NO,366  田んぼ通信 令和7・2・14

世の中コメ価格の高騰で連日大騒ぎです。 本日(14日)新聞各紙「備蓄米放出。最大21万トン」の大見出。 この件に関しては、言いたいこと山ほどあります。  コメ作り専業農家として、田んぼ一筋・50年。息子達に経営の全てを任せた今、私からの切なるお願いです。 「政府の皆様、誠にご苦労様です。中途半端に米政策に関して口出すのは、程々にしてほしい」それだけです。    以前にも書きましたが、 「社会的共通資本」の著者・経済学者 宇沢弘文氏は、その中で 『農業の場合、自ら育った狭い、しかも因襲的な農村社会の中に閉じ込められたままで、新しい展開への展望を欠くのが一般的である。 しかも、肉体的にきつい労働と不安定な経済的条件を伴うものであるから、農の営みを自ら職業として選択しようとするのは、むしろ例外的だといってよい。 たとえ農の営みが社会的、経済的に重要な機能を果たすということをよく知っていたとしても、また農の営みに対して本来的な性向をもっていたとしても、農業に従事することを若者たちに選択せよというのは、非合理的であり非現実的だと言わざるを得ない。 このような視点に立つとき、いま私たちに求められているのは,農の営み、あるいは農村の在り方をいかに改編して、多くの若者たちに魅力あるものにできるかである。』 と論じています。  著書の中で論じている具体的農業政策論には大いに疑問を感じることが多々ありますが、農業観に関する考えは大いに参考にしています。  今回のコメ騒動の根底には、宇沢先生がいう農業観が深く関わっていると思えてなりません。我が米作り人生50年を振り返ってみて、「我が百姓人生・全く悔いなし」です。その間、農業に誇りをもっている優秀な仲間がいました。  その仲間も、 因襲的な農村社会の中に閉じ込められたままで、新しい展開への展望を欠き いつしかコメ作りの生産現場から離れていく姿を見てきました。今回のコメ騒動に関し、コメ農政を論じる農業関係者や評論家のご意見がたくさんあります。  そのなかで、田んぼで米を作りコメ収入で自ら暮らしている人の話は殆ど伝わっていません。  この10年来コメの生産コストは上がるばかり。生産資材や農機具代も一気に値上がり。米作りで暮らしていける収入を得られない現実。やめるのは当たり前のことです。  コメの高騰が止まらないと騒いでいますが、それでは、コメが高くなったから 再び米作りをはじめるという話は、聞いたことはありません。それどころか、これを機会に米作りを止めたという話を多く聞きます。  世間は評論家気分でコメを論じているひとばかり。田んぼでお米を育てる農業者がいてはじめてお米は生産され、消費者の皆さんに届けられるのです。  田んぼでお米を育て、その収入で暮らしを成り立たせるプロのコメ農家が激減。これまでコメ政策は、JA農協組織と一体的に展開してきました。しかし、そのJA農協。昨今の農協組織の急激な弱体化は驚くばかり。それに伴う無責任といえる事業展開を見るにつけ これからのコメ政策をこのまま任せていいのか。大きな疑問と不安がのこります。  問題は世の中に政府の言うようなコメが生産され、R6年産は存在するのか。大いに疑問です。21万トンのお米は、 消えたのではなくそもそも存在すらなかたのでは・・・。今回のコメ騒動を機に農政の在り方が大きく見直されるかもしれません。


NO,365  田んぼ通信 令和7・1・15

寒中お見舞い申し上げます。  今年の正月は、暖かく穏やかな日が続きました。 元日には、きれいな初日の出を前に 思わず手を合わせました。 今年一年の平穏無事を祈って。今年も宜しくお願いします。
それにしても、最近の正月は暖かくなっています。  お正月は一般的にお雑煮を食べますが、我が家では、お雑煮(餅)を食べるのは正月3日目から。それまでは、白いご飯に納豆を添え神棚(正月様)にお供えします。何故か?(所説は親父さんから聞いていますが、)私の答えは、昔から代々そのようにしているから。 それが、我が家の正月様を迎える儀式だから。それだけです。毎年12月28日に正月用の餅を臼で搗きます。1月7日は七草がゆを食べ。1月11日は、むかし苗代だった田んぼに作業場に飾っておいた おがん松を飾り「農のはじめ」(鏡開き)です。この日を境に農作業を始めます。(今でも「農のはじめ」が終わるまではトラクター等の作業はしないことにしています)また、うすに飾った餅を焼いて食べます。 昨夜(1月14日)は、小正月を迎えるにあたり正月飾りを全て下ろし、ミズの木に団子をさし(豊作祈願)主だった部屋に飾ります。また夜には、小正月を迎えるにあたり正月飾り等を神社やお寺さんの境内に集め無病息災を祈願する どんと焼きが行われました。 どんと焼きが終われば正月も終わり春がやって来ます。 小正月に飾った団子の木は、20日の風に当てるなと言われています。 19日には団子飾りを下ろし、団子は保存食として油で揚げた団子を食べます。最近は、お菓子が豊富にあるためか見かけなくなりましたが、結構おいしいです。どんと祭が終われば、正月も終わり春がやって来ます。  また、1月16日は 「やぶ入り」 地獄の閻魔様も休む日にあたり地獄の窯も開くと言われてきました。全ての仕事は休み。以前は土木建築業者もこの日だけは仕事を休むとされてきました。昨今は新暦の暦通りの休日が当たり前になり休む業者が少なくなりました。 「やぶ入り」という言葉さえも死語になってきたといえます。しかし、少なくなりましたが山仕事をしている知人は、今でも山仕事は休みにしている。不思議とその日に山仕事をすると大けがをするのだといいます。農業を始めて50年が経ちます。新暦中心の暮らしに慣れ親しんだものにとって、旧暦はなじみが少なくなりました。それでも大切な日や催事等を行うときは、身近に神社祭事暦をおき確認してから実施することにしています。わが家の正月料理は、妻が作る人参・ごぼう・大根・ジャガイモなどを煮干しと醤油でシンプルに味付けし煮込んだ御汁。これを食べると正月気分になります。わが家の正月は、全て妻が毎年、絶やすことなく守ってきたらこそ正月様を迎えられます。多少は省略したとはいえ昔ながらの正月行事を続けたいです。 ところで世の中の難しいカラクリは分かりませんが、昨今の激動する日々を暮らす中で以前にもまして世の中に対し興味が沸いてきました。知識は、パソコンで補えますが。今の時代を、生き抜くための知恵が必要です。いまさら、評論家で食える訳でもなく、その能力がない事は自分が一番知っています。無駄な抵抗をする時間はありません。最も身近な人、組織が生き残るために、いま何が必要か。生き残るための知恵を学びたい。必ず生き残る。そんな思いを巡らす新年です。そして、今年は年男です。