NO,334  田んぼ通信 令和4・6・16

きのう東北地方南部も梅雨入りしました。最近は、梅雨入り宣言がでても6月20日頃まではカラ梅雨で晴天が続きます。それが、今年は違います。今月に入ってから本格的な梅雨を思わせる天気になり、最高気温も15度前後と肌寒さを感じる日が続いています。この天気で、5月末に植えた稲は、植えたままの状態の田んぼを見かけます。また、5月末から始まる大豆の種まき作業も例年よりも遅れています。 6月は二毛作の大麦の収穫時期です。本格的な梅雨空が続く前に収穫するようにしていましたが、麦の生育も遅れ一昨日収穫作業を始めたばかり。昨日も、時折小雨が降るあいにくの天気。せっかく育てた大麦です。収穫目前で収穫も出来ず、大幅な品質低下を招くのは百姓として最も悔しいことです。百姓仕事は、たとえお天道様のご機嫌次第とはいえ、どこかで折り合いをつけないと前には進めないことがたくさんあります。「百姓の来年」・「米作りは、毎年が一年生」という言葉があります。 以前 大冷害に遭った際、農家の人はこんなにひどい被害を受けても春になるとまたいつものように、田んぼに稲を植えるものだ。という話を聞いたことがあります。確かにコメ作りは、経済行為でありますが日々の暮らしの一部となっていなっていることもあり、儲からないからやめるという事にはなりません。お天道様のご機嫌を窺いながらの米作りです。科学が発展したといえ、お天道様をコントロールすることは出来ません。人の力でどうにもならない自然相手の農業です。常に自然の神様に謙虚に向き合い、全てを受け入れる。20歳で米作りをはじめて今年で48回目の米作りです。 それでも、「米作りは、毎年一年生」。その言葉を実感する日々です。何とも情けないというか、よくも、50年に亘り田んぼにしがみついて暮らしてきたものだという想いを強くします。「米作りは、生業だ。産業としてのコメ作りだけではない」という思いでコメ作りに励んできました。7年前に法人化した際、面川さんが株式会社の法人経営にしたのに驚いた。考え方が変わったのか、などと言われました。法人経営に移行して7年を過ぎた今、確信をもっていえます。「米作りは、生業だ」。しかも農村地域の担い手農家、農業者の仲間は誇りを持った農村地域社会の経営者だということです。その資質を知らしめるためにもこれからの農村地域の中核的担い手は、率先して法人経営者になること期待します。50年前から農業の担い手不足が叫ばれてきました。50年経った今、なにもかわってはいません。それどころか驚くほどに田んぼに寄り添う担い手がいなくなりました。農政の中でも、担い手不足を解消するための諸政策もありました。その中で農村に担い手がいないのであれば都会に求めればいい。ということで手厚い補助金まで用意したものもあります。よそから来る人を大いに歓迎します。なにも拒みはしませんしありがたいことです。しかし、その前にやることがあります。農村で生まれ育った若者がいます。その中に素晴らしい担い手候補がいます。よそから来る新規就農者と同じような手厚い支援を何故しないのかと疑問に思います。農村で生まれ育った、いわゆる親元就農者に対し全くと言っていいほど政策支援をしてきませんでした。  いま、ウクライナとロシアの戦争でにわかに世界的な食糧問題が注目されています。食糧自給率が37パーセント。日本の食糧は大丈夫なの。という評論家レベルで話題になるようになりました。 まだまだ、食糧問題は他人事。主食のお米の値段は、生産過剰ということで相変わらず超低米価のまま。お店に行けば農産物は棚に溢れています。 そのなかで、コメの生産現場では誰が地域の田んぼを耕作してくれるのか。何とかなると思っていたが、ここに来て誰に田んぼを頼むのか心配になるという状態。 担い手農家も、規模拡大に伴う新たな多額の投資を前にして躊躇するありさま。 10数年前に新潟にある中堅暖房機メーカーが、米作りに参入。一時話題になり現在80ヘクタール規模でコメ作りをしてきました。社長の思いで始めたコメ作りも、本社の指示で角田から撤退することが話題になっています。 この先、誰が田んぼを維持していくのか。先送りしてきた問題が、一気に表に出てきました。


NO,333  田んぼ通信 令和4・5・15

 只今 田植えの真っ最中です。今年の田植えは、例年通り5月3日から始めました。 4月28日に阿武隈川から用水をくみ上げ管内の田んぼに一斉に水が入り、代掻き作業が始まります。用水及び排水の管理は、土地改良区という農業団体が管理運営しています。私も、 あぶくま川水系角田地区土地改良区の役員をしていますので、田植えが終わるまでは忙しい日々が続きます。管内の受益面積は約5,000ヘクタールで県内でも有数の規模を誇ります。 天気が続くのは良いことですが、用水時期にはいると一斉に田んぼに水を引きますので水の奪い合いになります。 現在では田んぼの基盤整備が進み、水管理もだいぶ楽になりました。 私が米作りをはじめた頃(50年前)は、用水路の整備が進まず、田植え時期になると方々で 水争いが話題になりました。私も水引の苦労は経験していますので、土地改良区の役員になってからは、用水に関するトラブルだけは、出来るだけなくすように努めています。 今朝も管内の一部で、用水不足で困っているということで、現場で今後の対策を相談してきたところです。 「我田引水」という言葉があります。用水のトラブルは、集落内の日頃付き合っている隣り近所同士でおこることが多いので困ります。 話を聞けば、 近所の人との感情論までなっている様子。今年の用水には間に合わなかったので、来春の用水時期まで抜本的な対策を考えるということで地権者の皆さんに理解をいただきました。
用水等に苦情があるということは、米づくりをしている証。 苦情が届くことは、ありがたいことだと思える今年の田植えです。 今年の田植えは、驚くほど田んぼに人がいません。  毎年のことですが、5月の大型連休になると、家族総出で田植えをしたものです。米作りの中で、最も田んぼが賑わう季節でもあります。 ここ数年は田植えの賑わいも年々少なくなり寂しい思いをしてきました。 それが今年は激変。連休中だというのに 田んぼに人は殆んどいません。見かけるのは地域の担い手農家と、わずかに残った兼業農家の人たちです。先を争って水を引き田植えをするという光景は、昔話になるのではと思えるほどです。稲作の担い手不足や高齢化の問題は、いまに始まったことではありません。問題を先送りしてきたその現実が今年の田植えの風景に顕著に表れてきたといえます。昨秋JAが示した採算を無視した超低米価は、耕作を諦めるきっかけになったことは確かです。また、戦後の食糧難を必死に田んぼで米づくりをすることで、国民の命を支えてきたという誇りをもった農家の先輩方が身近にいなくなりました。  米作りを止めた田んぼは、我が家のように担い手農家といわれる農家にどんどん集まってきます。 我が家でも今年は一気に7ヘクタールほど田植えの面積がふえました。 数年前には、とりあえず50ヘクタールを目標に規模拡大を考えていましたが、今年は 二毛作の大麦と大豆の作付け7ヘクタールをあわせると総作付け面積は60ヘクタールになります。 苦労して規模拡大を模索してきた者にとって、あまりの急激な変化にどこまで規模拡大をすればいいのか不安になります。耕作面積が増えれば、所得も増えるというわけではありません。施設や機械装備も増強しなければ成り立ちません。それに要する投資額もバカになりません。その決断に迫られます。息子たちが米作りをやるというので新たな投資をしましたが、昨今の情勢を考えると不安になります。それでも、米作り農家として生きてきた我が家にとって息子たちが米づくりをやるというからには、結論は前進あるのみ。 これまで、多くの社会資本を投資してきた立派な田んぼが身近にあります。田んぼに米を作り続けることで、立派な田んぼを次世代に残す責任があります。それにもまして、日本人の命を支えてきた米です。世の中がどんなに変わろうとも、日本人にとってお米が身近にあるということが、国民の暮らしの安定、安心に貢献していると信じています。米作り農家の心意気として、これぐらいの気概と誇りだけは持ち続けたい。日本の経済も大激動時代の真っ最中。世界では戦争の最中で戦争犯罪を問う世論。戦争にいい戦争などあるの。私の頭は、ぐちゃぐちゃ。私に出来ることは、身近な田んぼに通いお米づくり。


NO,332  田んぼ通信 令和4・4・15

 今日は朝から冷たい雨が降っています。日中の気温も8.5度。 9日から昨日まで続いた連日27度を超す初夏を思わせるバカ陽気も一転し2月の気温に逆戻りです。 一日の気温差が20度近くあると体調を整えるのもたいへんです。 それにしても、極端な天気が続きます。自然相手の農業です。 常に天気予報を気にしながら、農作業を進めますが対応がついていかないこともあります。 百姓はじめて48年にもなるというのに、米作りは、毎年一年生。今回の季節外れの暑さ。それも四月だというのに夏日が3日間も続くという天気。ハウスでの温度管理には十分に気を付けるように心がけていたものの、管理がすこし甘かった。なにをやっているだと未熟さを実感する毎日。 それでも、稲の力を信じ毎朝ハウスに直行。「おはようさん」の朝の挨拶で一日が始まります。米作りで最も神経を使うのが今の時期です。今回の暑さで、桜の蕾は一気に満開へ。里山の景色も春めいてきました。本来であれば忙しい中にも花見の気分となるのですが、今年はその気分になれません。世の中、新型コロナウイルスの終息がいまだ見えず、先日の震度6強の地震の影響で震度3クラスの余震が数回ありました。その度に過敏に反応します。これまでにはなかったことです。なかなか春本番とした気分とはいきません。 先日のバカ陽気で一瞬、気分も和らいだのですが、昨日からの冬並みの寒さで気分もしぼんでしまします。 ところで、角田市には農業振興公社があり農業の人材育成や食農学習の里づくりを目的とした「あぶくま農学校」を柱に、農村体験交流や農業の担い手の育成等などをしています。発足以来20年以上が経ちます。  東京目黒区の小学校の皆さんとの稲作体験交流も11年前の東日本大震災の東京電力原発事故の影響で一時全面的に中止。交流事業は絶やしてはいけないという目黒区の皆さんの献身的な努力と目黒区役所のご理解をいただき一部の小学校で稲作体験交流事業を再開。それも束の間、今度は新型コロナ禍の影響で交流事業は再び全面停止。子供たちの交流事業だけではなく、農業公社が窓口になっていた一般農業希望者や東京農業大学の研修生受け入れや、東京工業大学の角田市農村体験事業なども相次いで中止。 昨日、東京農大から連絡があり今年の夏は、学生の農村体験研修を再開したいとの打診があったので相談したいとのこと。基本的にはいずれの交流事業も、研修希望者があるのであれば可能な限り受け入れするとしたものの、3年間もブランクを乗り越え再開となると凄いエネルギーが必要です。「あぶくま農学校」の運営委員設置規定を改めて確認したところ平成13年以来すでに20年以上も経過し、私も含め運営委員もそれなりに歳を重ね、今後の事業の在り方を再確認する時期に来たといえます。農村体験事業は、全国各地で実施されるようになりましたが、角田で始まった時は先駆け的存在でした。交流事業そのものは、すぐに経済活動に結びつくものではなく、しかも地域そのものに受け入れるだけの底力と理解がなければ続きません。20年以上も続けてこられたのは、角田市農業振興社の存在がおおきかったといえます。角田市の理解と研修生を率先して受け入れていただいた会員の皆様の協力があってこそ続いてきました。 小学校の稲作体験事業は、東京目黒区から今年こそは再開したいと打診があったものの、受け入れ側の角田市内の小学校では新型コロナウイルス感染予防のため子供たち同士の交流事業に関しては極めて消極的だという声も聞こえてきました。また、これまで角田市内の3つの小学校で実施してきましたが、その小学校そのものが児童数の減少から閉校・統合により数年内には角田市内で2つの小学校に統合されることが決まっています。
稲作体験事業は、地域の皆さんの協力があってこそ続いてきた事業です。統合された小学校が新たに受け入れ態勢を整えることは、地域の皆さんの協力体制の再構築の問題も出てきます。交流事業本来の目的を再認識し、自らの問題として再度問いかける時期が来たといえます。それにしても、ウクライナとロシアの戦争。戦争にいい戦争などないはず。全ての面で大激動期の毎日。今年もいつものようにコメ作りがはじまりました。


NO,331  田んぼ通信 令和4・3・14

 3月11日 午後2時46分。 11年前、東日本大震災が発生した日です。
あれから11年目を迎えました。今年は、10年を一区切りとして政府主催の大規模な追悼式典は行われませんでした。それでも被災地の治自体を中心に それぞれ思いを胸に追悼式典が行われました。 我が家では、あの時と同じ種籾の準備・塩水選作業をはじめました。
11年前とは違うのは、天気と作業の様子です。 11年前は、時折小雪が舞う寒い中の作業でした。しかも水仕事です。毎年のこと防寒着を身にまといながらの作業です。それが、今年は気温が15度。春を思わせる陽気の中の作業となりました。  今の時期は、田んぼは乾かず本格的な田んぼ仕事は出来ませんが今年は違います。 この冬は、殆んど雪が積もらず、しかもこのところの暖かさで田んぼが乾き、田おこし作業ができます。全国各地で大雪が話題となっていますが、ここ角田は、雪もなく乾いた田んぼの中、大震災当時とは、様変わりした田んぼの風景が広がっています。 11年前とは、天気も、農作業の様子も様変わりです。
私は、トラクターで田んぼの耕うん作業。今年の作付け予定面積は約50ヘクタール。10年前の倍以上の面積です。種籾の量も大変な量です。経営も法人経営となり7年目を迎えます。今年は、社長交代を考えています。塩水選作業等は息子を中心に従業員の皆さんでやりますので、私は作業に加わらず、トラクターで田おこし作業となった次第です。
11年前は親父さん等と家族皆で作業をしたものです。その親父さんも昨年6月に亡くなり、我が家の農作業風景も大きく変わりました。 田んぼ仕事の風景も激変です。春耕の時期、日曜日となれば方々でトラクターの姿をみかけるのですが、その数はまばらです。昨年まで元気に田んぼ仕事をしていた先輩。田んぼで姿をみかけません。今年になって、体調を壊し田んぼ仕事を諦めたというではありませんか。 トラクターや乾燥機等を更新し今年も田んぼをやると意気込んでいた身近な先輩。田んぼ仕事を断念したという話を聞くたびに寂しい思いをします。
 東日本大震災発生から11年目。トラクターでラジオを聴きながら迎えた午後2時46分。 黙祷の合図で、仕事の手を休めエンジンを切り東の空に向かって、ひとり黙祷をしました。 消防団で招集を受け 津波の被災現場に出向いた数日間の記憶が蘇ります。 一瞬の津波で日常生活が激変した当時の風景が蘇ります。コンクリートの土台だけを残して跡形もなく無くなった集落。おびただしい瓦礫の山。 正しく地獄絵のような光景。こんなことがこの世に起こるのかという強烈な想い。今でも脳裏に蘇ります。 歳をとったせいでしょうか黙祷を捧げながら涙をこらえることが出来ませんでした。 私の住んでいる角田市は、津波の被害もなく、ライフラインが途絶え、数週間程は不自由な生活をしたものの被害は少なかったといえます。 それでも、津波の被災地の現場を目の当たりにしてその後の人生観が、大きく変わったといえます。 少なくとも、以前にもまして肩書やお金に対する欲望は少なくなった反面、肩書やお金に対しての興味は増してきたことは確かです。必死に働き豊かな生活を求めて築いてきた当たり前の暮らし。その現実は、一瞬の大災害であっと言う間になくなるのだという真実。何を求めてこれからを生きるか。なにが正しいのか。正しくないのか。経済的な裏付け無しでは最も身近な家族の暮らしすらもおぼつかない現実。人は皆、家族から始まり規模の大小を問わず何らかの集団に属し生きている現実。 それだからこそ、経済の重要性や地位や肩書などを否定するものではなく、その役割を担った者の良識ある行動と責任の重要性を痛感する日々です。 突然始まったロシアとウクライナの戦争。連日テレビで映し出される戦場の映像。大震災による津波災害以上の惨状。同じ大災害でも津波災害は、自然災害。戦争は、明らかな人災。自然災害は、時間と共に諦めもつきますが。戦争は明らかに人災。人災は、諦められず人の心に憎しみだけが残ります。  特に戦争は、喧嘩そのもの。喧嘩両成敗という言葉があります。世の中の良識とやらは、どういう決着をつけようとしているのか。身近な地域にも問題が山積、閉塞感が漂います。先ずは、生き残る。自分を起点に考え、自分でやれることから一歩踏み出し行動するするしかないでしょう。

田んぼ通信 令和4年3月16日 震度6強地震報告   R4年3月17日

 昨夜深夜におきた 震度6の地震 これには驚きました。最初に突き上げるような縦揺れ少し大きめの地震かと思い目が覚め、収まりかけたと思った、その直後にとんでもない大きな横揺れがやってきました。 二階に寝ています。夜中だったこともあり、一瞬恐怖を覚える位の大きな揺れです。 すぐにテレビをつけて震度6強の地震と叫んでおります。大津波注意報が出たというではありませんか。  11年前の大地震の再来か一瞬恐怖を覚えます。数分後に停電となり明かりが消えました。 真っ暗です。 子供たちと懐中電灯の明かりで室内の様子を点検、ラジオをつけて情報収集。  室内と作業場の様子を点検し夜明けを待ちました。  昨年2月13日にも震度5強の大きな地震がありましたが、心配したほどの被害がありませんでした。今度の地震は揺れ方がこれまでとは違います。  これまでの地震では、大丈夫だったところがひび割れています。道路もめくれあがっているところもありますが、震度6強という大地震の割には、私の地域では、今のところライフラインの被害はありませんし、目立った被害は少ないようです。  心配なのがこれから田植え時期を控え、用水路やパイプラインが壊れていないかです。 特にパイプライン等は通水しないと点検出来ませんので心配です。万が一大きな損傷があれば、田植えに大きな支障をきたします。用水機場や用水路の管理は 土地改良区で管理しています。その役員として職員等に早めの点検をお願いしました。 それにしても、激動の時代の今を生きていることだけは確かです。 日常の生活には支障をきたしませんので ご安心ください。  先ずは、ご報告とさせていただきます。 追伸  地震から数日たちました。 今回の地震、角田市内でも地域によって被害の程度が違います。 特に角田市街地は、 11年前の地震より被害が大きかったという声も聞かれます。 今回の地震、縦揺れのあとの横揺れが、左右にゆすぶられるような極端な揺れのようでした。 阿武隈川に架かっている3つ橋の内 橋梁のひとつがひびが入ったということで復旧までには相当時間がかかるという大きな被害となりました。 地震は、本当に怖いです。             R4年3月30日


NO,330  田んぼ通信 令和4・2・13

今年は、全国各地から大雪の便りが届きます。 ここ角田は、相変わらず雪の少ない日が続いています。 昔から旧正月(今年は2月1日が旧歴元日)には雪が降るといわれていましたが最近はその雪も極端に少なくなりました。寒気団が南下し南岸低気圧が発達、北上するときに 関東地方に大雪が降るといわれています。それと同時に角田も大雪となるのですが、今回は、心配したほどの雪は降りませんでした。 いま田んぼには、雪はほとんどありません。今年の冬は、寒いという言葉をよく聞きますが、むしろ雪が少なく暖かな冬だと感じています。 昨年の秋から年末にかけて天気が悪く多くの田んぼで、秋耕等の田んぼ仕事が出来ずに年を越してしまいました。 それが、年が明けてから今日まで雪の日も少なく、しかも極端な低温もなく乾燥した晴天の日が続いています。 例年ですと、2月は田んぼ仕事がほとんどできません。それが今年は、雪も降らず極端な低温もなく連日の晴天で田んぼが乾いてきました。多くの田んぼで田起こし作業や、年内中できなかったワラの収集梱包作業を急ぐトラクター等の姿を目にします。 2月の田んぼの風景としては、ここ最近ではたいへん珍しいことです。一月から2月にかけ一年で最も、ゆっくり過ごす時期ですが、トラクターの姿を見ると外の仕事もぼちぼち気になるこの頃です。 ところで、時代は令和となり、平成生まれの若者が親となる年齢を迎え「家」に対する考えが劇的に変化していることに気づきます。 これまで、農を中心とする田舎暮らしに対する自分なりの思いもあって、世間の動きを気にせずあえて無頓着で生きてきたといえます。 それが、息子たちが成人し孫を育てる年となった今、親とひとつ屋根で暮らすのが、当たり前と思っていましたが、それは極めて稀なこと。少なくとも、同じ敷地内に独立した家を構えることが当たり前の時代になりました。 考えてみると以前はそのような暮らしを望んでも、経済的な理由などで出来なかったといえます。 少子高齢化の問題は、最も身近な暮らしや生活スタイルまで影響が及んできました。我が家でも 8年前に近所に空き家になったお宅がありましたの、譲っていただきそこに息子夫婦が住んでいました。昨年暮れに二人目の孫が生まれたのを機に、それを解体し自分の家を建てるということで現在工事がはじまりました。 10数年前にリホームした住まいです。私からすればまだまだ立派な住宅です。さすがに、近所のお宅を譲っていただくにあたり、私なりの想いもありました。 これでいいのかと自問自答する毎日でしたが、自分で責任をもってやるというのであれば遅かれ早かれ問題。 思い立ったが吉日。腹をくくって やりたいようにやらせるしかないと思っています。さて新型コロナウイルス・オミクロン株の感染拡大が収まりません。これから年度末を控え多くの団体などで総会等が予定されています。 感染拡大防止から各種総会で参集範囲を制限し、書面議決等で総会を済ませることが話題になってきました。 昨年もほとんどの組織で書面議決による総会が実施され、今年も二年続きで満足な総会を経ないで新たな事業年度を迎えることになります。総会に会員一同が参集し、お互いの組織に対する存在意義の確認のためにも議論の場を設けることが大切です。それが、出来ないのは組織にとって大きな痛手です。つい最近まで、どこの家でも米を作って暮らしてきた農家でした。 それが担い手の高齢化と低米価で、米作りを諦める農家が続出しています。集落の行事や契約会などは、集落で暮らすうえで必要不可欠なものとして受け継がれてきたといえます。田舎でさえもここ数年の急激な生活環境の変化と組織の中心的な役割を担ってきた先輩方が高齢化し年々少なくなってきています。昔の暮らしそのものを語り繋ぐ人もいなくなりました。米を作っているからこそ集落の行事や共同作業が成り立ってきたのだと痛感します。特に葬儀関係は、地方でも葬祭会館等を利用するのが当たり前になった現在、葬儀関係を主に担ってきた契約会は、組織そのものの解散が話題になる昨今です。どこの集落でも解散の危機を迎えています。「村八分という言葉があります」 どなた様でも、村で生きている限り二分だけは契約会で面倒見ることが契約会です。その精神は、相互扶助と共同体意識の確認の場です。最も身近な集落です。世の中がどんなに変わっても我が契約会は解散しません。それは、生きている限り若い世代につたえていきます。


NO,329  田んぼ通信 令和4・1・15

寒中お見舞い申し上げます。
昨年中は、たいへんお世話になりました。 今年もよろしくお願いします。
年末年始にかけ、大寒波の襲来で雪が降ったものの正月二日の夜には小雨が降る等、厳しい寒さは続かず比較的暖かな新年を過ごしています。ここ数日は、田んぼには雪もなく日陰の路地にわずかに積もった雪も日中溶けだすほどです。
今月5日に妻の実家に行ってきました。太平洋沿岸を走る高速度道路を利用したのですが、仙台周辺はまでは全く雪はありません。実家に近づくにつれ田んぼは真っ白銀世界が広がっていました。これにはびっくりです。実家は仙台から北で、宮城県のほぼ中央に位置しています。角田市は県南浜通り地域。同じ宮城県でも地域によって天候が大きく違います。今年の冬は寒いのか暖かなのか正直分からなくなりますが、私の地域は例年よりも暖かな新年を迎えていることは間違いないようです。
今年のお正月は、喪中でもあり我が家の正月様をお迎えする行事は全て控え、普段通りの暮らしの中で新年を迎えました。 静かな新年を過ごしています。 今年の我が家の正月様を迎える行事は、13日に神棚等お正月様を迎える準備等(今年は、例年よりも略した正月飾り)をし、14日に正月飾りを外し夜のどんと祭で古いお札などと一緒に燃やし小正月の団子差しをしました。正月行事を控えていることもあり新年の気分を味わうことは殆んどありません。昨年は、新型コロナ禍の影響で殆んどのイベント等は中止。 昨年11月に新型コロナの緊急事態宣言が解除され、感染拡大も収まりかけたものの新たな変異株による感染拡大が懸念される昨今の状況もあり、コロナ禍前の正月の賑わいには程遠いものがあります。2年余りのコロナ禍の影響は、日頃の暮らしまで変えようとしています。
  ここ数日お寺さんの世話役をしている関係で、ご年始の配りもので檀家さんを訪問する機会がありました。 まだ松の内ということで、上がり込んで世間話をしながらの配りものです。  世間話の中で、昨年おらほの部落で亡くなった人を数えたら8人もいた。生まれた子供の数はというと、面川さんちの二人目の孫さん一人だけだった。これでは人が少なくなるのもあたりまえだ。俺だち夫婦ももうじき80歳の二人暮らし。これから先を想うとどうなんのか・・・・。私の部落は、70戸余り。小学校の生徒は5人。少子高齢化の問題は、よそ事ではありません。身近な問題となり、暮らしの中に入ってきました。
昨年のJAのとんでもない超低米価米概算金の提示の問題が、ひとつの切っ掛けになりコメ作りを止める担い手農家が顕著になってきました。それも、10ヘクタールから20ヘクタール規模の担い手と呼ばれている農家がコメ作りから撤退するという事態です。 これまで日本のコメ作りの担い手農家の平均年齢は60歳半ばです。その農家それぞれにコメ作りの後継者が育っていれば問題ありません。それがコメ政策が、中途半端な総兼業農家を前提とした農政だったため、所詮 後継者が育つことは期待できるはずもなく、それが昨今の米をめぐる情勢の急激な環境の激変に対応できず一気に担い手不足が現実のものになってきました。 また、昨年は60代から70代の担い手農家の仲間が相次いで、病気などで生産現場からリタイヤ。 「誰に田んぼを任せるか」田んぼを引き受けてくれる農家がいなくなるのではないかという話しが現実味をおびてきました。中山間地など条件の悪い田んぼは、引き受け手がいません。 我が家でも、昨年の稲刈りが終わってから既に、7ヘクタールの田んぼを引き受けることになっています。今年の経営面積は、確実に50ヘクタールを超えます。 息子がやるというので引き受けましたが、50年前の就農当時では、考えられない経営面積になります。 これからこの傾向は更に強まります。いろいろ問題は、出てくるでしょうが時代の波を前向きに捉えやるしかありません。 米作りも激動の時代に入りました。  急激なコメ作り環境の変化についていかれませんので、そろそろ社長交代の時期だと本気で考えています。