の結果。散々手入れをした挙句に、最後の最後にダメになる。これもしょうがないことだと諦めるしかありません。
   机の前に、毎年小正月に行われる作占いの神事、お諏訪神社の「筒がゆ目録」が貼ってあります。むぎ6分・まめ6分・中て6分・おくて8分。今年は、お諏訪神社様のお告げの通りの作柄でした。「百姓の来年」という言葉をかみしめ、田んぼ仕事を急いでいます。  ところで、農業関係団体の一つである、全国農業共済新聞より、来年度からコメ政策が大きく変わるので現場の声をということで、新年号「論壇」に寄稿を依頼されましたので、その原稿を載せて今年最後の田んぼ通信とします。
   よいお年をお迎えください。

 全国農業共済新聞 30年新年号 原稿 今年で45回目のコメ作りを迎える。 私の稲作人生は、常にコメの生産調整農政と共に歩んできたといえる。 国による生産調整(減反政策)が廃止されるという。 田んぼ一筋に生きてきた稲作専業農家として率直な意見をのべたい。  米の減反政策がなくなる? 稲作農家にとっては減反政策以来の重大な出来事である。いま、村の中には高揚感はない。話題にもならない。ここ数年の稲作をめぐる状況の変化に驚くばかりだ。減反政策が始まった当時、マスコミ等にも取り上げられ大きな社会問題となった。それ以来ムラ社会にあって減反政策を無視して米を作るということは、「村での孤立」を意味する農政が続いてきた。その間、昭和63年に特別栽培米制度開始、平成7年に新食糧法が公布、平成16年には食糧法が改正され認定生産調整方針作成者による生産調整開始。政策目標は、時代と共に変わってきた。 しかし実行された政策実態は、掲げられた政策目標とは、乖離したものだった。私は、特別栽培米制度にのっとり、当時の食糧事務所の認可を受け消費者へのコメの直販をはじめた。この24年間、毎月欠かさずたんぼへの想いをしたため、お米と一緒に消費者の皆様に届けている。田んぼ通信は、今月で279号を数えるまでになった。また、平成16年に認定生産調整方針作成者による生産調整制度がはじまると同時に国に申請し認可を受け現在に至っている。この制度が発足以来14年目を迎えようとする。多くの農業関係者でさえ「認定生産調整方針作成者」という言葉の存在すら知らない現実には唖然とするものがある。如何なる政策目標を掲げても、実行された政策が大きく政策目標と乖離するような農政をこれからも続けるのであれば国民を欺く農政といえる。  特にコメ農政は、産業政策と農村社会福祉政策が一体となって推進されてきた。それ故に、アクセルとブレーキを同時に踏む農政などと揶揄される分かりにくい農政が続いている。現在、70戸余りの小さな集落の行政区長や農業団体の役員をしているので稲作が地域社会と密接な関係があることは理解できる。しかし、責任の所在を曖昧とする農政手法では、稲作の未来はないと感じている。これまでのコメ農政で最大の欠点は、次代を担う若い稲作経営者を育成できなかったことだ。  昨年2月、我が家は法人成りし「面川農場株式会社」として再出発した。次男が設計事務所を辞め経営に参画することになったのを機に、家族経営から躊躇なく法人経営に移行した。 職業としての経営環境を創り出すための方策として法人化が最もふさわしいと判断したからだ。
国による生産調整(減反政策)が廃止されるのを機会に、国民の命を守り、国土保全をすることを自らの使命だという気概をもった若い稲作経営者が育つ農政をぜひ構築してほしいものである。


NO,278  田んぼ通信 平成29・11・12

今朝、西に連なる蔵王の山々が中腹まで白くなりました。季節は、立冬を過ぎ晩秋から初冬へ。 今日は、昨日の大荒れの天気は収まり、朝から小春日和のいい天気です。辺りの里山の木々もすっかり色付きました。 しかし、気持ちは小春日和の一日を楽しむ気分ではありません。遅れに遅れた大麦の種まき作業を少しで早めるため、朝仕事から種まき作業をしています。
11月も中旬です。 大麦の種まき作業は、適期を既に過ぎています。  一日も早く種まき作業を終わらせなければなりません。 遅れれば遅れるほど、来年の収穫量に影響がでます。 今年の天候には、最後まで泣かされます。百姓仕事は、お天気次第というものの、これほどまでに天気が悪いとは。これも、お天道様のなせる業。真正面からこの現実を受けとめ、百姓の来年・・・。 との思いを秘めトラクター作業をしています。 8月には 極端な日照不足が続きましたので、秋には天気が続く。稲刈り作業、その後の二毛作の大豆の収穫作業、それに続く大麦の種まき作業は順 調に進むものとおおいに期待していました。これまた期待外れ。
しかも10月中旬に秋雨前線が停滞これまた珍しいことです。下旬には台風21号、台風22号と相次いで東北地方に接近。特に台風21号は、秋雨前線と共に300ミリを超す大雨をもたらしました。稲刈り作業は、台風21号接近の前に終わりましたので一安心しましたが、大豆畑は冠水しました。大豆収穫作業は大幅に遅れ今月に入ってからの収穫作業となりました。 農業を始めてから40年以上もたちますが、これほど大豆の収穫作業が遅れたのは初めてです。 特に、納豆専用の小粒大豆 (すずほのか)は、刈り取り適期が極端に短く、収穫時期に雨にあたると一雨ごとに品質が極端に落ちます。 例年ですと、10月15日前後から収穫作業が始まり、25日頃には収穫作業が終わります。今年は、10月に入ってからも天気が続かず、収穫時期を迎えても刈り取りができませんでした。大豆の収穫は、大豆専用のコンバインで一気に収穫作業をするのですが大切なことは、大豆が十分に乾燥していることです。乾燥が不十分ですと、収穫ロスが多くなり、また 大豆が汚れ、傷つき品質が大きく落ちることになります。毎年のことですが、収穫適期を見極めるため、お天道様のご機嫌を窺いつつ出来るだけ早く収穫するため神経をつかう作業が続きます。  大豆の収穫作業は、ようやく昨日おわりました。
普通大豆の(あやこがね)は、心配したほどの品質低下はありませんでしたが、主力の納豆専用大豆は心配したとおり品質低下が著しく、品質検査に合格する物は例年の3割にも満たないという結果になりました。 今年こそはとの想いで、大豆畑に通い手入れをしてきましたが、最後の最後に、お天道様から見放されたという感じです。これも、百姓の宿命。百姓の来年というものの、あらたな気力を振り絞るにも、一瞬 歳を感じるようになりました。それでも、悠長に感慨に浸る余裕などありません。 今年は今年。来年に向けての農作業は、始まりました。 農業を取り巻く環境は、(農業ばかりではありませんが)間違いなく激変の真っただ中。アンテナを高くして。前に進むだけ。食べ物を生み出し供給することが使命の農業です。世の中が、如何に変わろうとも人が生き続ける限り食糧は不可欠です。 農業で最も大切なことは、継続して土を耕し続けることです。 世の中が如何に変わろうとも、国民の誰かが、土を耕し続けなければなりません。その誰かの 一人になりたくて農業を続けてきただけです。土づくりは農業の基本です。というのは簡単ですが、これまた凡人の私には、まだ分かりません。コメ作りをはじめて、40年とは言うものの、40年経ってようやく、土づくりが大切だということが分かってきたといえます。 世間には、土づくり肥料なるものが売られています。そのほとんどは、健康補助食品程度のものです。すぐに効く魔法の肥料などありません。作物が立派に育つための土台となる、土の環境を如何に整えるか。土は生き物です。無数の微生物が生きています。その生き物たちが、のびのびと生きられる環境を作ることが百姓の仕事です。これも、40年経ってようやく分かりました。分かったから農業で生きていけるとは限りません。如何に実践するか。これがまた継続だけがなしえる成果。地道にどこまで継続できるか。こんなことを、考える今日この頃です。


NO,277  田んぼ通信 平成29・10・16

 今年の稲刈りは、12日に終わりました。 田んぼに稲があるうちは、安心できません。 先ずは、一安心です。  今年の稲刈りは、長かったです。 先月13日に稲刈りを始めてから一か月かかりました。 経営面積が増えたこともありますが、例年になく長く感じた今年の稲刈りでした。  夏の極端な日照不足があったものの、9月に入り天気が回復し稲の姿からして、極端な収穫の落ち込みはないものと臨んだ稲刈り。 それが、予想を超える大量の未熟米の発生。 「ひとめぼれ」等の早い品種は大きな減収。 「つや姫」等の遅い品種は、なんとか平年作に近い収穫量だったものの、最後まで気合の入らない稲刈りでした。  先日、発表された作況指数では、平年作と報道されたものの、現場の感覚とは程遠いものです。 生産現場では、何が平年作? と大きな疑問が渦巻いています。 これは、現在の作況の仕組みが大きく影響しています。政府が発表する作況の基になる収穫量には、品質に関係なく、農家の段階で言うクズ米(未熟米)も含めて判断されるからです。 今年のようにクズ米が大量に発生すると 生産現場と作況に対する認識のズレが出てきます。今年は、それが大きく出ています。  さて、世の中は、突然の衆議院解散による総選挙。 コメ関係の業者の話によれば、東北各地でも不作の模様です。それでもコメの作況など、全く話題にもなりません。驚くことは、我が地域内でも、「今年は、米がとれないんだナイン」という程度。よそ事の話題。 田んぼを、直接耕作している人が少なくなり、コメの作柄などは直接生活に影響することが少なくなったものの、これには愕然とします。 これは、今年の不作が大きな話題にもならない中途半端な状態であることが大きく影響しています。 中途半端な不作だから困るのです。 過去の不作の時は、社会的にも大きな話題になり稲作農家に対して様々な対策が講じられてきました。 それが、今のところ全くありません。  今年は、コメの値段が上がったものの、ほんの僅か。ほとんどの稲作農家は、採算割れの状態でコメ作りを続けています。  そんな中での今年の不作です。 今年の不作がボディーブローのように稲作農家の経営に影響するでしょう。  ところで、来年度から生産調整に対し国が直接関与することを止めます。  これは、コメ農政の大転換を意味します。簡単に言えば、お国のためのコメ作りから、消費者の皆さんに食べてもらえるコメ作りへの転換であり、それに対応できない稲作農家はコメ農家として生き残っていけないことを意味します。 戦後の日本のコメ作りの根幹をなしてき食糧管理法が平成7年に廃止され、新たなコメ政策として新食糧法が施行されてからすでに20年以上たちました。 この20年間、食管法は廃止されたものの、コメ農政は食管法の精神を引きずりながら中途半端な農政を続けてきました。 来年度から新食糧法に基づいたコメ作りがはじまるか注視しているところです。 農政は、大きく変わりますが、それ以上に今年の中途半端な不作は生産現場に大きく影響するでしょう。 今回の不作を機会に、コメ作りを止める農家が一気に増えることが予想されます。そこで、問題なのが、それをだれが引き受けるかです。 考えようでは、コメ作りを止められる農家はいいのですが、その農地を預かる担い手農家といわれる稲作農家が育っていないのです。 今の状況では、規模拡大の希望さえあれば容易に20ヘクタールから30ヘクタール規模の稲作農家は、実現します。 しかし、30ヘクタールを超える規模になった時 新たな設備投資の問題が生まれます。 その額は、数千万円を超え億単位の設備投資が必要になります。 また、益々経営者としての資質と判断を求められる環境になるでしょう。  それに対応できる稲作経営者を育てる環境整備が極端に遅れています。 コメをめぐる環境が、激変していることを痛感する日々が続きます。  今年の天気は、本当におかしいです。 ここにきてまた天気が続きません。 9月に入り天気が回復し、この秋は天気が続くものと期待していましたが、またもや秋雨前線が停滞。 例年ですと、稲刈りが終わり大豆の収穫が始まる時期です。 それが、このところの曇天と雨模様で、乾く暇がなく大豆畑に入れない状態です。  今年は、最後までお天道様に泣かされる年になりそうです。


NO,276  田んぼ通信 平成29・9・16

今年も 稲刈り始まりました。 大型台風18号が九州に上陸しました。日本列島を縦断し明日には東北地方にもやってきそうです。 13日に稲刈りを始めましたが、何とも心配な稲刈りとなりました。 例年ですと稲刈りが始まると コンバインの姿を多く見かけるようになります。 今日から三連休で、しかも台風18号がやってきます。本来であれば、少しでも収穫作業を急ぐべく一斉にコンバインが入るはずです。今年は違います。 コンバインの姿は、まばらでした。  稲刈りを始めたものの、 生育がまばらで未熟米が多く乾燥調整作業がたいへんです。しかも、予想以上に収量がとれません。刈り取りを始めた周辺の農家では「 ひとめぼれ」は2割以上の減収が見込まれます。 正直なところ これほどの減収になるとは予想しませんでした。  想像以上に登熟が悪いのです。 確かに、8月は記録的な雨の日の連続でした。  仙台では昭和9年に記録された雨の日の連続記録が残っていたといいます。
今年は、その記録を83年ぶりに更新し連続降雨日を達成しました。  なんと7月22日から8月27日まで36日間連続降雨日記録を観測史上に残すことになりました。 一日のうちで 概ね1ミリ以上の雨が観測された日を降雨日というそうですが、確かにお日様が顔を出した日が極端に少なかったといえます。 ただ、この夏が極端に雨の量が多かったかといえばそのかんじはありません。 皮肉にも8月はじめに梅雨明け宣言が出てから本格的な梅雨に入ったかんじでした。毎日がジメジメ湿った梅雨空の連続。秋の収穫への心配もされましたが、 6月末から7月20日過ぎまで高温多照の日が続き 7月中に「ひとめぼれ」等の早生の品種は、稲穂が出揃い秋の収穫への期待が大いに高まったところでした。8月末の作況指数も宮城県は、やや良という発表でした。 83年ぶりに連続降雨日記録更新されたということは、雨量こそは少なかったものの、お天道様も連続して顔を出さなかったということです。お天道様の恵みとして、お米を収穫させていただけるのですから、お天道様が顔を出した分だけ、お米になったといえます。そう考えると、今年の収穫量もうなずけますが、それにしても・・・・・。
まさか8月になって こんなに日照不足になるとは全くの予想外。
「ひとめぼれ」等の早生種の品種は、7月末には出穂しましたので収穫適期の目安となる積算温度からすれば、刈り取り適期を迎えています。しかし、ひとつの穂を見ても生育のばらつきが多く もう少し刈り取りを待ったほうがいいいえますが、なにぶんお天道様相手の仕事です。いつまでも天気が続くとは分かりません。収穫面積も多くなりましたので少しでも刈り取りを進めたい気持ちもあります。 収穫時期の判断に 頭を悩める日々が続きます。 7月に入ってからの晴天続きで、7月中旬の暑い最中、今年こそは勝負所と考え大汗を掻いて追肥作業に精を出したところでした。 追肥作業が良かったのかの判断は、まだ稲刈りが始まったばかりでなんともいえません。 今年は、これまでにも増して美味しいいお米を育てるため施肥体系にも工夫してきました。 これまでの冷害などの大災害を経験し来たものとして、今年の天候経過からして心配したものの、ある程度の収穫を期待していましたので、出鼻をくじかれた感じです。  本来であれば稲刈りが始まり、気合が入るところですが、もう一度 気を引き締めなおしてこれからの収穫作業に取り組みます。
 農作物の中でも、穀類など光合成の産物である子実を収穫する作物の栽培は、本当に難しいと改めて感じています。光合成は、正しくお天道様があってのこと。   お天道様の理屈を抜きにして、人間の思い込みでいくら努力しても報いられるとは限りません。 それだからこそ、作物を支える 土の力を信じ地道に土づくりに精を出すことが、百姓の最大の仕事。あとは、お天道様任せ。 そんなことを痛感させられる今年の稲刈りです。 8月下旬から9月に入り、お日様がふんだんに顔を出すようになりました。「つや姫」など晩稲の品種におおいに期待して稲刈りをはじめます。 まずは、今年の新米を今年の天候も含めて味わってください。 (追伸)心配した台風18号は 雨風共に少なく 殆んど被害はありませんでした。ご安心ください。


NO,275  田んぼ通信 平成29・8・16

残暑お見舞い申し上げます。と言いたいところですが、8月2日に梅雨明け宣言が出たとたんに本格的な梅雨空がやってきました。8月に入ってから毎日が梅雨空、気温も低く雨模様の日が続いています。仙台では、先月22日から今日まで26日連続で雨が続いているという報道がありました。 今年の梅雨は、カラ梅雨で雨が少なく畑はカラカラ状態。気温も高く田んぼの稲は、生育も早まり ひとめぼれ等は先月末には稲穂が出揃いました。ひとめぼれが、7月中に稲穂が出揃うことは、最近にはないことです。このまま生育が進めば9月10日頃には稲刈りが始まる。早めに稲刈り準備を進めないと間に合わないと思っていたこところでした。 それが8月に入ってから雨の日続き。 稲の生育で最も大切で致命的被害が出る時期が、大きく二つあります。 花粉ができる時期(出穂前15日頃前後)と花が咲く時期です。 この期間に 極端な低温(最高気温が20度以下)が数日続くと稲が実らなくなります。 幸い今年は、この時期は無事に過ぎましたので冷害に心配は少なくなりましたが、このままお天道様が顔を出さず日照時間が極端に少ない日が続くと、実りが心配になります。 天気予報によれば オホーツク海に高気圧が居座り、そこから冷たい風が吹き出す ヤマセが発生したというのです。しかも、あと一週間はこの状態が続くといいます。 5月から晴天続きで、水不足も心配されたのに。  昨日、市農政課の職員が 低温・日照不足での登熟促進及び いもち病への警戒と対策を! という緊急情報のチラシをわざわざ持ってきました。 正直 今となってはお天気様のご機嫌を窺うほか手の施しようがありません。 必ずお天気様が戻ってきますので、その時までに稲の体力が残っているかが勝負ところです。 それは、これまでの田んぼの施肥の状態等、栽培管理が大きく左右します。
今回のような予期せぬ天候へ備えて、春からの土づくり作業など、できるだけ手を抜かず田んぼの管理をしてきました。 その成果が、どうでるか。楽しみでもあり不安もあります。
結果がどうであれ、今年の経験が我が家の稲作経営に大きくプラスになることは確かです。 
もちろん、決して無駄にしません。 今日も朝から一日雨降りです。 このままでは、今年の稲刈りがいつになるか予想できません。 今はただ、一日も早くお天道様が顔を出すことを祈るだけです。お天道様の下での仕事が、コメ作り。 少しの天候不順で動揺していては、この仕事はできません。 思い起こせば、コメ作りをはじめてから40年以上が経ちました。その間、大きな冷害を数回経験しました。 5年に一回は、大小の冷害がやってきて、10年に一回は、大きな災害がやってくる。 このところ、10年以上に亘り 強いヤマセによる冷害はやってきませんので、忘れがちですが毎年 頭の片隅に冷害を思い浮かべてコメ作りをはじめます。仙台平野のコメ作りは、ヤマセとの闘いの歴史でもあります。 宮城県には、ササニシキや ひとめぼれ といった日本を代表するお米を育種した古川農業試験場があります。現在の場長は、旧知の仲です。 この春、久しぶりに試験場に行きましたので、直接 育種の状況を聞く機会がありました。その中で、美味しいいコメの育種はもちろんだが、その前提として耐冷性を今でも重視しているというのです。 そういえば、「ひとめぼれ」もこの秋デビュウーする 「だて正夢」等古川農試で育種した最近の品種は、 耐冷性では、極強か強です。 最近、地球温暖化が話題になり、冷害?と思われますが、宮城県など東北太平洋沿岸は、地形的に常にヤマセの影響を受けるところです。美味しいいコメの品種だけが話題になる昨今です。しかし、一度 大冷害に遭遇すると一時的な経済的な被害だけでなく、産地間の競争がますます激しくなる時代にあって、米どころ宮城としてのブランドを失うことになります。 災いは忘れたころにやってくる。 話題にはなりませんが、宮城のコメ作りは、地道な育種開発研究に支えられているのです。 その思いをお米に託し、お客様のところに届けるのが私の仕事です。 常に冷害等災害を前提としたコメ作り。それが宮城に生まれ、お天道様を相手にした仕事とし、コメ作りを選んだ者の宿命として ささやかな努力を続けるだけです。  最近思うことですが、大きな農政の転換期に必ず 大きな災害や大きな社会的事件がおきる。そのたびに、農政が停滞する。それが一番心配です。


NO,274  田んぼ通信 平成29・7・17

暑中お見舞い申し上げます。 厳しい暑さが続いています。 お元気ですか。
ここ宮城も、7月に入り毎日30度を超える厳しい暑さが続いています。しかも、梅雨入りしたものの、まとまった雨は降りません。畑は、カラカラ状態です。田んぼでは、稲の体の中で稲穂が5センチほどに育っています。 稲の一生の中で一番低温に弱い花粉ができる大切な時期を迎えていますが、このところの暑さで順 調に育っています。 今年も より一層 美味しいお米をお届けするために、これからが勝負どころです。   全国的には、局地的な豪雨が降り、大災害となっているところもあります。災害に見舞われた地域の皆さんには、心からお見舞いを申しあげます。 最近の天気は、極端です。いつどこで思いもよらない大雨が降るかわからりません。 災害の報道に接するたびに、他人事には思えません。 東日本大震災以来6年がたちますが、毎年全国どこかで大災害が起きています。 確実に天気が変です。 それと共に、世の中の動きも変ですが。 かくだの田んぼにウミネコがやってきました。 6月中旬頃から田んぼに ウミネコを多く見かけるようになりました。 ここ数年すこしは見かけましたが、今年は違います。百羽あまりの大群がエサを求めて田んぼにいるのです。 ウミネコは、本来 海で見かけるもの。それが田んぼにやってくるとは。ここ角田は、太平洋から30キロ余り離れたところにあります。 エサを求めて阿武隈川を飛んできたのでしょう。 海にエサが少なくなったのか、それとも角田の田んぼに、エサとなるカブトエビやザリガニが年々増えてきましたので、豊富なエサを求めてやってきたのでしょうか。 それにしても、シラサギは多く見かけますがウミネコが群れをなして角田にやってくるとは驚きです。  ところで、今月8日 東京へ行ってきました。 東京農業大学アカデミアセンター横井講堂で開かれた 「日本のコメ政策をどうする」というシンポジウムにパネラーの一人として参加しました。 来年から50年来続いてきたコメの減反政策(国による生産調整面積配分)が廃止されるという大転換を迎えます。 これを受けてこれまでのコメ政策をコメ農家としてどう受け止め これからをどのように考えているかを報告するというのが私の役目です。  コメ政策に関しては、言いたいことがありすぎ農政批判になりますので 今更 わざわざ東京まで出かけていって農政批判もなかろう と思い断ろうかと思いましたが、率直な意見が欲しい、三輪会長や事務局からも是非 来てほしいということで出かけていきました。 前農林水産省技術会議会長を長年務めていた三輪睿太郎先生が代表している実践総合農学会が主催するシンポジウムで 、農水省内閣官房総括審議官の天羽さんが基調講演し、NHKの食糧農業関係解説委員を長年務めてきた中村靖彦先生がシンポジウムの座長、パネラーとして私のほか、JAいわて花巻代表理事組合長 阿部さん、コメの消費拡大に関するテーマで、東京農大教授の信岡先生(飼料米)と野口先生(米粉)が参加。その後、中村先生を座長とする天羽さんを交えての総合討議。 コメ作りを始めて43年になります。農政を当てにしないで自分の考えでコメ作りをしたいと思っても、それを許されない農政が続いてきました。 自らのコメ作り人生の反省とこれからの決意をこめて意見を述べてきました。 米の減反政策が始まってからこの50年間、大きな節目となる政策が展開されたがその度に総括することなくズルズルと過ごしてきた。これまでの日本のコメ作りは、いわば総兼業体制でのコメ作り政策。国をはじめ県市町村あらゆる農業関係機関がこれを暗黙の了解の下にコメ政策を続けてきた。 国政を無視し、総兼業コメ農家体制を必死に維持してきた。国もそれを黙認してきた。現在 生産現場ではその前提が大きく崩壊してきた。総兼業コメ農家体制でのコメ政策の総括なくして これからは語れない。 食糧安保の観点に立った 農政の展開は、国政の根幹であり、国民・消費者が納得する政策を展開すべき。 観念論でコメの生産現場を語るのではなく、主語をもってコメ作りを語る。稲作農家を信じない農政が続いてきた。農家も国を信じない。不幸なコメ作りが進められてきた。これでは、未来はない。  こんな要旨で話してきました。シンポジウム終了後、三輪先生から わざわざ来てもらってありがとうとの言葉をいただき先ずは一安心。


NO,273 

田んぼ通信 平成29・6・17

季節は、「麦秋」となりました。麦畑の黄色。 日増しに緑を濃くする田んぼ。澄み切った青い空。 西に連なる蔵王の山々の頂には、真っ白な残雪。 梅雨入りを目前に控えた、早朝。 目の前に広がる風景に、つい見とれてしまう時間があります。 幸せを感じる季節となりました。
 今年の大麦の刈り取りは、無事終わりました。 今月10日ごろから麦刈り作業を始める予定でしたが、好天気に恵まれ生育が早まったことから、7日から収穫作業を始め11日にコンバインによる収穫作業が終わりました。 麦の調整作業と出荷作業がありますが、先ずは圃場から作業場に収穫をしましたので一安心です。 すぐに二毛作の大豆の種まき作業を控えていますので、休む間もなく大豆の種まき作業が早朝から夜暗くなるまで続く毎日です。 今月21日は、夏至です。仙台の日の出は、午前4時13分。日の入りは午後7時4分。 朝3時過ぎには薄明るくなり4時前には外で仕事ができます。 朝仕事3日もすれば一日とは、以前古老から聞かされたものです。 よく晴れた早朝は、心もすっきり気持ちよく体も動きます。 さて、関東地方は梅雨入り宣言が出たようですが、東北南部はまだです。梅雨どころか澄み切った青空が続きています。 6月半ばとなりました。今の時期としては変な天気です。 晴天の日が続いているわりには、朝晩肌寒く感じる日々が続いています。露地野菜の生育が、軒並み遅れているようです。5月中に収穫した作物の出来は、良かったのですが今月に入ってからは、晴れている時間が多い割には、地温が低いため生育が極端に悪く収穫時期も遅れているといいます。 アスパラガスを栽培している仲間は、収穫量が例年の半分以下だと嘆いていました。こんなことは、ここ10年来なかったといいます。 友人によれば、このことは、今年の初めからある程度予想できといいます。 この通信にも書いたことがありますが、昔から農作業の目安として使われていた旧暦にもとづくもので今年は 閏月の5月が二回あるので 新暦の6月は5月のような気候になる。しかも、金星が遠日点(金星が地球から一番遠くの軌道を通る)になるので、日照時間が多くあっても、地球に届く総熱量が少なくなるので地温が上がらず作物の生育は、悪いだろうと予想していたといいます。  田んぼの稲を見ても、5月の早い時期に植えて稲は、良すぎる位の生育になっていますが5月下旬から、6月に入ってから植えた稲は、極端に生育が遅れています。
事実、現在のところは正しくその通りの天候です。昔から伝えられてきた民間気象学や旧暦に関する数々の言い伝え、農作業に関する記述などは永年の人類の経験に基づくもので、決して無視できないものです。 最近、知恵を持った次世代コンピューターが 囲碁や将棋などの勝負の世界で次々と人間を破って話題となっています。 正直、世間がいくら次世代コンピューターを賛辞しようが、スーパーコンピューター等を駆使して気象庁が発表する長期予報などは、全く農作業の目安にすらする気になれません。天気(自然)を人間がコントロールできる時代になれば別です。 ところで、農業の担い手の高齢化が現実のものとなった今、多くの企業が農業への参入を検討する時代になりました。最新のコンピューター 技術を駆使した農業技術革新は、目覚ましいものがあります。話題も多くなりました。そのこと自体は、否定しませんし企業が長年育んできた経営管理システムは、農業界も学ぶ点が多くあります。しかし、生き物を育む産業としての農業を考えるとき、その手法には大いに疑問を感じています。 農業は遅れているから最新の企業的感覚を導入する事で農業の世界を革新する。という発想のもとに多くの企業が農業への参入を検討しているようですが、これでは、出発点で間違っています。産業界の驕りです。 永年、田んぼや畑を耕し、生きている農作物に接することで育まれた経験を土台にした農業技術に素直に向き合うことから産業としての農業を語ってほしいものです。 多くの企業が農業へ参入してきますが、そのほとんどが(99パーセント以上)成功していません。 今の状態では、多くの企業が農業界から撤退するでしょう。企業は、真面目に生産現場と向き合っている農業者の声を素直に聞き、ともに産業としての農業を創造する時代が来てほしい。そのためにも、農業者もただ単に時代を待つのではなく、積極的に農業の企業への参入を検討する時代になったといえます。


NO,272  田んぼ通信 平成29・5・15

今年の田植えも残すところ6ヘクタールになりました。 あと二日で田植えが終わる見通しになりました。今年の田植えももう少しです。三月に種まき作業準備をはじめてから二か月が経とうとしています。 この間、ひとときも気の休まるときはありませんでした。 
特に、先月29日から代掻き作業をはじめてから20日余り、夜明けから暗くなるまで、食事の時間と寝る時間を除けば 田んぼ仕事という毎日です。それでも全く苦になりません。 
 あたり前のことですが、 田んぼに稲を植えない限りお米は育ちません。 おいしいお米を育てるための大切な作業が田植えです。 その作業が終わるまでは、緊張の日々が続きます。
田植え機は、息子が専門に操作します。私は、代掻き作業と水管理等を担当。田植え作業はしません。 田植え作業をするには、代掻き作業や田んぼに水を引く水管理など細かい作業があります。 それが、結構たいへんです。仕事は、段取りが大切といわれるように、田植え機械の能率を最大限に生かすためにも段取りを如何に良くするか。常に頭の中は、それだけでいっぱいです。
規模拡大に伴い、従業員を増やしましたので少しは楽になりましたが、段取りまではもう少し時間が必要です。 今年は、後継者育成を大きな目標として掲げ田植え作業をしています。
さて、最近の田植え機械の性能には、目を見張るものがあります。30アール(三反歩)の田んぼを20分余りで植えてしまいます。我が家では、8条植えの田植え機を導入しています。導入当初からその能力の高さには満足していましたが、今年はあらためてその能力に驚いています。
正に、ハイテク技術の結晶です。 ぬかるんだ田んぼの中を、10数㎝の苗を一定の深さに正確に、しかも驚くほどの速さで植えていきます。  段取りさえよければ、1日4ヘクタールの田植え作業は可能となりました。 問題は、田植え機械への苗の供給や育苗箱の片づけ作業などを如何に効率的にやるかです。多くの人手も要ります。 大型連休で多くの親戚などが集まる時期に田植え作業を進めるのもそのためです。 今年の大型連休は、比較的穏やかな天候に恵まれ一気に 作業が進み、植え痛みもなく順調に育っています。  さて、田植えの風景は、依然と比べて 大きくかわりました。 ここ数年のことですが、大型連休でも 田んぼが賑わうのが1日位です。
あっという間に、田んぼに人がいなくなります。 以前は、田んぼに水を引くのに苦労しましたが自ら耕作する人が少なくなり担い手と言われる人に限られてきました。それぞれの仕事の都合に合わせて田植えをしますので、水争いをすることもなくなりました。 稲づくりは、大きく変わりはじめました。 その動きは、年を追うごとに顕著になってきました。 この動きの中で、稲作農家として生き残るべく、田んぼ仕事をしながら思いを巡らせる今年の田植えでもあります。 ところで、行政区長をしている関係で、忙しい中にも諸会合に出席する機会があります。これまでは、開会のあいさつの中で田植えの進捗状況が枕詞のように話題にするのですが、最近は話題に出す人が少なくなりました。 田んぼ仕事そのものが、村の共通語でしたがそれも年々うすらいできました。基盤整備も進み立派になった田んぼで大型機械で一気に代掻き作業をします。仕上げ作業にスコップを使い田んぼを均す作業で汗を流すとき、先人の田んぼへの思いをふと思い浮かべることがあります。 今年は、特にその思いを強くしました。戦後まもなく耕運機が開発され、 本格的な田植え機械が開発されてから40年がたちます。 それまでは、すべての田んぼ作業は人手に頼ってきました。今は、エアコン付きのトラクターなど大型機械であっと言う間に農作業ができます。 若い人でも機械操作ができればコメ作りは容易くできるような時代です。そんな中でスコップを手にし、汗をかくとき田んぼの1枚1枚に先人達の汗と共に田んぼへの思いがギッシリ詰まった村の歴史があるのだという思いがこみ上げてきます。 田んぼ仕事が、村の共通語として存在しにくくなった今、コメへの思いも大きく変わってきたのだろうと思うとき、感慨深いものがあります。 多くの農作業が機械化されたとしても、農業は命あるものを育てることが最大の使命です。しかも、人間がコントロールできないお天道様の下での作業です。いいお米に育て上げるには、田んぼへの思いを大切に日々たんぼに通うこと、それが一番です。


NO,271  田んぼ通信 平成29・4・15

桜が満開になりました。 東北にも春がやってきました。桜の開花と共に本格的な農作業が始まります。今年も今月2日に種まき作業を始めました。苗は、30㎝×60センチ、厚さ3センチの育苗箱で育てます。今年の作付け予定は、29ヘクタールです。6,000枚の育苗箱に種をまきます。おおよそ25日前後の日数をかけ苗の葉が2.5枚に育った頃に田植えをします。田植え作業は、5月3日頃から始まり20日頃までかかりますので 作業に合わせて種まき時期をずらします。最後のたね蒔き作業は、25日頃になる予定です。毎年のことですが、コメ作りの中で最も緊張するのは苗を育てる時期です。  コメ作りは、毎年一年生。 故人となったコメづくりに熱心だった先輩の言葉です。 苗づくりが始まると、この言葉を実感する日々が続きます。 朝起きると真っ先に ハウスに向かい 無事に育ちますようにと声をかけます。祈るような気持ちで自然に声をかけてしまいます。 最初に蒔いた苗は、ハウスの中で順調に育っています。一枚目の葉っぱが展開し緑のジュウタンを敷き詰めた様です。葉先に小さな水玉を結び朝日に輝く様は、ハウス一面宝石をちりばめたようで見事な景色が広がります。稲の葉先に 水玉ができることは苗が健康な証拠、一安心。 毎年のことですが、日の出と共にながめる育苗ハウスの光景は ひと時の幸せを感じる時でもあります。
私の集落には、種まき桜と言って濃いピンクの鮮やかな大きな桜があります。昔からこの桜が咲き始めるのを待って種まき作業の準備をはじめたことから種まき桜といわれてきたようです。よく見かけるソメイヨシノよりも数日早く咲きます。小学校の通学路の途中にありますので、幼い時から親しんできました。 それがここ数年 咲き始めるのが遅くなりました。ソメイヨシノとほとんど同じ時期に咲くようになりました。 古木になったことから咲くのが遅くなったのではないかと思っています。  毎年一回しかできないコメ作り。今年で43回目のコメ作りが始まりました。 日本のお米は、四季と共に変わる辺りの景色の中で営々と続けてきたのだと思うこの頃です。 
ところで、我が家に毎年ツバメがやってきます。今年も今月初めにやってきました。昨年は3月中でしたが、今年は一週間ほど遅くやってきました。ツバメの姿をみると安心します。
いま盛んに巣作りをしています。ツバメは、古い巣を使って子育てをします。昨年まで使っていた巣がスズメにいたずらされ壊しましたので、今年はツバメが子育てしてくれるかと心配していました。 それでも、玄関の軒下の古い巣の近くに朝早くから 新しい巣作りに励んでいます。 ツバメがやってくると新しい家族が増えた感じです。 これから無事に子育てを終え、巣立つ日まで毎日ツバメと と共に我が家の暮らしが続きます。ツバメの巣は、時にはスズメやカラスそしてヘビ等に襲われます。
新しい巣は、それに備えて外からは見えにくいところに巣作りをはじめました。本格的な巣作りが始まってから一週間ほどたち、巣の姿が見えてきました。いまはただ無事に子育てが始まってくれることを祈るだけです。 桜のシーズンは、入学シーズンでもあります。今年も、行政区長の一人として 10日北角田中学校の入学式、11日北郷小学校の入学式、12日 北郷児童センターの入館式。行政区長を引き受けてから毎年のことですが三日間連続で入学式に出席します。
角田市は、7つの旧町村が合併してできました。北角田中学校は、わが母校です。北郷村、桜村、東根村の三校が統合してできた中学校です。私が最初の入学生ですので、創立してから45年以上たちます。それが、5年前に生徒数の減少に伴い西根中学校も統合しましたので、旧4村の統合中学校となりました。面積からすれば角田市内の半分以上生徒が通っています。今年の北角田中の入学生は78名。この春まで入学予定者が80名を超えていましたので3クラスですが、?年生から?クラスに学級編成されるということです。私の時は、5クラスでしたので感慨深いものがあります。北郷小学校の入学生は22名。北郷児童館の入館者数は9名。本当に子供が少なくなりました。行政区長になってから入学式、卒業式に来賓の一人として出席するようになり、なんで行政区長まで呼ぶのかと思いました。最近になって地元の多くの大人が出席して、式を盛り上げないと式典そのものが成り立たなくなる。地元の学校入学卒業式に出席するのも行政区長の務めなのだと、ひとり納得する今日この頃です。
春先から天気の動きが変です。しばらく来ていない冷害に備えて心を引き締め田んぼに通います。


NO,270  田んぼ通信 平成29・3・17

3月11日、塩水選作業を始めました。コメ作りは、苗半作といわれています。美味しいコメ作りの基本は、いい苗を作ることです。丈夫で立派な苗を育てるには、中身の充実した重い種をまくことです。コメ作りの基本となる大切な作業が「塩水選」という作業です。塩水(比重が1.13の 生卵が横に浮かぶ程度の濃度)を作り、 真水よりも塩水がものを浮かす力が大きいので それを利用して病気に罹った籾や軽い籾を選別するのです。コメ作りの基本となる作業「塩水選作業」。 明治時代に開発された技術で、それだけで収量が一割ほどふえたといいます。
その大切な作業「塩水選作業」最近やらなくなった農家が多くなったという話を聞くようになりました。 お米や田んぼを軽視する昨今の風潮が、コメ作り農家の生産意欲の低下につながり、手抜き栽培が広がってきました。 基本技術の省略という形でコメ作りの弱体化が始まったといえます。 最近の低米価に伴い、現場では新しい生産技術開発や生産資材価格の見直しなどコスト低減に向けた努力が始まっています。 気になることは、コスト削減は必要ですが、それが 資材の省略や手抜き栽培につながっているのではと思える事例を見かけることです。農業は、生き物相手です。 特に、命に繋がる作業は、基本にやることがとても大切です。 コメ作りを始めて40年が過ぎます。 その一つの結論として 基本技術を大切にすること。 時代が大きく変わろうとも、我が家のコメ作りは、塩水選作業から本格的なコメ作りが始まりました。
 ところで、きょう午前中、地元北郷小学校の卒業式がありました。 行政区長として来賓者 の一人として出席しました。 今年の卒業生は、29名です。 6年前、小学校に入学した時、 東日本大震災が発生しました。  卒業式の挨拶の中でそのことが話題になり、あの大震災から 6年が過ぎたのかと思うと感慨深いものがあります。 東日本大震災が発生した 平成23年3月11日、午後2時46分。 あの時も、塩水選作業の最中でした。 吹く風は、冷たく防寒着を着て作業をしていたことを 今でも鮮明に覚えています。 今月の12日未明、震度4の比較的大きな地震がありました。 一瞬 大きく揺れ 飛び起きました。 真っ先に思い出したのが 6年前の大震災です。 今でも体が覚えているのです。これには自分自身もびっくり。 津波の被災地は、6年が過ぎたというのに復興は、まだ道半ばです。 それでも、時間は確実に流れ 被災した多くの農地は、艇コストを可能とする近代的かつ大規模な田んぼに生まれ変わろうとしています。 本悪的な稲の作付けも始まりました。  折しも来年度から 国による生産調整 面積配分がなくなります。 つまり、50年来続いてきた コメの減反政策が終わることを意味 します。 自分の田んぼに コメを作るか、野菜や麦 大豆を作るかを 自らが判断して農業をしなさいということです。 そんなことは、当たり前で 今更何を言っていると思うでしょう。
現実には、国家管理のもとでコメ作りをしていた時代の意識がまだまだ残っているのです。 特にJA等の農業関係組織や末端の農政を担っている市町村職員などの作為的ともいえる時代錯誤の農政がいまだに続いているのです。 食糧管理制度が廃止され新食糧法が施行されてからすでに20年以上が経つというのに。  担い手の高齢化や低米価など、米をめぐる環境の激変が 現実のものとなった今、 農政を語る前に生産現場が大きく変わり始めました。
我が家では、来年を待たずにことしから経営方針を変えることにしました。 従来は、地域の生産調整面積を意識して営農計画を立てましたが、今年は違います。 稲作農家として生き残るため経営戦略に基づく経営を実践することにしました。 具体的には、従来の麦・大豆は作付けしますが、数年前から取り組んだエサ米の栽培を止め、全て主食用のコメを作付けすることにしました。もちろん、コメの販路を確実に確保することが求められることはもちろんです。 農村社会の危機は、いまさら言うまでではありません。 田んぼを守り育むためには、田んぼでコメを作り続けることです。そのためには、理屈で田んぼを守るのではなく、自らコメを作り続けることが最も大切なことです。 今年から、あらたなコメ作りのスタートです。


NO,269  田んぼ通信 平成29・2・17

 立春も過ぎ 日増しに日差しが明るくなってきました。2月に入り日本海側各地で大雪の便りが聞かれますが、ここ角田はまったく雪はありません。 先日は最低気温がマイナス16度というびっくりするほどの寒さが数日続きましたが、その後は雪も積もらず比較的暖かな日が続いています。ここ数日は晴天続きで空気も乾燥し田んぼも乾いてきましたので、田んぼでトラクターの姿を見かけるようになりました。例年ですと 今の時期は雪があり、外の仕事はできません。 少しは自分の時間が持てるのですが、トラクターの姿を見かけるとなんとなく気忙しく感じます。 さて、昨年2月に長男から新たに次男が経営の担い手として参画しました。これを機会に思い切って家族経営から法人経営に移行して一年が経ちました。 殆んど農業経験がない次男でしたので心配しましたが無事に決算期を迎えることができました。 初年度から経理の全てと農作業全般を任せましたが頑張ってくれました。面川農場株式会社としての事業展開の基礎ができました。家族経営から法人経営に代わって何が変わったか。これまで以上に職業としての農業の社会的責任を身近に感じるようになったことです。
この一年、経営内容はほとんど変わりません。 法人成りしたことで、暮らしを前提とした農業から 事業としての農業を意識することで経営者としての自覚がより明確に芽生えてきたといえます。
 それでは、これまでの我が百姓人生40年、は何だったのか。 農業の社会的存在意義や農業経営者としての自覚を常に口にしてきたではないか。それは単なる漠然とした農への想いをいだいてきただけだったのか。 法人化したことで、自らの責任の下に農業の社会的存在意義を事業として具現化 することが求められることで、これからの生きる道がみえてきたといえます。
        我が面川農場株式会社の社訓(思案中)
 地域の田んぼや畑は、国の大切な宝であり、それらを維持発展させることを最大の使命とする。
 コメ作りを通して国民の食糧の安定生産確保に寄与する。
 コメ作りを通して家族と地域社会の暮らしを守り、地域農業発展に寄与する。
生き残りをかけた挑戦として取り組んだ法人化。 会社設立に関する手続きはもちろんですが、何もないところから新しい会社を立ち上げるのとは違い、家族経営から法人経営に移行に伴う事務手続きが思ったよりも大変でした。例えば農業関連の交付金等の窓口となる行政機関はもちろんのこと、JA、
土地改良区、農業共済組合など多くの農業関係機関の名義変更などの手続きに関して関係機関の皆様に大変お世話になりました。 あらためて感謝いたします。
  ところで、私の集落は角田市内でも 平坦な水田地帯のど真ん中にあります。戸数は70戸あまりです。 その中で最近 空き家が目立ってきました。その数 8戸。 一割を超す家が空き家状態です。 農家の屋敷は、母屋のほかに作業場などがあり結構広いです。 最近では親と別居する若者が多くなりました。残された高齢家族、それも一人暮らしの家庭もみられます。 これから、10年先を考えると恐ろしくなります。 集落内の殆んどは、農家であり田んぼを所有しています。しかし、最近は耕作を止め借地に出す農家が多くなりました。 殆んどの家庭でコメ作りをしている時は、学校の行事や村の大きな行事は、田んぼ仕事の都合に合わせて行われてきました。 それが、稲づくりを止めてしまうと田んぼ仕事が村の共通の話題として成り立たなくなります。 私の集落は、比較的若者が残っているものの、春と夏の田んぼの水路の手入れや草刈り作業など区民総出の共同作業の在り方は考える時期にきています。行政区長として集落の世話役を担っている一人として田んぼの共同作業をこれからも如何に継続していくか頭を悩ませているところです。 さて、我が家の5件となり、(歩いて一分ほど)が空き家になり我が家で買い受けることになりました。敷地は450坪、母屋のほかに作業場もあります。手入れもよく
部屋数は10以上あります。 都会の皆さんが、宮城に来た時の憩いの場として、また短期間の田舎暮らしや農業体験を希望する方が気軽に利用できる施設になればと考えています。具体的に整備ができましたなら詳しくご案内しますので宜しくお願いします。。


NO,268  田んぼ通信 平成29・1・15

 寒中お見舞い申し上げます。
昨年6月に妻の母が92歳にて永眠いたしましたので、年始のご挨拶を失礼させていただきました。
 昨年中は、たいへんお世話になりました。 今年も よろしくお願い致します。
年末から新年にかけて 全く雪がなく異常とも思えるほどの暖かな正月を過ごしました。
それが一転、数年に一度といわれるほどの大寒波の襲来。小正月を迎えた今、一気に真冬の寒さへ、あたりは銀世界が広がっています。小正月を迎え、部屋には団子の木に、色とりどりの団子を挿し した団子飾りが飾られ一足早く春がやってきました。
昨日の夜(14日)は、お正月様を送る どんと祭。 集落のお寺の境内に各家庭で飾った正月飾りを持ち寄り、この一年の無病息災を御祈祷し、どんと焼きをしました。この火にあたると、健康に過ごせるといわれています。 さて正月元旦は、集落恒例の新年会です。 今年は、木の香りが漂う新しい公民館で新年会を迎えることができました。区長として区民の皆様に約束した、平成29年の新年会は新しい公民館でやりますと宣言してから僅か2年足らずで、昨年12月18日に盛大に落成式を迎えることが出来ました。 区長を引き受けてから今年の3月で2年を迎えます。就任時の約束として 新しい公民館を建てることを公言しました。これは区民の皆さんへの約束ごとでもあり、区長を引き受けるにあたり自らへの挑戦のつもりでの課した大きな目標でもありました。  これまでの建設積立金は、ゼロ。しかも、建設場所も決まっていない。はっきりしているのは、角田市よりの補助金二百五十万円だけ。 区民が利用する公民館という趣旨からすれば、区民の皆様に等しく寄付をいただき建設することになります。しかし、少子高齢化で若い世代と同居する家庭は、年々少なくなり、しかも 残された家庭は高齢者であり年金暮らし。 その年金も年々少なくなるばかりの状態で、公民館建設資金として まとまった寄附を求めることは不可能です。先立つものは、なんと言っても建設資金です。これをどう確保するかが大きな課題です。公民館建設が話題になっても、その度に立ち消えになった最大の理由は建設資金をどうするか。 区長を引き受けるからには、腹をくくるしかない。これまで、多くの事業なり交流を経験させていただきました。この中で育んできたネットワークを最大限に活用し公民館を建てることを自らに課しこの二年間すごしてきました。幸い、区の役員は現役の行政マンや行政の幹部職員経験者がいましたので、補助事業等の事務処理は何とかなります。 あとはネットワークを最大限に生かし建設資金を確保するする。資金の目途がつけば あとは一気に建設を進めることを、心に秘め建設に向けて邁進してきました。  終わってみれば、総事業費は、三千三百万円。この二年間で、集めたお金は、三千万円を超しました。大きな借金を残す事もなく無事落成。 小正月を迎え、漸く自分の時間が持てるようになり、この二年間を振り返ると感慨深いものがあります。 
ところで、正月を利用して 5日から10日まで5泊6日の日程で島根県出雲まで車で旅行してきました。片道1,200キロ、往復で2,600キロを走破する旅でした。 三男が島根県雲南市で三年間ほどお世話になり、この春 島根を離れることになりましたので一度は訪ねたいと思っていました。一年で最も時間の取れる正月の時期を逃すと後はなかなか行けないと云う想いと、北陸地方から近畿、中国地方の景色を自分の目で確かめたいと云う強い思いがあって車で出かけることにしました。旅の準備をする時間も全くなし。泊まる宿も当てもなく、ただただ、行きたいとの思いだけで出かけた旅でした。帰って来てあらためて分かったことですが、今回のルートは、日本海沿岸の豪雪地帯を通るルートです。今年の正月は、この時期としては異常ともいえる暖冬で行く先々、全く雪はありませんでした。それが、帰ってきた11日から数年に一度の大寒波到来。北陸地方から山陰地方にかけて連日の大雪にニュース。無事に帰って来たから今回の旅がたいへん幸運な旅であったことを思い知らされました。今回の旅で感じたことは、日本は山国だ。広い田んぼが広がっているところは数少なく、山間の小さい田んぼで米作りが続けられてきたのだ。 この現実をふまえて、我が家の米作りをどう展開するか。激動する今だからこそ、じっくり腰を据えてこの一年田んぼに通います。