NO,352  田んぼ通信 令和5・12・10

今年は、秋がなく突然 冬がやって来ました。 11月中旬を過ぎると里山も色づき晩秋の気配を感じるのですが 今年は秋がなく一気に冬がやって来ました。  それでも、例年に比べ暖かい日が多く12月とは思えない暖かな陽気が続いています。今朝(12月10日)の最低気温 なんと10度。最高気温が19度。吹く風も暖かく12月中旬と思えない穏やかな一日です。相変わらず 日々の気温差が大きくこの冬が暖冬になるか、寒気団がやってきて大雪になるのか見当がつかない年の瀬を迎えています。はっきり言えることは、お天気様がおかしくなっているということです。想定外という言葉があります。世の中の動きも大きく動き出しました。全ての面で、気が抜けない不確実な時代の真っただ中を生きているのでしょう。
昨年、7月から農業中心の生活から土地改良区の常勤役員となりサラリーマン生活が始まりました。 土地改良区は、市町村等の地方自治団体に準ずる性格を持っていますので公務員生活が始まったと言えます。 ようやく一年が過ぎ少しは仕事にも慣れてきました。今年9月で70歳になりました。 20歳からこの年まで50年余り専業農家として必死に田んぼと向き合って暮らしてきた人生です。 自営業として、自分の責任で行動し、自分の責任で仕事をしてきました。農業以外にも、好き勝手なことをしてきましたが、常に頭の中にあるのは、田んぼ仕事。休みといえども年中落ち着かず、ゆっくり時間を過ごすことができるのは、雪が積もる一月から2月ぐらいという生活を続けてきました。それが職員13名の小さな職場の管理職とはいえ 70歳を目前にして人生はじめての事務所勤め。準公務員の生活がはじまりました。
勤めがはじまる前は、少しはわかっているつもりが、経験して初めてわかることがたくさんあります。勤め始めて一番感じたのは、やけに休みが多い。しかも職員の福利厚生が極めて充実していること。定期的に土日が休み。暦通りに祝祭日も休み。しかも有給休暇も充実しています。四六時中忙しい生活をおくり、殆ど子供たち学校行事はお母さん任せ。 世間でいう良いお父さん像とはかけ離れた生活を送り、しかも「趣味は百姓・職業は農業」という農業という自営業の世界で生きてきた者にとって70歳にしてあらためて休日がいかなるものかを実感するあり様。農業の若い担い手が少しも増えない、統計上の数字だけは60歳以上の定年世代の親父さん達も加えてなんとか担い手の数を確保しているものの、そんな手法もいつまでも通用するはずもなく、現実は担い手が殆ど育つどころか益々 いなくなるという現実。 担い手確保を言うなれば、若い担い手が育つ環境(農業収入だけで暮らせる)農業環境をつらなければ意欲があっても暮らしが成り立たない。若者が農業を継ないのは当たり前。
 自営業の農業者が置かれている環境を外から客観的に眺める機会を得て一年余り。思うことは、たくさんあります。その一つが年金です。年金という言葉を身近に感じたのは65歳。 農協職員がやってきて年金が支給されるので受取口座を農協にして欲しいというのです。これまで年金が如何なるものか興味もなかったので、年金の話を聞いても他人事、他人任せの状態。その話の中で数年前に法人経営へ移行した際、厚生年金も受給できる という話を初めて知りました。話を聞き貰えるのであれば額は少なくとももらった方がいいということで、農協職員に手続きを丸投げ状態でお願いしました。その後、社会保険庁から「あなたの年金はゼロです」という連絡があり、これにはさすがに驚きです。話が違います。 納得できませんので、最寄りの社会保険事務所に出向き、そこで年金が如何なる仕組みなのか、初めて知りました。 年金に関して全く知識がありませんので担当者の話を聞いても質問すらできません。そこで、再び社会保険事務所に出向き、年金交付の申請をした際、社会保険事務所からいただいた資料によれば年金が支給されるということで申請したが、支給停止になるのであれば申請を取り消したいと申し出をしましたが返事がもらえません。それでも納得できませんので再三事務所に 通いました。其の結果、始末書なるものを書かされ、繰り下げ受給することで決着。農業という自営業であるため年金に関して勉強する機会がなく無知といわれればそれまでですが・・・・・。   あれから5年がたちます。昨年7月から小さな職場ですが5千ヘクタールの農地を管理する責任者です。70歳を目前にして人生初めての事務所勤務。 先日、総務担当から先月分の社会保険料を間違って徴収したので還付手続きをしたというのです。話を聞くと9月に70歳になり厚生年金の掛け金は必要なくなったので間違がって徴収した分を還付したというのです。
年金のことは全く意識していなかったので、5年前のことを思い出し社会保険事務所を訪ねて話を聞くことにしました。 繰り下げ受給してきたがこれからどのようにするかの相談です。75歳まで繰り下げ受給できること。年金は、損得勘定ではなく働けなくなった時の収入を得るための保険だ。年金で一番得することは長生きすること。結論は自分で考えろ ということでした。事務所勤務で感じることは、自営業である農業者は、年金などの社会福利厚生に関してあまりに無知ある。50年前から農業の若い後継者対策として、多くの時間と税金を投入してきた挙句、農業後継者が益々減少するというバカげた会議などを延々と繰り返す愚策を続けている現実。担い手対策として公務員並みの福利厚生を実現できる収入と休暇を保証できる農業経営環境整備の実現を本気で考える時期にきている。それなくして真の農業後継者は育たない。よいお年をお迎えください。


NO,351  田んぼ通信 令和5・11・15

今年も残すところ1か月半。あっと言う間に一年が過ぎようとしています。
11月というのに先日は夏日を記録しました。 いつしか空が高くなり少しは秋を感じますが、暖かな陽気が続き本格的な秋を感じることなく11月中旬を迎えました。 晩秋を迎え夕方5時には日が暮れます。例年夕暮れ時は冷え込み 物淋しい思いになるのですが、暖かな日が続いている為かその気分にならないから不思議です。それでも、今朝起きてびっくりです。 あたり一面真っ白です。 今年初めて本格的な霜が降りました。 季節は、確実に冬に向かっていることを実感します。今年の夏は、記録的な猛暑となり多くの農作物にも大きな影響が出ました。
我が家のコメは、この暑さにも負けず、程々の出来栄えでしたが、6ヘクタールを作付けした大豆は猛暑と開花期以降の極端な干ばつの影響で収量・品質共に最悪の状況となり殆ど収穫できない状態でした。 角田市は、普通大豆のほか納豆用の小粒大豆や枝豆用の秘伝豆の栽培も盛んです。毎年10月には枝豆用の秘伝豆のお祭りを開催していたのですが、今年は作柄が悪くお祭りを中止しました。 大豆の莢が生っているものの、中身の豆がまともに育っていないのです。豆が育ちませんので、枝葉はいつまでたっても枯れません。大豆の栄養が豆粒ならず、いつまでも体に残るために枯れないのです。 さすがに今朝の強い霜で葉っぱが枯れましたが、異常な光景が広がっています。 また、ポットマムを栽培している友人によれば、出荷時期を調整するため、昼の時間(日長)を人工的にコントロールして栽培しているが、あまりの猛暑で開花時期が予定よりも遅れ、市場に溢れ価格が暴落。嘆いていました。 畜産農家も、例年以上に飼育管理が難しく神経をつかったといいます。 農畜産物には、命があります。 命を扱う仕事は、常に気を許すことはできません。
コメ作りにしても、地域差、田んぼの力の差、同じ地域でも気候条件が微妙に違います。それを踏まえて田んぼに通います。気まぐれな、お天気様相手の農業です。しかも、お天気様が狂い始めました。お米作りが難しくなったと言えます。 それでも、コメ作りを止める訳にはいきません。生き残るために、どうするか。 先ずは、今年の猛暑をどのように総括するかに懸かっています。やるべきことは、足元から始める。自分の田んぼ一枚一枚を見つめなおすこと。 そのうえで、地域の中には、今年の猛暑中でも それなりの収量と品質を確保した農家が必ずいます。最も身近な先輩農家に、素直に聞き、学ぶことが最大の教科書となります。 最近の若い担い手農家は、身近な先輩農家や経験者の話を軽視する風潮があると聞きます。専門書や公的専門技術員の話は聞くが身近な者の経験による話を聞こうとしないといいます。 このことは、困ったことです。 大学で農学を学んで農業専業で生き残っている人はホンの僅か。(そもそもその殆どは農業関係の指導者とやらになり、専業農家として就農するのは稀ですから)しかも、篤農になれるかというと、そのまたまた僅かの世界。殆どは マトモナ作物すら収穫できないで、農業を語っている人がなんと多いことか。
しかも、指導者ズラシテ、評論家的立場で農業の将来を語ることで安定した暮らしが保証される。 この現実では、専業農家にならず、農業指導者を目指すのは当たり前。 誰も批判できません。 ごく普通の生き方ですから。  それはそれで、これまでは結構なことですが、世の中全体が浮かれた時代だったらまだしも。これからの農業後継者は、大学の専門知識をもって、だれでも納得できる栽培技術と、立派な農作物を自らの手で育てることで農業収入をもって農業で自立した暮らしを支える。 これは本当に難しいことです。 それにはまず、生産現場で実績を残している身近な先輩から学ぶことを大切した者だけが生き残れると確信します。 ところで、土地改良区の常勤理事として働き始めてから一年が過ぎました。漸く仕事に慣れ日常業務にも目が届くようになりました。最近特に感じることは、農地転用に係わる申請書類が多くなったことです。その中でも、米作りを諦め、太陽光発電パネルを設置するため、また 農地からほかの地目に変更するために農地から除外するという申請書類が多くなってきました。農地に関する地目変更等の許可申請は、農業委員会の仕事ですが 地目変更に当たり土地改良区は決済金をいただくことになっています。地改良区は全ての農地から用排水に掛かる経費と排水路や排水施設を維持管理するための経費を経常賦課金として農地に賦課しその賦課金収益で事業をしています。農地が少なくなることは将来の土地改良区の運営にも影響しますのでその対策を考える時期にきました。
先日も地元の先輩が事務所に来て、「俺も百姓を辞めることにした。田んぼを全て貸すことにしたので土地改良区に関する変更届申請にきた」というのです。話の中で、俺は元々コメ作りが大好き。損得勘定は別として 田んぼに通うことが生き甲斐だった。俺はもうすぐ80歳になる。同じ歳の仲間が次々にコメ作りを辞めるという話を多く耳にするようになった。自分の体のことを思うと、田んぼに対する思いも薄らいでくる。子供たちが田んぼを受け継いでやってくれればいいのだが、そもそも田んぼはいらないという。  淋しそうに話す言葉の端々に一抹の口惜しさが滲んでいます。 従来の田んぼへの思いだけでは、地域の田んぼが維持できない。 待ったなしで、思い切った農業政策転換が必要な時期に来たことを痛感する日々です。


NO,350  田んぼ通信 令和5・10・15

10月に入りこれまでの暑かった天気が一転。10月も中旬を迎え秋空が続いています。つい先日までの猛暑が噓のようです。人間は勝手なもので、秋晴れが数日続いただけで、これまでの猛暑も忘れてしまいます。9月の天気も平均気温が3.4度から4.1度たかく過去最高気温を記録。猛暑日も2回。真夏日は14日。熱帯夜は6日以上。7月から3か月 連続平均気温の記録更新。 数字を見ただけでこの夏が如何に暑かったことが分かります。
田んぼは、稲刈りも終わり人影はありませんが、10月に入ったというのに例年とは違った景色が広がっています。   稲刈りが終わったというのに、初夏のような青田の風景が広がっています。 今年は、これまでになく8月末から稲刈りが始まったことから、「ひこばえ」が例年以上に生長しているのです。稲穂を付けている田んぼもあります。さすがに収穫はできませんが、これにはびっくりです。 先日、「ひこばえ」活用で多収。地球沸騰化を逆手に取り再生二期作が可能。新しい多収米栽培法を九州地方で実証。という記事がありました。さすがに東北地方では不可能ですが、環境変化を嘆いているばかりでなく、生き残るために環境変化にしたたかに対応し生き延びる術を人は考えるのでしょうか。
さて、10月8日は、4年ぶりの地域の健康祭り。天気は秋晴れの絶好の運動会日和。 我が家のおばあさんも、孫とひ孫の様子を見たいというので一緒に見に行きました。 本当に久しぶりの集まりです。 会場の様子も様変わりです。会場は地元の小学校グランド。大会前日、会場の様子は普段通りで何も変わっていません。明日本当に健康まつりをやるのという感じでした。 大会当日、  天気は秋晴れ。風もなく穏やかな陽気。 ひと昔前の運動会のイメージしかない私です。競技内容は従来とは様変わりです。全てが走って争う競技がありません。 団体競技で年齢制限がない、全員参加型のゲーム感覚の競技です。 紅白玉入れに至っては、これまでは球を入れる籠は頭上高いところにあるのですが、地面に書かれた5メートル程の円の中心にあります。終わってみれば、なるほどなるほどです。 競技のひとつに、現在の小学校の全校生徒は、何人でしょう。という問題がありました。 北郷小学校は、3年前に生徒数が激減し私の村の北郷小学校に隣村の西根小学校が廃校になり北郷小学校に統合されたばかりです。 全校生徒が145名で◯か✖?を問う二択の問題です。一チーム10名の選手が個々に考えそれぞれ〇か×に分かれて答えます。不正解者は、退場し最終問題まで残った正解者の数の多さで順位を決める競技がありました。   正解は、〇です。 二つの小学校が集まっても一クラス20数名。なるほど子供の数が少なくなったことをあらためて痛感します。数年ぶりに顔を合わせる先輩の皆さん。それにしても顔見知りの先輩の皆さん 本当に少なくなりました。我が集落でも40代がまとめ役として活躍しています。 終わってみれば、私の集落が優勝。頼もしいかぎりです。
会場で久しぶりに会った先輩との会話の中で、「ここ数年のコメ作りを取り巻く情勢の変化が予想をはるかに超える激変には驚くばかりだ。問題を先送りしてきたことが一気に表に出てきた。 田んぼをやる人がこんなに一気に減るとは」と嘆いていました。 農業関係団体に勤めながら親父さんと共に米作りに励んできました。日頃の暮らしぶりも極めて堅実に生活してきた先輩です。兼業稲作農家として他産業に従事しプラスアルファとして田んぼの収入もあり、それなりに生活は安定していたようです。 多くの稲作農家の人達は、稲作期間中は早朝出勤前に、そして帰宅後に暗くなるまで田んぼに通い人一倍働き、米作りに励んできたといえます。日本のお米は、兼業しながらも田んぼを守ってきた多くの稲作農家のたゆまぬ努力で支えられてきたのです。 いわば総兼業稲作農家農政でこれまで維持されてきたといえます。その農政が音を立てて総崩れしてきている現実があります。米価がコストを大きく割り込んでいる現実と担い手不足から兼業稲作も限界にきているといえます。 また、昨今の「働き方改革」が農業界にも大きく影響してきました。特に、若い担い手にとって従来の生業としての農業から職業としてのコメ作りへの意識改革がすすんでいます。農業は、自然相手で人の都合にあわせて仕事をしていては成り立たないという従来の考え方では、若者に受け入れられなくなりました。農業も他の職業と同じように、決まった休日をとり、家族生活を大切にする働き方を考える時代になったのだと痛感するこの頃です。それにしても、暮らすための収入をいかに確保するか、です。 今の価格では、よほどの経営規模と経営能力と栽培技術を兼ね備えなければ専業農家として生き残れません。ますます厳しい世の中になったといえます。


NO,349  田んぼ通信 令和5・9・15

 9月も半ばというのに、30度を超す真夏日の毎日。しかも、相変わらず夜温の高い寝苦しい日が続いています。 昨日は、にわか雨があり夜温が25度を下回り久しぶりにぐっすり寝ることができました。 先週末に台風13号が発生。進路予想では宮城県直撃かという予報がだされ、稲刈りが始まったばかりで大きく被害を受けるのではと心配しました。幸い風雨共にさほど強くならず、最小限の被害で済みました。 まずは一安心といいたいところですが、今度は天気が続きません。 秋雨前線の影響で天候が安定せずにわか雨の日が多く、稲刈り作業が進みません。一部の田んぼで倒伏がみられます。しかも、蒸し暑い日が続いていますので倒伏した田んぼは、稲穂が発芽し品質低下が心配になります。少しでも、刈り取りを急ぎたいのですが、全てはお天道様にお願いすることしかできません。しかも、一切の経営は、子供たちに任せました。 もちろん、農作業に関しては口出し無用。作業手順に関して自分なりに思うことがたくさんあります。ましてや、今年のような異常気象の日々。少しでも、効率的な作業をと思うと、つい口出したくなりますがこれを我慢。 経営を任せた以上、一切口出ししないでいるのが一番だ。といわれるものの、これが自分にとっては大変な苦痛。それなりに経営をやっていますので見守ることしかないでしょう。  今年の稲刈りは、先月30日から始まりました。わが社でも、1日から始まりました。 米作りを始めて50年になります。8月中に稲刈りの光景を見るのは初めてです。7月から猛暑続きで登熟が進み、指導機関でも刈り遅れによる品質低下の懸念から早めの刈り取りを呼び掛けています。 稲刈りの時期の目安は、出穂から積算温度で約1,000度 前後だと言われています(品種によって違います)。今年は、7月中に穂が出そろった田んぼがありましたので、8月末には刈り取り適期を迎えたことになります。それにしても、連日の記録的猛暑の稲刈りです。これまでになく大変な作業が続きます。一か月以上も真夏日が続きしかも猛暑日も度々あります。 しかも、雨もほとんど降りません。土地改良区としても、用水の確保に大変苦労しました。管内5,000ヘクタールの田んぼの中には、用水が届かず田面が真っ白に乾き大きなひび割れができている田んぼがあります。ため池を利用している地域でため池の水が枯れ、一部の田んぼでは、稲が枯れているところも見かけます。これまで、手入れをしてきた田んぼが収穫目前で水不足で枯れてしまう。用水を供給する土地改良区の責任者として残念でなりません。
ところで、「日照りに不作なし」という言葉があります。 同じ日照りでも限度があります。 今年のような記録的な猛暑と雨が降らないとなると、米の品質が心配になります。
 稲刈りは、3割程度ですが、収量的にはまずまずのようですが、品質的には猛暑の影響が出ています。先日、我が家で米検査をして全て一等米という評価で一安心したところです。管内でも検査が始まりましたが2等米が多く出ているようです。品質検査は、見た目の評価ですので、2等米でもコメの味は変わりません。しかし、JA等の買い入れ価格が下がりますので収入面では大きな減収です。
 9月も半ばというのに、まだまだ蒸し真夏日が続いています。天気予報でも、この傾向が暫く続くようです。 しかも、雨が降りだし 倒伏する田んぼも目立ってきました。しかも相変わらず高温多湿の陽気。 ここで心配になるのが、穂発芽です。 一刻も早く刈り取りを急ぎたいのですが、天気が続きません。7月からほとんど雨が降りませんでしたので、雨が降り出すと雨が続きます。これまでの経験上そのような傾向になります。自然はうまくできていて、年間雨量は殆ど変わらないようで、どこかで帳尻が合うようにできているようです。お天気ばかりではなく、全ての事象は、良いことも悪いことも どこかで帳尻が合うようにできているのだと感じるこの頃です。 せめて、自分に与えられた日々の仕事を精一杯やるしかないのでしょう。
 コメ作りは、広い田んぼがあってこその仕事です。 常にお天道様の下での仕事です。お天道様の ご機嫌とお米の状態を睨んでの作業が求められます。したがって、米作りは経験がものをいうと言われます。しかし、今年の天候は経験したことのないことばかり。基本的な栽培管理を柱に、美味しい お米に育つことを念じ、真面目に田んぼに通う行為こそが最も大切な栽培技術だと信じます。 水管理ひとつとっても、何が正解かわかりません。教科書には書いてありません。回答は、田んぼにあります。いいお米ができた田んぼにこそ正解があります。「来年こそは」との思いを如何に持ちつけることができるか。米作りの原点は、まさにそこにあると思える今年の天気です。
  「米作りは、毎年が一年生」 古老の言葉が身に染みる今年の稲刈りです。


NO,348  田んぼ通信 令和5・8・14

 暑いですね。宮城も毎日が真夏日。今日(13日)で真夏日の連続記録を更新。7月19日以来の19日連続の真夏日を記録。37度を超える猛暑日もありました。 いつまで続くこの暑さ。 お元気ですか。 今月2日の各紙朝刊一面トップに観測史上 最も暑い7月という大きな文字が躍っています。 今月になっても暑さは続いています。 この記録的な暑さで田んぼの稲は、早稲の「ひとめぼれ」は先月末には穂が出そろった たんぼが多くありました。また、我が家の主力品種の「つや姫」は今が穂ぞろい期を迎えています。
稲の一生の中で、最も水が必要な時期です。田植え以来、まとまった雨が少なく しかも稀に見る高温続き、しかも吹く風も熱波を感じる強烈な暑さです。用水を管理している土地改良区では管内にある揚水機場ポンプを24時間体制でフル稼働。 懸命に田んぼの用水を確保するために働いてもらっています。 昨今の電力事情で電力料金高騰の影響を受け電力料金が大きな負担になっています。今年の稲作も最後の仕上げの大切な時期を迎えています。 ここで電力料金が高いからと運転を躊躇することは本末転倒。汲む水がある限り田んぼに用水を供給し続けます。 それにしても、連日の強烈な暑さは経験ありませんので、田んぼの稲にもどのような影響が出るか心配になります。    さて、天気が続くのはいいのですが、気温が極端に高い日が続くとコメの品質に悪影響を及びます。特に夜温が高いと稔りに大きく影響します。人間も同じで寝苦しい夜がつづくと体調を維持するのが大変になります。今年のように昼夜を問わず極端な高温が続くことは経験がありません。 正直どんなコメに仕上がるか心配です。  田んぼの水管理も判断に迷います。 管内の用水は、主に阿武隈川から5か所の揚水機場で取水しています。しかも管内5,000ヘクタールの田んぼに用水を供給するために、隅々まで張り巡らされた用水路に用水を流すために大小130か所に及ぶ揚水機場が配置されています。しかも、阿武隈川から取水した用水を無駄にしないために地域の幹線排水路に集まった水を再度揚水機場で循環して再利用するシステムになっています。 流れる水は冷たい。というのは誰しもが思う常識です。 指導機関でも、暑い時の水管理とて水をかけ流しすることを指導してきました。これには、以前から大きな疑問を持っていました。  用水はタダと思っている人が多いようです。 少なくとも当土地改良区が管理する用水はすべてお金がかかっているのです。 ただの水はありません。 その貴重な用水をかけ流しするということは、とんでもないことです。 また、流れる水は冷たいものという思い込みがあります。しかし、少なくともわが土地改良区管内の用水は、今年のような高温が続く年は、場所によって気温と同じかそれ以上に水温が上がります。 午後になって用水路に手を入れてみて驚きます。明らかにお湯になっているのです。このような用水を田んぼに入れて、果たしてお米は気分がいいものか。日中も暑く 夜も温かくなった用水をかける。年中お風呂に入っている状態で 果たして疲れないのか。心配になります。稔をよくするために水は必要です。暑さ対策にも水は必要です。 水管理として飽水管理などいろんな栽培管理も工夫されてきました。 流れる水は冷たいというこれまでの常識では 考えられないことがおこっています。 これまでは、東北地方は寒冷地稲作といって常に冷害を想定した栽培技術を中心に稲作に取り組んできました。 最近のような極端な高温が続くと稲作技術も根本から見直す必要があると感じます。 先ずは、現場から稲の様子をよく観察し、手まめな管理が必要なことは確かです。日々の管理が大切になることは 基本中の基本であることは間違いありません。人間も稲も気分良い環境で育てることは必要です。 何事も毎日の積み重ねで日々の暮らしが成り立っています。 言葉では分かっていても 凡人の私には、それが如何に難しいかを実感する日々が続いています。せめて一つぐらいは、自分で納得できる生き方をし たいと思いつつ、来月には70歳を迎えます。70歳いう歳に自分自身にびっくり。まだまだ勉強不足。 やるべきことがたくさんあります。そろそろ終活を考える歳?  そんな余裕はありません。

コロナ禍で振り回された3年間。少しは世の中落ち着いてきたと思ったら落ち着くどころか、本当のコロナ禍の影響は序の口。これから全ての面で激動の世の中を迎えるようです。それもとんでもない世の中になるような予感がします。 もう始まっているようですが・・・。
ところで、今年も お盆がやってきました。今日は朝から盆ダナ準備。山に行って笹竹とお墓の花たて用の竹をとりいきました。昨日は久しぶりの雨で降り辺りは朝露で潤っています。 田んぼの稲も晩稲のつや姫も一斉に穂が出そろいました。 夕方までに盆ダナ作りを終えお盆に必ず食べる油麩(あぶらふ)が入った おつゆを食べます。盆ダナに線香を供え、油麩のおつゆを食べると気分は一気に お盆です。 夕食を食べ終わり、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすことができました。 庭ではコオロギが盛んに鳴いています。あまりの鮮明な鳴き声に秋を感じます。季節は確実に秋です。暑い暑いと嘆いていたら夏は過ぎていきます。さて今年は、赤とんぼを多く見かけます。珍しく赤とんぼの群れをみかけました。 収穫の秋はもうすぐです。台風が来ないことを祈るだけです。


NO,347  田んぼ通信 令和5・7・15

 今日は朝から雨。梅雨入り以来 気温の変化が激しい日が続いています。 これまで梅雨冷えの日が続き冷害を心配する年がありますが今年は大丈夫のようです。しかもお天道様 が顔を出すと一気に気温が上昇。30度を超す真夏日の日々が続きます。
連日「線状降水帯」という言葉を耳にするようになりました。西日本各地で記録的な大雨で大きな被害が出ています。当土地改良区管内は令和元年東日本台風で大きな被害を被ったところです。ニュース等で映し出される災害現場の映像等を見ると決して他人事とは思えません。 明らかに天気がおかしくなっています。いつまた大雨がやってくるかわかりません。 先月の通信で春先から好天に恵まれ、しかも気温が高く農作物は全般的に生育が進んでいるという話をしました。先月末に知人を訪ねたところ、農作物の生育は例年に比べ遅れ気味だというのです。これには驚きました。5月から6月にかけて晴天が多かったものの、夜温が低い日が多かったため、生育が進まなかったというのです。田んぼの稲も、早く植えた稲と遅く植えた稲の生育の差が例年よりも大きいと感じていたところです。 特に5月末に植えた稲は生育の回復が遅く茎数が極端に少ない田んぼが目立ちます。
感覚的に晴天が続き暑い日がありましたので、農作物全般に生育が早まっていると勝手に思い込んでいました。昨年夏から事務所勤務になり作物と接する機会が少なくなったことを反省しています。 何事も思い込みではなく現実を確かめることの大切さを感じています。
それにしても、日常と異常の境がどこにあるのかわからなくなるくらい異常気象が頻発する昨今です。 お天気様が確実に狂ってきたと実感する日々です。
 ところで、土地改良区の課題のひとつに、地域排水機能を有する排水機場の経費負担問題です。 従来から農水省管轄や県農政部管轄で建設される排水機場の恩恵を受ける最大の受益者は、農地を所有する農家・農民であり、その経費を負担するのは当然という考えがあります。それに基づき排水機場の建設および維持管理経費の一部を農地所有者である土地改良区の組合員に賦課しています。確かに60年前の食糧増産時代に農地は貴重な財産的価値がありましたが、米をはじめとする農産物価格が低迷し、米作りを諦める農家が続出している現在、条件が悪い田んぼは、無償でも買い手がいない時代になりました。 巷では、食糧危機が叫ばれているももの、他人事のようです。 しかも、「線状降水帯」という言葉に象徴される頻発するゲリラ豪雨被害。大雨時の洪水被害から市民の生命財産を守るためという極めて公共性の高い地域排水機能を有する排水機場の建設費及び維持管理経費を農地の所有者である農家等から徴収していることへの疑問の声があります。  コメ作りを諦めた農家の農地は、担い手農家に集積されます。従来では考えられない規模の稲作経営者もでてきました。しかし、昨今の低米価や資材高騰などで担い手農家の経営もますます厳しくなりました。 地域の田んぼを荒らしてはならいとの想いもあって、田んぼを預かり規模拡大をした挙句、極めて公共性の高い排水機場の建設費や維持管理費まで担い手農家に負担させるということになります。このようなことでは、担い手農家でさえ経営を断念することになりかねないと危惧しております。 地域排水に関する経費は、行政(地域住民)で平等に負担していただきたいものです。
土地改良区管内には、地域内排水機能を有する農水省管轄の江尻排水機場があります。現在、国営施設応急対策事業として施設機能の保全と耐震化のための整備が行われています。更に、令和元年東日本台風被害で大きな被害を被ったことから更なる洪水対策が進んでいます。排水機場の機能増強と新たな排水機場建設などを含む、「防災・減災」を前提とする国営「角田丸森地区」土地改良事業二期工事として総合農地防災事業が検討されています。 洪水被害を防ぐための堤防や排水路・排水機場等を整備するには多額の資金と多くの時間が必要です。 田舎の市町村の財政ではどうにもなりません。事業採択にむけて農水省をはじめ多くの関係機関の皆様の理解と指導をいただくための提案活動をしています。 地震や洪水など自然災害の恐ろしさは、常に頭では理解できているつもりでも、体験して初めて分かることが多くあります。  地域づくりは、教育や文化活動も大切です。それを否定するつもりは全くありません。しかし、教育・文化等は人が住んでいればこそ必要なのではないか・・・・。 洪水等を心配する地域には、人は住まない。  土地改良区の仕事は、地域づくりの根幹を整備する仕事を担っている。 そんなことを、思いながら仕事をする毎日です。


NO,346  田んぼ通信 令和5・6・16

 6月11日 梅雨入り宣言が出ました。今朝も雨。曇天小雨が降るぐずついた天気が続いています。 久しぶりに梅雨らしい天気です。 梅雨の季節になると思い出すのが60年前、小学校時代に聞いた先生の話です。「梅雨の季節は曇天が続き、蒸し暑くジメジメした日が続くので、食中毒などに注意するように」。歳を重ねた今でも梅雨宣言とともに思い出すから不思議です。
最近は、四季のメリハリがなくなりました。今年の田植え期間中も夏日はもちろんのこと真夏日を記録するなど異常気象を実感する日が続いています。また、梅雨入り宣言が出されるものの幼い頃の梅雨のイメージとはほど遠いカラ梅雨気味の年が多くなったといえます。
今年は、春先からまとまった雨が少なく阿武隈川の水位も下がり計画した取水量を確保できず、また管内のため池等の水量も少なく田植え水を確保するのに苦労しました。田植えは無事に終わったものの殆どのため池は貯水量が3割程に減少し、これから夏場へ向けて水不足を心配していたところでした。梅雨入り宣言と同時に雨が降り出し、昨夜から今日にかけ久しぶりにまとまった雨が降ったこともあり 先ずは、ひと安心ています。
さて今年は、春先の育苗期から田植え期間中も好天に恵まれたこともあり稲の生育は例年になく順調です。田んぼによっては、畝間がふさがり100メートル先が見通せなくなっているところもあります。 稲づくりには、「青田ほめの下作」という言葉があります。 見かけの姿に惑わされることなく、常に収めどころを見極め田んぼに通う。 稲づくりは、コメ作りです。最終目標は、美味しいおコメをたくさん収穫することです。稲の教科書には、理屈は書いてありますがそのほとんどは、稲作農家の受け入れ。実際の田んぼ(作付け全面積の平均)で理屈通りの収穫量を確保するのは至難の業。(教科書の著者でさえ実際の田んぼで理屈通りに収穫できないことは 当たり前のこと) 少なくとも私にはできません。努力と能力が足りないといわれはそれまでですが・・・。
ただ激変するコメをめぐる昨今の情勢を見るにつけ、これまでのお米の「収量」を念頭におきながら稲作経営を考えてきたこれまでのやり方では限界を感じていました。経営としてはやるべきことは理解できても、行動が伴わない。(そもそも、法人経営に移行したものの、一般的な経済学でいう経営手法には今でも大いに疑問を持っている自分があります)このままでは限界があり稲作農家としては生き残れない。それでも、稲作経営として生き残るための基盤だけは築いた、少なくともその為に懸命に働いてきたという自負があります。 家族経営から法人経営に移行して8期目を迎え、社長を交代し農業団体の仕事をしているものの、米作りの第一線から退き、経営面積も50ヘクタールを超えた今、農業生産法人としての社会的責任は、米作りを継続すること、如何に世の中が変わろうとも米農家として生き残ること。そのためには、どうするか。 常に頭にあるのが「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るものではない。唯一生き残るものは変化できるものだ」進化論を唱えたダーウィンの言葉です。 自分が変化できないのであれば組織を預かるものとして、船頭を代える。それが、せめてもの責任だと思えるこの頃です。生き残ってはじめて時代を共有する資格がもらえる。いずれにしても生き残った者が、正解だということは何となく理解できるようになりました。  最近の世界情勢をみていると、何が正解かわからなくなります。生きる知恵にもならない知識をひけらかし時間を持て余すこの世の風潮。 世の中、情報は手軽に手にすることができる時代です。全ての人が評論家的存在になりなりました。問題は、自分はどう生きるか。身近な暮らしの中で世間とどのように関わりを持つか、評論家的言動で過ごすのか。 自分としてどう行動するのか。 せめてあぶく銭を求めて右往左往することだけはしない。 というよりも豊富な知識そのものを持たないのでそれすらできない自分です。 今更、似合わぬことは無理をせず、です。これまで通りに生きていくだけです。
ところで、土地改良区勤務いらい、我が家の経営には全く口を出さなくなりました。 それでも、季節は麦秋。今年は麦生育も早まり6月早々に麦刈りが始まりました。わが家では梅雨入り宣言の前日から麦刈りをはじめました。もう少しは早くはじめればいいと思いながらも、口出し無用ということで見守っていました。 本格的な梅雨来る前に収穫が終わればと心配しましたが、無事に収穫を終えたようです。陰ながら一安心です。麦は収穫時期に連続して雨に当たると、品質が急激に低下し売り物になりません。 種をまいたらしっかりと収穫をする。経営の基本中基本。忘れないでほしい。


NO,345  田んぼ通信 令和5・5・14

先月28日から土地改良区管内揚水機場運転が一斉に始まりました。管内の灌漑用水の殆どは阿武隈川から5か所の基幹揚水機場から取水します。また、阿武隈川から取水された用水は幹線用水路などを通して管内5,000ヘクタールの農地に行きわたるように先人達が知恵を出し用水路を張り巡らせてきた歴史があります。少しの農地でも水を引き、お米を増産すべく開墾してきた歴史があります。つい最近まで全国の農家・農民が一丸となりお米の増産に励んできたものです。(私にすれば、つい最近ですが、もうすぐ70歳を迎える年なったことを考えればひと昔の話になるのでしょうか。)その田んぼが、今や厄介者扱い。時代が大きく変わりました。その変化は4年余りのコロナ禍を経て予想をはるかに超える速さで驚くばかりです。 さて土地改良区で管理している幹線・支線用水路だけでも全長233㎞に及びます。 阿武隈川の水は、揚水開始とともに用水路を通じて一斉に田んぼに引かれ、待ってましたとばかりに 代掻き作業が始まります。 今年は暖かな日が続き苗の生育は順調です。あまりの暖かさで伸びすぎを心配するほどです。気がかりなのは、今年に入ってからまとまった雨が降らず、しかも連日の高温と晴天続きで田んぼはカラカラ乾燥状態。水源の阿武隈川の水位もこれまでになく低下。稲作期間で最も水が必要とされる代掻きから田植えまでの用水を確保できるかが大きな課題となりました。揚水開始とともに管内の主な機場を見回りましたが、いずれの水源は極端に少ない状態です。特に中山間地の河川を通常の一割程度の用水運転しかできない状態です。また ため池の水量も例年よりも少ない状態です。  水源に水があれば臨時ポンプを設置してでも対応できるのですがなんともできません。  コメ作りを諦める農家が多くなったというものの5月の大型連休を利用して田植えを予定している兼業農家はまだまだあります。事務所の職員は、大型連休に関係なく交代で揚水対応にあたります。職員には、用水に関しての苦情や問い合わせが例年以上に多く来ると予想されるので組合員の気持ちを察し丁寧な対応をするように話をしたところです。 連休期間後半まで期待していたほどの雨が降らず用水に関する問い合わせがあったものの心配したほどの苦情も少なく、連休最終日6日から7日にかけまとまった雨が降り一安心しているところです。  昨年から特に感じることですが用水や田んぼに関する苦情や問い合わせが極端に少なくなったといえます。これをどのように理解すればよいのか判断に迷うことです。 米増産時代を経験し兼業しながらも米作りを守ってきた先輩たちが高齢化とコメ作りから後継者が撤退宣言するのを契機に農業そのものを諦める時代になりました。 田んぼを所有するものの、委託耕作に出せば田んぼに行く必要がありません。自ずと米作りに関心がなくなるのは当然です。連休中に苦情の電話が少なくなったことはコメの生産構造が激変していることと関係しているかもしれません。
ところで、つい最近(私にすれば)まで、増産時代のコメ作りを多少にも経験し、その時代の生産現場の熱気を肌で感じてきた私にとって、米作りの原点は大先輩方の田んぼへ熱い思いです。  私の恩人で今は亡き大先輩は、山林地主であったこともあり山林を開墾し5haに及ぶ開田を開きました。山間地を開墾し米作りをするために用水を確保するために知恵を絞りため池を掘り、開田してきました。「目標は(夢)は、一日一俵のコメを出荷するコメ農家なること。米農家として将来を約束された安定した暮らしができる」という決意で開田に取り組んだといいます。 こんな山奥に田んぼがあるのか思えるところに、大金を投じて田んぼを造成しました。山の中に5haに及ぶ広大な田んぼが広がる光景は、見事であり圧巻です。田んぼの要所に、用水確保のための ため池が数か所あります。すべて、計算に基づいた ため池です。 現在でも友人の息子さんが田んぼを守っています。年に数回おとずれる機会があります。平場で米作りをしている我が家からすれば、畦畔の草刈り作業だけでも、数倍の労力がかかります。       平野部では、草刈り作業などは機械化され省力化進んでいます。急斜面の法面を維持管理するには想像を超えるものがあります。周辺の田んぼは、急速に米作りを諦める農家が目立ってきました。      その中で、懸命に田んぼを守っている姿を見るにつけ、頭が下がります。 土地改良区管内の田んぼは、平野部から中山間地まで様々の条件の下で米作りが進められています。 この農地を どのように維持していくか大きな課題です。生き残るためには、時代の変化にどのように対応するかが問われています。


NO,344  田んぼ通信 令和5・4・16

 「暑い春」気をもむ米産地。北日本を中心4月に入ってからも記録的な高温が続く。苗管理で注意喚起。  業界紙の一面トップに見出しが躍ります。今年の3月の平均気温が151年前の観測開始以降の最高を観測したといいます。 4月に入ってからもこの傾向は続き11日は、最高気温が25度の真夏日を記録、暖かな陽気が続いています。 土地改良区は、今月28日からの本格的な揚水開始を控え、連日揚水ポンプ機場の試運転や用水路の確認等を行っています。 13日は福島県と隣接する丸森町大内地区の揚水機場の試運転に立ち合いました。 4年前の台風19号の大雨で壊滅的被害を受けた中山間地の田んぼが広がります。いまでは、国など行政機関の手厚い支援と地元の皆様の献身的な努力で立派な田んぼに復興しました。 平野部の田んぼよりも多くの手間暇をかけて田んぼを維持し米作りに励んでいる中山間地の組合員です。壊滅的な被害の田んぼを目の当たりして、一日でも早く復興しなければ心が萎えてしまいます。せっかくの田んぼが荒廃してしまうと心配したことを思い出します。 立派な田んぼに復興し、田んぼに寄り添い米作りとともに暮らしが続いていることに安心しました。 主な揚水機場2か所を見ましたが、水源である川の水量が極端に少なくなっています。 これからまとまった雨が降らなければ、田植え作業に大きく影響するだろうと心配する声が聞かれます。 昨夜から雨が降ったものの湿らす程度で田畑を潤す程の雨は降りませんでした。今年に入ってからまとまった雨は降らず、田んぼはカラカラに乾いています。揚水開始までまとまった雨が期待できないようなことになれば、雨乞いの神事も本気で考えなければと思うこの頃です。  ところで、先月18日に部落の内谷契約会(班員27名)の総会がありました。コロナ禍の影響もあり3年ぶりの対面での総会です。今回の総会でよもやの解散することになりました。残っている記録は、内谷無常講(昭和24年(1,949年)旧暦10月3日。)・吟味帳・ロクシャク順番帳(埋葬時の世話係)・宿順番帳の三冊の帳面があります。  いまでは、内谷契約会と呼んでいましたが、記録に残っている帳面には、内谷無常講 とあり、その帳面は現在まで受け継がれてきました。私が入ったのは平成15年3月。親父に代わって加盟させていただきました。いまから20年前でした。総会で加盟が認められ初めて出席した際には、背広の正装で総会に出席するように言われたものです。 契約会とは別に若者契約会もあり成人となると長男(跡取り)は、必ず加盟したものです。若者契約の宿は、会員の家を順番に回って山盛りのご飯を残さず食べるという習わしがあり、残すと先輩方から厳しく咎められ 泣く泣く食べたという逸話もありました。 内谷契約会は、戦後間もない昭和24年からの記録が残っていますが 内谷無常講は、戦前にもあったはずです。 改めて無常講を調べてみれば、「互いに掛け金を積んでおき、葬儀の費用に充てる互助組織」とあります。 わが家が今のところに移住してきたのが今から200年前です。おそらく100年以上前の明治時代に何らかの形で内谷無常講なる組織はあったはずです。 時代と共に契約会の規約も変わり、 平成13年3月の規約改正にあたり規約の前文に次のようにあります。 「平成13年3月、長い歴史を経てきた内谷契約会吟味帳記録及び盟約的な不文律を代えて、会の運営を規約としてまとめる機運が高まり、検討の結果平成14年3月過去の記録等をまとめてこの規約を採択した。このことによって、歴史的に継承してきた会員の相互扶助の精神が一層深まることを期したい。」とあります。 これまでの葬儀は、契約会が主体で執り行っていましたが、特にここ数年はコロナ禍の影響で会合を持ついこともままならず、葬祭会館主体で準備から葬儀当日まで取り仕切るようになって契約会の役割が少なくなってきたといえます。 この2年間でも不幸が重なり27名の会員の中で9回の葬儀が行われましたが葬祭会館に依頼すれば難なく葬儀を過ごしてしまう時代を経験してしまったこともあります。 葬儀のありかたもコロナ禍の影響で、これまで耳にすることが少なかった家族葬なるものが普及し、何をもって家族葬なのかもままならず、旧態の葬儀と家族だけの葬儀のやりかたが混在する葬儀が続いています。 ここ数年は、契約会の規約は現代社会にあうように簡略化するなど現代社会にあった相互扶助精神にもとづいた組織に改編しようとしていた矢先でした。  総会の席上、会の存続はそれぞれ自ら意思表示でやるということで賛否をとることに。存続に賛成 26名中3名。反対23名。圧倒的多数であっけなく内谷契約会は解散することになりました。  これまで、当たり前のように延々と続いてきた従来の組織がコロナ禍で対面での会合や会議などが大きく制限され、時代が大きく、急激に変わっていることを実感しました。人は一人では生きていけません。暮らしを続けていくために時代の変化に如何についていくか。自分に問われています。


NO,343  田んぼ通信 令和5・3・11

 三月に入り夜明けが早くなりました。気温も上昇、数日前には最高気温が20度を超え5月下旬の陽気になりました。一気に春本番を迎えました。わが社でも例年通り育苗用の床土準備や種もみの塩水選など、本格的な農作業が始まりました。 12年前の3月11日。東日本大震災が発生。津波被災地は、未曾有うの大災害を被りました。テレビや新聞などでは、大震災の記憶と教訓を風化させまいと特集記事や特別番組が目立ちます。 この原稿を書いている最中に、携帯電話が鳴りました。震災の津波被害などで大きな被害を受けた石巻の知人のHさんからです。以前、NHKのラジオ深夜便の通信員をしたことがきっかけで知り合いになりました。年に一回ほどの電話でのやり取りのお付き合いです。今年で82歳になるといいます。 12年前、震災の際わずかながらお米や物資をお届けしたのを今でも感謝している、震災に関するテレビ報道をみて12年前を思い出し電話をしたといいます。ただただ、恐縮するのみです。 また、コロナ禍がはじまり3年が経とうとしています。徐々に収束の気配が見えてきたもののコロナ禍は、これまでの暮らし一変させました。特に身近感じることは、マスク姿が「当たり前」になったことです。 日頃からマスク姿には抵抗を感じていたもので、つい忘れることがあります。買い物や人と接する場所にマスクを忘れていくものなら罪人扱いにされるような視線を感じます。この3年間でマスク姿は常識となりました。 昨年7月から事務所勤務になり当然マスク姿を通しての仕事は当たり前です。先日職場の歓送迎会あり、久しぶりの飲食を伴う会合です。会話が弾みマスクを外して会話をたのしむことができました。特に最近就職した人は、マスクを外した顔を初めてみるという職員さんもいます。  やはりマスク顔よりもマスクなしの素顔がいいですね。「口元がほころぶ」「愛らしい口元」などといいますよね。早くマスクなしの素顔の会話が当たり前という生活に戻りたいものです。  ところで、昨今の相次ぐ物価高には驚くばかりです。土地改良区は総代会を控え来年度予算編成の最中です。特に電力料金の高騰は事業運営にも大きな影響があります。本年度当初予算は、約6千万を計上しましたが、東北電力に確認したところ来年度は倍の1億2千万を計上することになりました。 これには本当に頭が痛くなります。土地改良区は、収入の殆どを組合員の農地に経費を賦課しその賦課金収入を基に事業運営をします。組合員が健全な経営状態であれば賦課金も順調に収めていただけます。昨今のコメ作りを取り巻く環境は、厳しさを増すばかり。生産コストさえ賄えない低米価と生産資材等の急激な高騰などで経営は限界に来ています。 「生産資材や他の食料品はあがるのに、なんで米だけがアガンネンダヤ」という素朴なボヤキが聞かれます。ほとんどのコメ農家は作れば作るほど正真正銘の赤字続き。米作りを諦める農家が続出。米作りが成り立ってこそ土地改良区の事業も成り立ちます。 米農家の組合員からすれば、改良区の存在は最も身近な存在。それがゆえにストレートに「米作りが大変な状況が分かっていながら、なぜ賦課金を上げるのだ」という抗議の声いただくのは目に見えています。来年度の予算編成にあたり収入源である賦課金収入には手を付けず、積立金の取り崩しや用排水費などの経常経費を見直しすることで予算を組むことにしました。 このまま電力料金などの高騰が続けば近い将来、賦課金の増額を求めざるをえません。改良区としても事業運営コストの削減の努力を示さなければ納得できる予算は組めません。職員には、「給料は、組合員からの貴重な賦課金をもって支払われている。常に頭に入れながら仕事をしてほしい」と話しています。  さて、最近気になることがあります。世界的インフレの進行と相まって、ウクライナとロシアの戦争を契機に食糧危機を唱える意見や食糧の国内自給率に対する見解を目にすることが多くなりました。それでは、国内の食糧生産の現場に対する現状認識がどれほど深まったかは疑問です。 多くの消費者の皆様にとって、食糧危機は常に他人事でしかないようです。いつでも何とかなる。食べ物がなくなれば人は生きてはいけない。人間の生存にとって必要不可欠の物の一つ。これは誰しもが理解していることです。あまりにも「当たり前」のことで 「当たり前」だからこそ常に食糧が溢れている現実になんら疑問すら感じなくなっているようです。 人は、「当たり前」のことに対して金銭的対価はみいだせないようです。あまりにも「当たり前」すぎて身近にあることが「当たり前」であるがゆえに、お米は常に安価に購入できるのも「当たり前」。 これに対し生産者の立場からすれば、再生産できる収入があってこそ、米作りが続けられるという「当たり前」ことが「当たり前」でなくなり米作り諦めるとうことは「当たり前」のことです。 消費者皆さんの「当たり前」と生産現場の「あたりまえ」。「当たり前」のことが互いの暮らしの中で共有できない現実に歯がゆさを感じる日々です。お店にお米がなくなって初めてお互いに「あたりまえ」になる。そんなものですか。


NO,342  田んぼ通信 令和5・2・12

 いま、角田の田んぼは一面銀世界が広がっています。一昨日夕方から降り出した雪は、夜半まで降り続き朝まで20センチを超す大雪となりました。今朝は、孫たちがソリに乗り大喜び。  今年は、一昨日までこれまでにない暖かな新年を過ごしていました。北向きの日陰にも雪はなく、しかも土も凍みていませんでした。例年ここ角田は、旧暦正月を過ぎる頃に 雪が降りだします。  新春に南岸低気圧が北上し東京などに雪が降るとほぼ同じに角田も雪が降るようです。人は本当に身勝手なものです。雪国の人には申し訳ございません。被害につながる大雪は困りますが、多少の雪は心が落ち着きます。  今年の冬は、暖かいと感じる人、寒いと感じる人と様々です。極端な気候が続いているからでしょうか。それにしても、今年の夏の天気が心配になります。  今月初めに隣村の諏訪神社の「筒がゆ目録」を授かってきました。今年は、二枚授かりました。我が家と事務所の分です。 宮司さんによると「筒かゆ目録」を授かる人は年々少なくなっているといいます。先日、事務所の朝礼の際、目録の話をしましたが知っていたのは、再任用した一人だけ。他は全く存在すら知りませんでした。  そこで、目録の由来を少しだけ話しました。 仙台藩主 伊達政宗が初陣の際、諏訪神社に祈願宿泊した際、ちょうど小正月を迎える「筒かゆ目録」の神事であったため、戦いに勝利した褒美として遠く岩手県内まで及ぶ伊達藩領内に作占い「筒かゆ目録」の販売権を認めていただき今日に至っている・・・・・。 天気予報は、スーパーコンピューターを利用するようになって当たる確率が高くなったが、長期予報に関して全く当てにしていない。「筒がゆ目録」が今でも信頼性が高いと信じている。自分にとって今でもコメ作りの目安。改良区の仕事は、お百姓さん相手。しかも、自然相手の仕事。神様云々という気はない。 日本に何千年も前から伝わっているもので、新興宗教のようにお金がかかるものではない。身近な諏訪神社を農の心のよりどころとして自然の全ての神様にたまには手を合わすことも悪くはないのでは・・・・・。 さて、今年の作柄は全般に良い、という結果がでました。神のみぞ知る。基本に従って日々の仕事を真面目に積み重ねるだけ。神様は、毎年そういっています。 ところで、昨年末に資料を整理していた際、令和元年10月・台風19号による大雨による大水害時の被災状況の記録写真(国土地理院ホームページ・空中写真閲覧サービス)を職員から紹介され、当時の(角田・丸森地区)伊具盆地被災状況・空中写真を見て唖然。  当時は稀にみる大雨で私の集落も水没、4日間ほど孤立状態。隣町の丸森町は多数の死者が出たことから全国ニュースになる大惨事となりました。同じ伊具盆地にある角田市もニュースには大きく取り上げられなかったものの盆地特有の地形と相まって、丸森町に降った大雨は角田市内に流れ込み大水害となりました。 確かに大雨だった記憶は鮮明に覚えているものの、空中写真による角田市内の水害状況を目の当たりにして衝撃を受けました。この貴重な写真を角田市・丸森町の多くの皆さんに見てもらうことが、地域づくりを語るうえでの一丁目一番地だとの思いを強くしました。 早速、担当課長と相談し、約40枚の空中写真をより見やすくなるように編集してもらい関係機関に配布することにしました。私の村には、今から約百年前・昭和初期に当時としては東洋一の国営江尻排水機場があります。曾祖父も建設に携わったと聞いています。 40年前に改築され現在でも日本屈指の排水機場として活躍しています。建設当時の経緯は聞いていたものの、なぜ日本一の排水機場が必要であったのか。藩政時代から水害常襲地帯だったといわれてきたものの、写真を見れば一目瞭然。言葉はいりません。 伊具盆地のほぼ中央を東北の大河「あぶくま川」が流れています。福島県・奥会津を源流として宮城県から太平洋に流れています。伊具盆地は、フライパンのような地形です。四方を山に囲まれ南の丸森町から北の角田市国営江尻機場までは、ほとんど高低差がない県南一の広い水田地帯が広がっています。 排水機場なくして地域内排水ができないのです。角田市は国営江尻排水機場が生命線なのです。街づくりを考えるうえで教育・文化の重要性は理解できます。教育・文化は人が安心して住んでいればこそ必要です。排水機場の強化なくして角田市の街づくりは語れません。 現在、国では農水省を中心に国営総合農地防災事業を立ち上げていただき、地域防災・減災のために果たす農地の重要性を再認識し、農地ばかりでなく地域内排水を考慮した新たな事業を進めていただいております。 事業採択に向けて農水省をはじめとする関係機関の皆様や国会議員の皆様、そして角田市長・丸森町長が先頭に立ち強力にご理解をいただくためお願いしているところです。  さて、排水機場の維持管理経費は、行政からの補助金をいただきながら土地改良区が事業委託を受け運営しています。農水省事業のため、経費の一部は組合員からの賦課金で運営しています。しかし、昨今の農業情勢から稲作農家が激減しています。加速度的に担い手農家に農地が集まってきました。  土地改良区の賦課金は農地に賦課します。地域の田んぼを預かった担い手農家の負担が多くなるばかり。せめて地域の排水費は市民全体で賄うことにしなければならないとの思いを強くします。


NO,341  田んぼ通信 令和5・1・15

  明けましておめでとうございます。今年も 宜しくお願い致します。
昨年4月社長を交代し、7月から土地改良区の常勤理事長に就任しました。これまでの通信でもお伝えしましたが、稲作経営は、すべて次男の新社長に任せました。 経営に関しては、殆んど口出ししません(口を出すと文句をいわれ、取り合ってもらえないのが実情ですが)。 それにしても、なんとも歯がゆい時間を過ごしてきました。 それでも、農業経営に関しては、従業員の皆様のご理解とご協力をいただき無事に新年を迎えることができました。 取引先の皆様や個別のお客様には、あらためてご挨拶の機会もなくご不便やご迷惑をおかけしましたことと存じます。お詫び申し申しあげますとともに、格段のご配慮をいただき心から感謝いたします。 今年も相変わらずご指導とご協力をお願いいたします。
 今年は、正月4日から仕事はじめです。我が家の仕事始めは11日の「農のはじめ」を過ぎてから、本格的な農作業をはじめることとしてきました。 今年は正月の最中の4日から仕事がはじまりました。正月気分を味わう暇もありません。土地改良区の常勤役員になったことから公務員と同じカレンダー通りの勤めが始まりました。 ごく普通の人生であれば、人生70歳を一区切りとして、終活を考える時期です。残りの人生は、誰にも遠慮することなく自分で好きな時間を過ごしたいものだとはよく聞く話です。70歳をまえにして、人生はじめて自営業からサラリーマン生活です。  勤め仕事が始まったものの1月11日は、我が家の仕事始め。 今年は、勤めがありますので、夜が明けるのを待っていつものように米俵に飾ってあったオガン松を下ろし、田んぼに持っていき、簡単な儀式を行いこの一年の農作業の安全と豊作を祈願しました。 新年を迎え、日が暮れる時間が夕方5時を過ぎても明るくなったものの、夜明けの時間がさほど早まらず朝7時過ぎてから朝日を拝みます。夜明けるのが待ち遠しい時期でもあります。 コメ作りを始めて50年になります。毎年、地球温暖化を体で感じながら「農のはじめ」をしてきましたが、今年ほどの暖かさを経験したことはありません。昨年末から雪らしい雪が降らず、しかも気温も異常なほど高く、これほどの暖かな正月は初めてです。北向きの路地や日陰には、今の時期は多少なりとも雪があり土は凍みているものです。今年は何処にも雪はなく凍みてもいないのです。 通勤するにはたいへん楽ですが、今年の夏のお天気がとても心配になります。お天気様は確実におかしくなっています。 また、難しいことは分かりませんが、物を創り出す仕事、農業のみならず、あらゆる分野で汗をかき時間をかけて身につけてきた技が消えかけています。   ところで、土地改良区は、農地を持っている農家が組合員です。5,000名の組合員がご主人様で、組合員の信任を得て組合事業運営を任されています。今回、その責任者として云わば雇われ社長でありサラリーマンになったといえます。サラリーマンの定義は、いろいろあるようです。我が家はこれまで、農業以外の仕事で定期的に現金収入を得た者は、誰ひとりいませんでした。常勤役員として初めて勤めた私にとって、サラリーマン生活が如何なるものか実感する日々です。 土地改良区の仕事に関しては、役員も経験していましたが、いざ責任者として内部にはいると初めての経験ばかりです。関係機関との調整などは、ある程度は心得ていましたが、職員の皆様が日々の仕事に前向きに取り組める環境を創ることに関しては、初めての経験であり戸惑う事もあります。 これまで、お天道様の下で、全てが自分の意思で、 時間も自分で自由に使い、仕事とはいえ好きなコメ作りにこれまでの人生の全てを使ってきた生活です。しかも、 仕事の結果に対しては、全ては自分の責任。 愚痴はいっても、自分に返って来るだけ。誰に遠慮することなく言うことは言う。その責任は、自分でとる。 その覚悟で生きてきた70年です。  ある程度は予想していたものの、人様の気持ちに寄り添い目標を一つにして仕事を進めることの難しさを 痛感させられる日々です。組合員の暮らしを支えることが 私に与えられた最大の役目です。しかし、職員一人一人にも家族があり、それぞれの暮らしを支えるため働いてもらっています。職員の暮らしを支えるためにも改良区の組織を守る責任もあるのだと思う頃です。いま農業情勢は、極めて厳しい状況にあります。同じ農業団体のJAや農業共済組合が時代の流れの中で大規模な組織改編や厳しい事業展開を余儀されている現状を見るにつけ、世の中の動きや環境の変化に対応できなければどんな組織も存続はありえない。改良区は、大きな役割を担っているにもかかわらず、ここ10年来その存在すら分からなくなっています。土地改良区は極めて閉鎖的な組織として存在し、世の中の動きに極めて鈍感な組織になっています。 これでは、組織の存在すら危ぶまれます。先ずは、職員の自信と誇りを取り戻すことからはじめます。今年は3年前の大水害を踏まえ、国営による大規模な地域排水事業プロジェクトが検討されそれが実現するか正念場の年を迎えます。大事な年になります。