NO,363  田んぼ通信 令和6・11・16

 11月半ばというのに相変わらず暖かい日が続いています。蔵王の山々から、初冠雪の便りが届いたというのに、霜が降ったのはまだ2回ほど。最高気温も20度を超す日があります。日々の気温差が激しいです。数日前に霜が降り里山も色づきはじめました。ここ数日、小春日和の日がつづいています。今年は秋を感じることなく一気に晩秋から冬へ。 コメ作りを始めて50年。またまた無責任な農政が展開されそうです。正直これ以上、政治に振り回されたくありません。 あらゆる農業生産現場で疲弊困憊。 もう勘弁してくれ!・・・・・・です。 先日、親しい先輩がやってきて話になったのが、中古農機具の山。近所の空き地が、あっと言う間に中古の農機具で一杯になったというのです。 まだまだ使えそうなコンバインやトラクターがたくさん集められている。あの中古機械具の山を見れば如何に田んぼの耕作を諦めた農家が多いことかが一目瞭然・。 第二種兼業稲作農家として退職まで会社勤めをしながら懸命に田んぼに向き合ってきた先輩です。80歳になりました。これからも兼業稲作農家として暮らし、米作りを続けていくようです。 これまでの日本の米は、先輩のような極めて真面目な多くの農家の努力で維持し守られてきたといえます。
 決して農水省やJA等の農業関係機関の皆様の存在を否定する気持ちはありませんが、田んぼを守り田んぼに寄り添い各々の暮らしを守るため、お米を供給してきたのは多くの兼業稲作農家です。問題は、兼業農家でも農外所得の割合が50パーセントを超える統計分類上 第二種兼業農家(そのほとんどが稲作農家)という現実です。 兼業稲作を否定しません。しかし、食糧生産産業としての農業を考えるとき、第二種兼業稲作農家にこれからもコメ作りを委ねることは無理があります。第二種兼業農家の殆どは、後継者がいないという現実。多様な担い手育成は否定しません。少なくとも農業所得で暮らしていける後継者が育つ農政を真剣に模索する時です。
 戦後農政の失敗の源は、1961年に制定された農業基本法にあるという論調があります。私は、それには賛成できません。 問題は、農業基本法そのものに欠陥があり間違っているのではなく、その法律を制度化し農政に携わる多くの職員やJAなどの農業関係機関で働く職員がその精神を理解し誠実に仕事をしたか。私は、大いに疑念を持っています。 基本法農政制定以来、基本法農政に逆行するような「生産構造改革反対」に賛同するかのような生産現場を追認する推進体制。 いい加減な無責任ともいえる農政推進の在り方そのものに問題があったと考えます。  「社会的共通資本」という著書があります。ノーベル経済学賞に最も近かった日本人といわれた宇沢弘文先生の著書です。 その著書の中で「農業が若者たちにとって魅力的でなくなった最も大きな原因は、農業に従事することによって得られる職業的充実感がすくなくなり、知的な意味でも、社会的意味でも、存在感が極めてうすいものになってしまったことにあるのではないだろうか。・・・たとえ、農の営みが社会的、経済的に重要な機能を果たすということをよく知っていたとしても、 また農の営みに対して本来的な性向をもっていたとしても、農業に従事することを若者に選択せよというのは、非合理的であり非現実的だといわざるを得ない」 農に誇りを持った農業経営者が育つ農政を望む。


NO,362  田んぼ通信 令和6・10・12

 秋雨前線の影響で、稲刈り後半に天気が大崩れ。思い起こせば60年前にも、長雨の影響で穂発芽の多発でたいへんな思いをしたこともあります。自然災害は忘れたことにやって来ます。農業は想定外という言い訳は通用しません。常に経験を大切に早めの仕事が基本です。
ところで、米の値段が予想をはるかに超えるほど値上がりました。最近は、道の駅などに生産者が自分の責任で直接販売することが多くなりました。 値段もそれぞれが決めて販売します。新米の値段が予想以上に高騰したので、いくらの値段で販売するか戸惑う生産者を多く見かけました。 稲刈りが始まりこれまでになく民間業者が積極的に買い付けに入りました。その価格を聞いて、ビックリ。 手取りを増やしたいとの思いから道の駅などで直接販売をして努力してきたものの、その買取り価格が店頭価格よりもはるかに高い値段で買っていきます。生産者からすれば庭先で手汚さずに販売できます。低米価で瀕死の状態だった米農家からすればJAの買取り価格よりもはるかに高い買取り価格を示されれば庭先販売へ走るのは当然です。 一昨日(令和6年10月11日付 河北新報 総合面に 「JAのコメ概算金 三銘柄 3,000円増 」 宮城のブランド米「だて正夢」は概算金増額なし。 この記事をみて「なんで今頃?」 苦労した今年の稲刈りも終盤を迎え殆どの農家は収穫を終え、出荷も終わっています。 しかも、知事が肝いりで育てた宮城の新しいブランド米「だて正夢」は概算金の増額はないという。 全農みやぎにはコメの販売戦略というものがないのだろうか。それともJA全農はコメの集荷・販売を諦めたのだろうか。
今回の遅すぎた概算金の増額報道。   生産者からすれば、これまでの米価があまりにも安すぎたこともあり今回の米価高騰に驚いています。その反面、今回の民間の買取り価格が生産コストを賄えるまともな価格だといえます。 これまで米価は、各県JAが収穫前に米の買取り価格を概算金と称して大々的にマスコミなど通して公表し、それを見て民間業者等が買取り価格をきめていました。プライスリーダーは、JA(農協)でした。 今年はJAが概算金を公表する前に民間集荷業者等が予想をはるかに超える60㌔当たり23,000円から24,000円で集荷開始。この値段は続かないだろうとの思いからか、先月はじめに地元JAが公表した価格は、生産者手取り買取り価格が60キロ15,800円。これではJAに米が集まらないのは当たり前。 昨今の生産資材高騰を一番わかっているはずのJA全農。米などの農産物は、コスト高騰の価格転嫁は難しい等と言い訳をいい、販売努力をせず、全てを政治に求める。生産現場を無視し米価を上げようとしないJA全農の姿。 プライスリーダーは、全農の手を離れる節目の年になるかもしれません。
コメ農政に振り回され続けた 我が百姓人生50年。いよいよコメ農政も激動の時代を迎えたようです。生き残りをかけた経営戦略をいかにたてるか。勝負のときです。


NO,361  田んぼ通信 令和6・9・7

令和6年産 新米をお届けします。 今年は、昨年と同じく観測史上 最も暑い夏となりました。 昨年と違って、今年の夏は夜でも熱帯夜が続き 湿度が極端に高くムシムシする寝苦しい夜が続きました。
さて、先日の台風10号。観測史上最大級の台風に発達。何とか無事に過ぎ去ってほしい。 今年こそは、このまま何事もなく収穫させて欲しい。 祈るような日々で過ごしてきました。  わが家では、8月31日から稲刈りが始まりました。8月中に稲刈りをすることは、初めてです。 これまでになく早い稲刈りです。極端な暑い夏を乗り越えて、今年も無事に収穫することができました。 先ずは、新米をお届けできますこと、嬉しく思います。 経営は、全て息子達に任せた今、一切口出しをしないことにしましたが、コメの出来栄えに関しては、最も気になるところです。 例年通り、新米を炊き 家族揃って神棚に報告。 私が言うまでもなく息子たちが 率先して神棚にお供えしたことは、何も言わなくても子供たちは、我が家のコメ作りを見ているのだと改めて感心しました。 この気持ちがあれば、これから技術的にも、経営的にも多くの困難が待っていても乗り切ってくれるだろうとの思いを強くしました。
ところで、今年の新米の値段。 全く異常事態です。7月から8月にかけてスーパーなどのコメの陳列棚から米が消えたというのです。令和のコメ騒動と連日、マスコミなどで大きな話題となっています。 生産現場にいて「なに言ってんだ!」との思い。 新米の出荷時期になり、新聞等で関東方面の買取価格は聞いていたものの 直近のコメ買い付け業者の買取価格を聞いてビックリ。これまで米の値段は、JAが出す米の買取り価格を目安に他の業者が値段を決めるという構図でした。 昨年の、JAの買取価格は(60㌔・一俵・一万2千円前後)。今月いっぱいという期限付きの条件ですが 業者が実際買い付けている値段一俵 2万円以上、業者によっては2万4千円の買取価格。これには、正直ビックリです。本当に米がないんだと実感するあり様です。地元のJAの今年の買取価格一万六千円と昨日発表。 この値段ではJAに米は集まらないのでしょう。
これまでコメ農家は、経営者(生産コストを見据え、需要と供給を睨んだ経営)という意識が全く必要ではありませんでした。むしろ経営者になっては困るという農政が続いてきたといえます。考えようでは、幸せな時代を過ごしてきたといえます。国が米を管理してきた食管制度がなくなり新しく「需要と供給」に基づく米政策に変えるのだという大転換が叫ばれてから30年が経ちます。こともあろうに、生産者の代表であるJAが数年前に大幅に生産コスト割れした米価(一俵8千円)という今年の米価の半分以下の値段を提示してから、本格的な生産構造が大きく動き出しました。 昨日のJAの機関紙である農業新聞一面に「米農家廃業・最多ペース。 24年進まぬ価格転嫁、経営圧迫」という見出しが躍ります。我が家が法人経営に移行して9年になります。社長を交代してから3年目。経営コスト管理は、私の時より厳格にするようになりました。 我が家の新米販売価格を聞いてこれまたビックリ。庭先販売価格。玄米60㌔税込み二万二千円。 もう少し安くしたらどうかと、口に出そうとしましたが止めました。(私には、そんな高い値段付けられません) 社長が決めた値段ですから。(考えてみると30年前のJAへの出荷価格は、2万2千円でした。)今回のコメ騒動。何故このようになったか。連日評論家などが勝手に論評していますが、そのほとんどが空論。 私の見解。結論を言えば「コメの値段が安すぎた。」それにつきます。


NO,360  田んぼ通信 令和6・8・18

宮城かくだ発田んぼ通信 NO360号をお届けします。 第一号をお届してから丁度30年が過ぎました。埼玉県内の福祉グループの皆さんとのお米の産直がご縁で始まった通信。お世話いただいた代表の方からの産直の唯一の条件。 それが、「月一回 お米の産直の際に必ず通信を入れること」 月に一回の便りはなんとかなるだろうと始めたものの、これが意外と大変。  お米の発送日、毎月15日を目途に通信を書きます。文章を書くのは、極めて苦手。文才もあるわけでもない。 この30年間を振り返ると毎回、自分の能力のなさを痛感。冷や汗を書きながらの30年間です。田んぼ通信を始めて一年が過ぎた頃、お米の産直の仲間から「一年が過ぎたが、これから何を書くつもり」との質問。そういわれれば、なるほどこれから何を書くのかという不安。 そこで、産直グループ代表へ「毎月の通信で 俺は何を書けばいいの?」答えは、「毎年同じ事を書けばいい」春3月育苗用床土の準備。4月種まき作業。5月田植え開始。8月出穂。9月稲刈り。 毎年お天道様の動きと共に米作りは始まる。都会に住んでいると四季を感じることが少なく なる、月に一回お米が届くことで、今年も米作りが始まったのだと実感できればいい。生産現場の「当たり前」のことを継続して伝えることが大切だ。言っていることは、少しは理解できるが「当たり前」のことを続けることが如何に難しいことか。しかも、A4のレポート用紙一枚、字数にして1,500字程度。  なんとしても、文字で埋めなければ、格好がつかない。 そんな中で、月一度の田んぼ通信。 30年も続いている埼玉県の福祉グループの皆さんとの産直米の発送日が近づくと通信文が気になる生活が続いてきました。 月に一回のレポートといいながら自分ながらよくぞ続いたものだと思います。これも埼玉の福祉グループの皆様の御蔭です。米作りの現場の思いを、少しでも分かってほしい。
一口に30年といいましても、生まれたばかりの子供が30歳になります。 私も、40歳ではじめた米の産直事業も、30年が経ち70歳を迎えました。この間、毎日私が育てたお米を食べていただき、皆様の暮らしの一部に少しでもお役に立ったのであれば嬉しいことです。  それにしても、この30年間。殆どのお客様は、全くお会いすることもなく お米を通してのお付き合いを継続していただきました。本当にありがたいことです。
わが家の経営も、法人化して9年目を迎えました。2年前に経営を息子達に譲り、経営に関しては殆ど口出ししません。米作りの世界は、急激に変化しています。正直、今までのコメ作りの考え方ではこの激動のコメ作りの世界を乗り越えられない。若い世代で、時代の変化に戸惑うこともなく 時代に合った経営を思い切って展開して欲しい。 自分には、過去の思いが強すぎ時代についていけない。   常にお客様のことを考えた米作りを考え、田んぼに真面目に通うことを経営理念として掲げるのであれば、必ず生き残れるとの思いを強くしています。
私は、与えられた新しい仕事。地元の土地改良区の仕事に専念し地域のコメづくりの基盤整備事業推進のために少しでも役に立ちたいと考えています。  田んぼ通信は、私が農業への思いが続く限り書き続けます。  ところで、今年のコメ作りは、これまで経験したこともない猛暑が続いて、これまでになく生育が早まっています。昨日の台風7号の影響や先日の台風5号の相次ぐ台風の影響は全くなく順調に生育しています。米作りを始めて50年。これまでにないほどの生育の早さです。今月末には稲刈りが始まる勢いです。 9月早々には、確実に稲刈りを迎えそうです。無事に収穫できますように祈るだけです。 世の中、激動の時代に入りました。これからが勝負です


NO,359  田んぼ通信 令和6・7・15

先月末に梅雨入りしたものの、相変わらず暑い陽気が続いています。以前のように梅雨時期特有の梅雨寒はありません。気温、湿度ともに高く、蒸し暑い日が続いています。晴れ間がのぞくと一気に気温が上昇 先日は、36度を超す猛暑日となりました。  天気が大きく変わったことを実感する暑さです。 今年も5月中に30度を超える日があったとおもえば、好天続きで雨が少なく田んぼの用水が心配になるほど。 これまで東北の太平洋側は、梅雨の時期を迎えるとオホーツク海高気圧が張り出し太平洋から冷たいヤマセが吹き出し肌寒い梅雨空が続きます。 この時期は、稲の穂が出来る大切な時期と重なります。時として大冷害をもたらし大凶作の年もありました。
稲作人生50年を迎えますが10年に一回は、冷害の影響を受けてきました。 そのため、寒冷地稲作技術が基本であり、如何に冷害を克服するかが大きな課題でした。宮城県の品種改良においても常に冷害に強い遺伝子を組みこみ、 それを基本に美味しいお米の品種改良がなされてきました。7月から出穂までの一か月間は、常にヤマセ対策。最高気温が20度を下回ると冷害の危険が増します。寒さから稲を守るには、水管理が重要です。 常に水の深さを気にしながら田んぼを見回ります。そのような稲づくりを50年やって来ました。 それが、一転。冷害対策から猛暑対策へ。 極暑の夏を迎え 田んぼの管理も考え方を変えないと良いお米ができなくなりました。 例えば、暑いときには水をかけて暑さ対策。 これは、誰しもが思うこと。それが毎日真夏日。しかも、猛暑日が続くとなれば話が違います。 特に、私の地域では阿武隈川から管内6カ所の基幹揚水機場で取水し、揚水機場から汲み上げられた用水は、それぞれの田んぼへ大小の水路を経て5,000ヘクタール田んぼへ流れていきます。また、田んぼに溜められた用水は排水路から幹線排水路へ流れ堰き止められ、再び管内の要所にある揚水機場で田んぼへ用水として循環され再利用されます。貴重な用水を大切に利用するために地域内で再循環して利用しています。  流れている用水は冷たいものだという観念がありますが、この常識が通用しません。真夏日や猛暑が続くと再利用された用水は夕方にはぬるま湯になっていることは珍しくありません。数年前のある夕方に流れている用水に手を入れて、これにはビックリです。暖かくなった用水を田んぼに入れる。人も稲も生き物です。 暑さ対策で温まった用水を田んぼに溜められたら 四六時中 お湯につかっている状態。これでは稲の体は疲労するばかり。 良いお米ができるはずありません。 現実の世界では、教科書に書いていないことが常におきています。冷害対策で田んぼに 水を溜めますが、連日の真夏日や猛暑日が続く環境下では、水を溜めることは逆効果。 世界情勢が激動する今、お天気様も大きく動き出しました。如何に世の中変わろうとも 慌てることはありません。自分に与えられた仕事を、自分でできること、やるべきこと  をやるだけです。生き残るための食べ物を生み出す仕事をしているのですら。先月末に梅雨入りしたものの、相変わらず暑い陽気が続いています。以前のように梅雨時期特有の梅雨寒はありません。気温、湿度ともに高く、蒸し暑い日が続いています。晴れ間がのぞくと一気に気温が上昇 先日は、36度を超す猛暑日となりました。  天気が大きく変わったことを実感する暑さです。 今年も5月中に30度を超える日があったとおもえば、好天続きで雨が少なく田んぼの用水が心配になるほど。 これまで東北の太平洋側は、梅雨の時期を迎えるとオホーツク海高気圧が張り出し太平洋から冷たいヤマセが吹き出し肌寒い梅雨空が続きます。 この時期は、稲の穂が出来る大切な時期と重なります。時として大冷害をもたらし大凶作の年もありました。  稲作人生50年を迎えますが10年に一回は、冷害の影響を受けてきました。 そのため、寒冷地稲作技術が基本であり、如何に冷害を克服するかが大きな課題でした。宮城県の品種改良においても常に冷害に強い遺伝子を組みこみ、 それを基本に美味しいお米の品種改良がなされてきました。7月から出穂までの一か月間は、常にヤマセ対策。最高気温が20度を下回ると冷害の危険が増します。寒さから稲を守るには、水管理が重要です。 常に水の深さを気にしながら田んぼを見回ります。そのような稲づくりを50年やって来ました。 それが、一転。冷害対策から猛暑対策へ。 極暑の夏を迎え 田んぼの管理も考え方を変えないと良いお米ができなくなりました。 例えば、暑いときには水をかけて暑さ対策。 これは、誰しもが思うこと。それが毎日真夏日。しかも、猛暑日が続くとなれば話が違います。 特に、私の地域では阿武隈川から管内6カ所の基幹揚水機場で取水し、揚水機場から汲み上げられた用水は、それぞれの田んぼへ大小の水路を経て5,000ヘクタール田んぼへ流れていきます。また、田んぼに溜められた用水は排水路から幹線排水路へ流れ堰き止められ、再び管内の要所にある揚水機場で田んぼへ用水として循環され再利用されます。貴重な用水を大切に利用するために地域内で再循環して利用しています。  流れている用水は冷たいものだという観念がありますが、この常識が通用しません。真夏日や猛暑が続くと再利用された用水は夕方にはぬるま湯になっていることは珍しくありません。数年前のある夕方に流れている用水に手を入れて、これにはビックリです。暖かくなった用水を田んぼに入れる。人も稲も生き物です。 暑さ対策で温まった用水を田んぼに溜められたら 四六時中 お湯につかっている状態。これでは稲の体は疲労するばかり。 良いお米ができるはずありません。 現実の世界では、教科書に書いていないことが常におきています。冷害対策で田んぼに 水を溜めますが、連日の真夏日や猛暑日が続く環境下では、水を溜めることは逆効果。 世界情勢が激動する今、お天気様も大きく動き出しました。如何に世の中変わろうとも 慌てることはありません。自分に与えられた仕事を、自分でできること、やるべきこと  をやるだけです。生き残るための食べ物を生み出す仕事をしているのですら。


NO,358  田んぼ通信 令和6・6・15

今年の端午の節句(旧暦)は、6月10日。9日は宵節句。軒先に菖蒲とヨモギを飾ります。 また、菖蒲湯に入ります。今年は、 9日・10日に急用が入り、出かけることになりましたので長男に準備を任せました。9日早朝、出かける前に菖蒲とヨモギを採ってきて長男にやり方を教えました。教えると言っても何も難しいことはなく、わが家の軒先数カ所に菖蒲とヨモギをセットにして飾るだけです。 以前は何処の家でも節句を祝ったものでしたが、その風習すらもなくなりました。それでもわが家では、昔からやってきたことで、一年のひとつの区切りとして絶やさず続けています。 一般的に「端午の節句」は、5月5日(祝日)の子供の日にお祝いしているようですが、端午の節句は「菖蒲節句」といわれてきました。なぜ旧暦の端午の節句に菖蒲を飾るのか不思議でしたが、考えてみると新暦のこどもの日は5月5日。  東北地方では、まだ寒く「菖蒲」は育っていません。 昔の風習は、旧暦の暦に従って暮らしと共に受け継がれてきました。暮らしと共に身近にあった菖蒲(ハーブ)とヨモギを暑くなる時期を迎えにあたり邪気払いとして軒先に飾ったと言われています。 あらためて旧暦の暦が、暮らしに密着したものだと感じます。 個人の権利や価値観の多様化により個人の権利や生活が重要視される現代社会です。  皮肉にも4年前からのコロナ禍の影響で日々の人との交わりが制限され、あらゆる会合も規制されコロナ禍を過ごしてきました。  それでも、日常生活は殆ど変わらず過ごしたと言えます。個々の暮らしを支えるために必要であった集落の習わし、会合や組織。コロナ禍で人との交わりが禁止されました。一時あらゆる地域の会合が中止になりました。それでも、個々の暮らしは表向き不自由なく続いているようにみえます。  以前は個人と集団(集落・組織)の関係は、個々の暮らしを維持するために必要・不可欠な時代でした。 コロナ禍を通して急激な意識の変化を感じます。社会情勢の急激な変化によって地域での交わりが極端に少なくなっても、暮らしの質はどうであれ、個々の暮らしは維持できるのだということを経験したと言えます。  現在は西欧の文化が浸透し新暦の暦に従って日々暮らすようになりましたので、生活そのものもが欧米化するのもこれまたショウガナイ。と思うしかありません。 集落の人口が、年々少なくなっています。子供の数が極端に少なくなり高齢化社会だと言われています。  先日、集落の高齢者の話になり高齢化した先輩の様子が話題になりました。周りを眺めてびっくり。確かに我が集落にも百歳を越えてなお健在の先輩が二人います。しかし、それに続く先輩方が90歳を目前に亡くなっています。いつの間にか、高齢の人もいなくなっています。  気が付いたら集落の存在すら危ぶまれます。先日、何百年も続いてきたお祭りが、今年で終わるのだということが話題になっていました。そこに住んでいる人の暮らしと共に生きてきた祭りは、そこに生きてきた人しか分かりません。  その歴史の存続は一時的な無責任な感情で、よそ者が祭りの存続を言えるわけがありません。たとえ一時的に復活させたとしても、そこで暮らし続ける人にとって生活に根差したものでなければ、続かないでしょう。人は、生きていくうえで個人では生きていけない。  これは、昔から言われていることです。人と人の絆をどのように育んでいくか。人と人との交わりは、時として暮らしの中で息苦しさを感じます。それが田舎暮らしの中で、都会暮らしの人や若い世代からから見れば、大きな負担に感じるのも確かです。  評論家的発想ではなく、次代を担う一番身近な子供たちが住み続ける事ができる環境作りを本気で考えること。先ずは、自ら実践することしかない。勝手に思うこのごろです。


NO,357  田んぼ通信 令和6・5・15

 5月に入り田んぼは、田植えのシーズンです。大型連休も終わり世の中 落ち着きが戻ってきました。 今年の連休は、事業所によっては10連休のところもありました。
数年前までは、連休中に田植えを済ませようと多くの農家が家族総出で田んぼに出たものです。その光景は、いまありません。過去のものとなりました。寂しいかぎりです。これまで日本のコメ作りを支えてきた多くの兼業農家は、コメ作りを諦め地域の数少ない担い手農家に田んぼが一気に集まりはじめました。   土地改良事務所は、大型連休だからといって休むことはできません。例年大型連休は稲作農家にとって田植えの真っ最中。連休返上で職員が交代で揚水対応等にあたります。当土地改良区の用水の殆どは、阿武隈川から6カ所の揚水機場で大型の揚水ポンプで汲み上げ田んぼに供給しています。 今年も先月末運転が始まりました。 揚水機場運転が始まると田植えが終わるまで24時間運転が始まります。  阿武隈川など一級河川は国土交通省で管理しています。
水利権があり一年間で取水できる量や利用する期間が厳しく決められています。  最近は、連休中に田植えを済ませたいので揚水開始時期を早めて欲しいという組合員からの声をいただきますが、勝手に水を利用することはできません。土地改良管内の水は 全てただの水はありません。 しかも、伊具盆地の地形からくる制約で、大きな揚水機場で直接取水しています。揚水機場のポンプは全て電気を利用します。昨今の電気代の高騰で運営コストが一気に嵩み事業運営も大変です。 さすがに一昨年からの電気料金の大幅な値上げには耐えられず今年度から賦課金の値上げをお願いすることになりました。   電気料金のみならず肥料・農薬などあらゆる生産資材が高騰し、しかもコメの値段はほとんど変わらず。米作りを取り巻く環境は厳しさを増すばかりです。そのような中にあって、賦課金の値上げだけは極力避けたかったのですが、3月の総代会で値上げを承認していただきました。  さて今年の田植えは、先月下旬からの大型連休期間中から好天に恵まれ、しかも連日夏日を記録するなど気温も高く絶好の田植え日和が続いています。  心配された用水不足は大きなトラブルがなく管内の田植え作業も順調にすすんでいます。
 我が家の経営面積は今年も5ヘクタールほど増え、田植えする面積も50ヘクタールを超すまでなりました。田植え作業は、代掻き作業とセットで進みます。 代掻き作業が進まない事には田植えができません。田植え作業を進めるには如何に代掻作業を進めるかにかかっています。代掻き作業が終われば、あとは田植えをするだけです。  ところで、この春、代掻き作業の効率化を図るため 最新型の大型トラクターを導入しました。 100馬力のマイコン搭載自動運転が可能なトラクターです。 昨年もトラクターの導入を検討してようですが、経営状態などを考慮し導入を見合わせたようです。 会社の経営は、一昨年から社長を交代しすべてを新社長に任せました。一切口出ししません。
わが家には、トラクターが60馬力から15馬力の計5台のトラクターがあります。主力の60馬力のトラクターは、私が35歳になった時に導入したもので、私の稲づくりと共に歩んできました。 他のトラクターも中古で購入し大事に使ってきました。いずれもまだまだ元気で働いています。 ここ数年 急激に経営面積がふえたことから主力のトラクターの導入を検討したようです。  具体的な導入の相談はなく、3月初めに新しいトラクターが納屋に届いていました。さすがに100馬力のトラクターは大きいです。 40馬力のトラクターは3台ありますが、小さくみえます。 水田作業には60馬力クラスのトラクターが適していると考えていた私です。その大きさに驚くとともに、田んぼで十分に使いこなせるか心配になります。それでも、これから数十年 わが家の経営の大黒柱として働いてもらうトラクターです。将来の経営を見据え、なによりも新社長を中心に息子たちが選んだトラクターです。わが家の経営を象徴するトラクターになるでしょう。それにしても、私も運転席に乗ってみたものの、スイッチだらけで動かすことすらできません。 しかも、この大きさで水の入った田んぼで自由に使いこなせるか心配は募るばかり。 そのような中で始まった今年の田植え。 新型トラクターの働きぶりは 目をみはるばかり。従来の機械とはまったくちがって、操作性、作業効率も大きく向上しています。こんな大きなトラクターで大丈夫なのかとの思いは、取り越し苦労でした。 ところで、値段を聞いてこれまたビックリです。私の従来の感覚からすれば2倍以上の値段です。ここ数年農機具がマイコン等を搭載したことにより 大幅に値段が上がったとは聞いていましたが。この値段ではなかなか手が出せなくなったとえます。  メーカーとの価格交渉は、随分頑張ったようですが、それにしても大きな投資です。 今後の経営規模を見据え 決断したことです。
 米作りの環境が激変している今、環境の変化に対応できなければ生き残れないのは当然のこと。それでも、農業の基本は生命産業。やるべきことは昔から何も変わりません。それだけは、勘違いしないように。 社長を中心に、しっかりと前を向いて真面目に米作りに励んでいけば必ず未来は開けると信じます。

NO,356  田んぼ通信 令和6・4・14

 4月10日。桜が満開になりました。 今年になってから 冬とは思えぬ暖かな陽気が続き3月中に桜が開花するのではという予報でした。また、雪が極端に少なく蔵王の山々のスキー場も、早々と営業中止宣言を出すあり様です。昨年末から雨も少なく余りの天気が続くので、そろそろ天気が崩れると心配していたところでした。 先日のまとまった雨で、田んぼは水浸し。 今月末の揚水開始を前に 田んぼの耕起作業や元肥散布など田植え前にやらなければならない仕事がたくさん控えています。しかも育苗作業も連続して続きます。雨の日が続くと春作業の遅れが心配になります。わが家の経営は、新社長に任せたというものの農作業の遅れが気になります。昔からお天気様は、人の都合通りになりません。常に想定外のことを当たり前として農作業をする。  それが百姓仕事。  農作業の第一線から退いたというものの心配の種は尽きません。
 さて、静岡県知事が4月1日に新規採用職員向けの訓示が チョットした話題になっています。 余りに低レベルのバカバカしい話で 問題にする気もないと思いましたが、ある意味で正直に今の世の中を言い当てていると感じましたので一言だけ言わせてもらいます。 「県庁職員はシンクタンクだ。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い方たち。それを磨く必要がある」と発言しました。 ニュースで初めて知った時。 この知事は「なんと正直者だ。知能の程度はさておいて、農業者に対する世間の 本音を素直に言っただけのこと。ご苦労さん」 それでも、公の場でしかも次代を担う新人公務員を前にして 真正面ら言われるとさすがに気分は良くありません。 世間のエリートと勝手に自認している人からすれば本音の話でしょう。驚きもしません。 私にとって静岡県知事は、面識は全くなくその存在すら知りません。ただ、世間一般からすれば、自らをエリートと自認する立場にいることは間違いありません。しかも、静岡県民のシンクタンクを自認する県庁職員のトップが、この程度の認識でいるのかと思うと ある意味で納得。 しかも、日本を代表する大学の教授を経験し 多くの学生を社会の中枢に送り込んできたという。 誠に滑稽な話。 頭脳、知性の低いといわれる私ですら思うこと。
小銭すら持たない私が言うのも はばかりますが。 「今の世の中、少しぐらい小銭がたまった人たちが投資・投資とバカ騒ぎしている世の中を創り出したのは 頭脳・知性を磨いてきた自称エリートの皆様。」 おおいに株でお金を儲けてください。 本当にご苦労様でございます。 ただ忘れてならない事は、人はひもじい思いになると社会全体が世知辛くなります。余裕もなくなります。世の中悪くなります。日本の現実は、ほんの一部で 食糧危機が叫ばれていますが、身近なところに食料品は溢れていますこのような世の中が永遠に続くことをひたすら願うだけです。  エリートと勝手に自認する人達が、本気でモノつくりをバカにする世の中です。こんなことで本当に大丈夫ですか。  私の好きな言葉「思考の段階では現象は変わらない。変えることができるのは行動のみ」
いま、自信をもって自分自身に言えることは、「自分の責任で働ける自営業である農業は、最高の仕事のひとつ。」近い将来かならず米づくりにも光が見えてくる。それは、確信をもっていえることですが、それまで我が家の経営が持つかどうか。今が踏ん張りどころ」 ただ、今の農業を取り巻く環境は、農業で安定した収入を得るには、これまでになく厳しい環境であることはたしかです。それが証拠に、田んぼ10㌶をこす経営規模の農家が、米作りを諦めコメ作りから撤退している現実。この現実を土地改良区事務所勤務で目の当にする日々を送っている。 このままでは、私の住んでいる村ですら誰がこれから田んぼを維持していくのかを考えると 心もとない。 以前も話しましたが、これまでの 日本のコメ作りは 総兼業稲作農家で日本のお米の殆どを担ってきたといえます。 近くの誘致企業に働きながら出勤 早朝に田んぼ仕事、帰ってきてから暗くなるまで田んぼ仕事。それが当たり前の光景でした。 思えば農家はよく働いたものです。働いたその見返りとして田んぼからの収入も確実にありました。 今は、米価も20年前の半値、しかも生産資材もすべての面で異常な値上がり。田んぼに通ってもほとんどの農家は赤字。いくらなんでも赤字経営では経営は続きません。どんどん田んぼから農家が離れています。 しかも、条件の悪い田んぼは、田んぼの耕作を頼んでも 引き受ける担い手農家はいません。 田んぼを処分しようにも 買い手を探すのに苦労するあり様。田んぼの値段は、下がるばかり。10アール(一反部)30年前に200万したのが今は20万円もしません。条件が悪ければタダでも買い手が見つからない。これが現実です。 私の村では、700㌶の農地がある。管内でも平地で田んぼの条件は極めていいと言えます。その中で 現状で田んぼの耕作に意欲持っている50代までの担い手は10人程度。単純計算するとい経営体あたり70㌶の経営規模で頑張ってもらわないと地域がもちません。多様な担い手の必要性は否定しません。 しかし今やるべきことは、地域の中心経営体(農業所得だけで暮らしていける経営体)を本気で育てることをことです。数少ないやる気のある若い担い手を、集中的に支援することです。 なんとしても地域で生まれ育った担い手を中心に地域の田んぼを守りたい。管内の農地を守るため、地域の農業関係団体のひとつとして、その役割を日々感じ、これからの人生を少しでも地域のために働きたいものだと思う日々です。


NO,355  田んぼ通信 令和6・3・14

 あっと言う間に3月です。 2月は、極端に暖かくこのまま一気に春になるのではと・ 心配になりました。 今、梅の花は満開を過ぎました。暖かいのは暮らしやすいのですが、夏の天気が心配になります。昨年からまとまった雨が降らず、しかもこの冬は雪も極端に少なく阿武隈川の水量も少なくなっています。このままでは、田植え時の水不足が懸念される状態です。   天気は本当に気ままなものです。思うようにはいきません。3月に入り10センチ程の積雪が2回ほどありました。気温も低く 真冬並みの陽気に逆戻り。寒暖差の激しい3月です。 2月まで水不足が心配になるほど晴天が続き、田んぼも乾燥状態が続きました。 この時期に田んぼ仕事を 少しでも進めておけばいいのにと思っても、経営は息子たちに任せたことから口出し無用。 歯がゆい思いで作業を眺める日々が続いています。 農作業は、お天気相手の仕事。
何事においても、良い作物を育てる農業者は、早め早めの仕事を心がけ、遅れ仕事は駄農の証。 これは、時代が大きく変わろうとも農作業の基本・・・。と心の中で叫んでいます。
土地改良区の常勤役員となった今、農場の経営は息子たちにまかせましたが、気が付けば、今年も本格的な米作りがはじまりました。育苗用の床土の準備が始まり、種もみの塩水選作業も始まりました。 種もみの塩水選作業を見ると、13年前の3月11日を思い出します。東日本大震災から13年が経とうとしています。  今年は、新年早々に能登半島の大地震と不幸な航空機事故が重なったこともあり、例年以上に災害関連の報道が多いようです。大地震に伴い東京電力福島原発事故が発生。原発事故による放射能の影響は、いまだに大きく影を落としています。特に農水産物の輸出に対して厳しい環境が続いています。 13年前の東日本大震災の記憶は、決して忘れることはできません。今年も3月11日午後2時46分がやってきました。 今はただ、東の空に向かって静かに手を合わせるだけです。
 「一割経済」という言葉があるらしい。おくればせながら、最近初めて知った言葉です。いまの世の中、経済は一割で 後の9割は金融の世界だといいます。これからは、金融を無視しては ビジネスはできないというのです。   はっきり言います。 こんな世の中、マトモでないでない。間違っている。 ひと様には言うつもりはありません。独り言。日々 自分自身に叫んでいます。
能力のある人は、どんどん金融で儲ければいいだけの話です。一億総投資家の時代だとも聞きます。 そんなこと言われても、 投資の世界には全く興味を持たない私の人生です。私には、到底理解できない世界です。 先ずもって、私のように浅学しかも能力がない人間にとって、無縁の世界です。不器用で能力のない人間にとって、日々の暮らしを生きるため、無駄な抵抗をしないで額に汗して体を使って働くことしかできません。 それで、大いに結構です。世の中がどうであれ 自分の生き方は自分で決める。
ところで、先月末に東京工業大学の留学生を中心とする農村体験民泊ツアーが開催されました。第一回開催が2009年3月16日から19日まででした。あれから15年が経ちました。 その間、コロナ禍の影響もありここ数年中止となりましたが、コロナ禍後4年ぶりの開催となりました。この間、東京工業大学の農村体験ツアー担当の先生も変わり、また東京工業大学が東京医科歯科大学と統合計画が進み大学自体も大きく変わります。 交流事業も今年が最後になるのではないかという中での交流事業の再開でした。  思い起こせば、15年前。 東京農業大学ではなく、東京工業大学からの要請です。しかも、海外からの留学生を民泊による農村体験させて欲しいというのです。東工大には、毎年1,000人程の留学生が海外からやってくると言います。海外からの留学生を専門にお世話する部署があるといいます。 当時の担当教授の話によれば、東京工業大学では留学生の皆さんに日本文化の体験・交流の一環として奈良・京都へのツアー体験研修プログラムを実施してきたというのです。日本の文化体験交流としては、奈良・京都のツアー体験プログラムのいいが、日本文化といえば 東北の農村に民泊・農村生活体験も日本文化を理解するうえで大切だと考えていたそうです。縁があって、我がアジアの農民と手をつなぐ会がお世話することになりました。 東工大の武井先生と平川先生の心意気に感動し、二つ返事でOKです。いまでこそ、農家民宿やインバウンドで日本各地の地方へ旅行する外国人が多くなりましたが、40年前からJICAの研修員等を受け入れたもの、よくぞ受け入れたものです。 当たり前だと思ってきた民泊も 実はホストファミリーの家族の理解と地域社会の協力なくして成り立ちません。 事業再開するにあたり、ホストファミリーを確保することにこれまでになく苦労しました。 地域社会が激変している現実を目の当たりにしました。 そういう中で、よくぞ角田の仲間は、二つ返事で引き受けてくれたものです。 これはとんでもない実践の積み重ねのたまものです。  国際交流等とかっこいいことを言うのは簡単でも、30年以上も続けてきた仲間の力は 誇りです。あらためて交流事業の再開をするにあたり、時代の激変ぶりを痛感しました。 時代は大きく変わり、コロナ禍であらゆる交流が中止・中断され、気が付けば 時代を共に生きてきた仲間、身近な先輩方が次々に他界する現実があります。    淋しくなります。
地域の子供たちが激減し、地域の人口減少が止まりません。若者の考え方が大きく変りました。 嘆くばかりでいられません。これからどう生きるか。生き残るか。毎日がこの答えを求めて葛藤する日々です。


NO,354  田んぼ通信 令和6・2・15

2月になり日差しが明るくなりました。< 夕方5時を過ぎても、明るく日が長くなったことを実感します。
それにしても、昨年末いらい温かな日が続いています。数日前に久しぶりに雪が降り、10センチほど積もったものの雪は直ぐに消えてしましました。  きょうの最高気温は、19度。最低気温も8度。4月下旬の気温。まだ、2月中旬だというのに。 今の時期に、これほどの暖かさは記憶にないです。
地球温暖化から地球沸騰化へ気候が移ったと言われていますが、お天気様は気まぐれです。このまま一気に春へとはいかないでしょう。何が起こるか分かりません。油断大敵。 この陽気で全ての作物が芽生え始めました。
これから心配されることは、春先の凍霜害です。自然相手の農業です。 常に自然災害と隣り合わせ。その中でも、凍霜害は澄み切った夜明け前に音もたてず、静にやって来ます。時には、想像を超える大きな被害をもたらします。それが凍霜害の恐ろしさです。 農業で生きていくには、想定外では済まされません。常に最悪の事態を想定して仕事をすることが求められます。
 この暖かさで蔵王の山々も極端な雪不足。 先日 車で蔵王の中腹を横断してきましたが、路肩もほとんど雪がなく2月とは思えないほど雪が少ない景色が広がっていました。これまで経験したことがないほどの暖かな冬です。  雪が少なく暖かな日が続くと暮らすのには楽なのですが、これほどまでに雪が少ないと夏の水不足が心配になります。昨年は、猛暑と日照り続きで田んぼの用水確保に大変苦労しましたが、ことしも夏の天気を心配する声が聞かれるようになりました。
さて 今月初めに、恒例の作占い。市内の諏訪神社の筒がゆ目録をいただいてきました。事務所の分も授かってきましたので朝礼の時に職員にも、筒がゆ目録を基に今年の作柄を 自己流の解説を紹介しまた。
そのなかで、お札をコピーして張っている人を見かけるが、そんなセコイことをしてはダメ。神様に対し罰があたる。  それでは、肝心の今年の作占いは、どうでたか。
総じて八十四分で全体的には決して悪い作柄ではない。昨年は、むぎ、豆は占い通り最悪だったが今年はほどほどの作柄予想。それでは肝心のコメに関しては、 早稲が7分で中生が6分・晩稲が8分。中生が6分と作柄が極端に悪いとでている。これまでの経験からすると 夏の天気とくに7月頃に低温等天気が悪いことが予想される。晩稲の品種が今年は良いようだ。また、日・風は7分で例年通りが 雨は8分で今年は多いかもしれない。(自己流の解釈で気休め程度と思ってください。但し日本気象協会などの長期予報よりは私は信頼しています。毎年の栽培管理の目安としておおきな心の拠り所としています) 昨年から職員には紹介していますが、多少は興味をもって聞いてくれたようです。話の最後に、昨今の風潮で科学的な根拠がない事は説得力がないということで、昔からの経験を基にした話や、人間の頭で理解できないことを信じようとしない時代になったが、このこと自体が人間の驕りだと思っている。自然の動きや人の頭で理解できないことを否定する生き方、考え方は個人的には疑問に思っている。特に土地改良区は、自然と向き合っているお百姓さん相手の仕事なので たまには暮らしの中で、自然の景色などに感動したときには、お天道様や青空のもとできれいな山々に対し素直に手を合わすなども悪くないのでは・・・・・。今日の話は、他愛のない話として受け流して結構。今週も仕事をよろしく・・・。ということで朝礼は終わりに。
 ところで、2月9日付の河北新報に「農家に増産指示、罰金も。 食糧危機時 対策法案判明」という見出しの記事が掲載されました。 いよいよ食料危機を真剣に考える時期になってきたか? という思いを強くしました。  現在 国では1999年7月施行された食料・農業・農村基本法改正が議論されています。それと合わせて食料供給困難事態対策法案なるものも検討され、その中でコメ・小麦・大豆等が不足する食糧危機時に政府が供給目標設定。農家に増産計画の届け出を指示し、従わなければ20万円の罰金を科す。というのです。 それにしても罰金まで用意するとは、随分念入りです。  日本のお米は、1942年2月に制定された食糧管理制度(食管法)の下に、つい最近まで(食管制度が1995年に廃止。国による減反政策も2018年に廃止)国家管理されてきました。  1970年から2017年まで、およそ50年近くにわたり実施された(私のコメ作り人生そのもの)「減反政策」が2018年に廃止された時の高揚感は今でも覚えています。 「ああこれからは、国などに気兼ねなく自分の意志と責任で思う存分自由にコメがくれる!」と同時に その政策に関する省令を見て唖然としたものです。 条文の最後に「不測の事態になれば、国が生産を管理することができる・・・」という主旨の文言があります。 なんだ!これは。 これからは、コメの世界もビジネスのなるというものの、これでは所詮コメの世界で一攫千金はありえない(就農当時からビジネスで米作りをする気はありませんが)。そうであれば、せめて国は農業者には、家族が生活できる暮らしを保証すべきだ。(毎年お正月にお餅を家族全員で食べられる暮らしを保証すべきだ)との思いを強くしたことを思い出します。 国は、チョンマゲ時代からから百姓はどうにでもなると考えている。冗談ではない!お百姓さんも、普通の頭を持った人間ですもの。必死に日々の暮らしを守るため田んぼに通っているんです。 国民すべてが投資家になろうとする今の時代です。 食糧危機を真面目に考えることは、多少はマトモナ国民もいるのだと安心?しましたが。


NO,353  田んぼ通信 令和6・1・15

明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
 正月元日、夕方。携帯電話が緊急地震を伝える警報音が一斉に鳴り出しました。テレビでも緊急地震予報と共に津波に対する緊急避難を呼びかけるアナウンサーの必死な声が聞こえます。 石川県能登半島を震源とする震度7を超える大きな地震が発生。 更に翌日1月2日。羽田空港で日航機と 能登半島の地震被害地に支援物資を運ぶために離陸しようとしていた海上自衛隊の航空機と衝突という前代未聞の事故が発生。事故現場からのライブ映像には大きな衝撃を受けました。
今回の地震災害や事後でお亡くなりなられた方々のご冥福と被害を受けました皆様に対し心からお見舞いを申し上げます。 一年で最も寒さが厳しい時期でもあります。2013年の東日本大震災を経験した一人として、長期間の停電や断水による日々の苦労を思い出すにつけ心が痛みます。
また今年の正月は、年末から年始にかけ これまでに経験したこともないほど暖かく穏やかな新年を迎えた矢先の大きな災害と事故。 新年早々 立て続けの大災害で迎えた令和6年です。 お天気様も異常と思えるほどの暖かさで今年の正月も過ぎようとしています。  西に連なる蔵王の山々のスキー場では雪が少なくゲレンデは地肌が見える状態で営業休止という報道があります。また、昨年秋からまとまった雨も降らず、改良区管内の山間部では井戸水が枯れ始まっていると話も聞こえるようになりました。 しかも国内の政治経済界も唖然とする事件が報道されています。 ここ数年、激動の時代を生きているという 感覚がありました。ある程度は予想していたものの、あらゆる分野でこれまで先送りしてきた問題が、一気に表に出てきたといえます。 激動の時代を実感させられる正月となりました。
 改良区の仕事始めは役所と同じ、正月4日。 改良区管内の最も由緒ある神社に新年のご祈祷をお願いし、役員の代表と全職員が揃い「今年の豊作と改良区の安泰」を祈願しました。 わが家の仕事始めは、正月11日。 「農のはじめ」です。一昨年に社長を交代してからも仕事始めは、変わりません。 「農のはじめ」の早朝の儀式。 作業場に飾っていたオガン松を日の出前に田んぼに持っていき田んぼに飾り豊作を祈願しました。 新年に入り日の出は早くなったものの、6時前はまだ暗く、6時半を過ぎてようやく明るくなります。7時過ぎに東の阿武隈山系から日が昇ってきます。昔は、暗いうちに仕事始めとしてワラ仕事をして田んぼに向かったといいます。 今年は、昔を思い縄をなってから田んぼに向かいました。  事務所勤務となった今、勤めがありますので早朝の儀式だけは私の仕事として残したいと考えています。  先ずは、暖かで穏やかな「農のはじめ」でした。
 コロナ禍の4年間余り。人の集まりが極端に制限され、これまで当たり前に続いてきた正月行事も中止が相次ぎました。元日恒例の区主催の新年会は、今年は数年ぶりに復活されると思っていましたが、役員も世代交代 したこともあり今年も中止となりました。当たり前に延々と続いてきた部落の行事もコロナ禍を契機に見直される機会になるようです。 集落の古老や子供たちが年々少なくなり、またここ数年のコメ作りを取り巻く急激な環境の変化。これまで村の様々な儀式やイベント等は、生きる伸びるための知恵として日々の暮らしの中から必然的に生まれてきたと言えます。コロナ禍を経験することで、暮らしに結びつかない行事は、時代と共に淘汰されることは当然のことです。しかも、人との交わりを設けることは、面倒であり更にイベントをすることはたいへんなエネルギーが必要です。参加する人にとって日々の暮らしや経済活動になんらかの思いを共有することがなければ継続できないのは仕方ないことです。しかし長い年月続いてきた行事は、それなりの存在意義があったといえます。コロナ禍で人と人との交流の場が極端に少なくなった今だからこそ身近な人達と集まる場を設けることが益々大切になります。
 ところで、改良区管内であらたな農地の基盤整備事業が始まりました。 一枚の田んぼが2ヘクタールという県内でも最先端の圃場整備です。最近その工事現場に大きな看板が立ちました。「この圃場整備工事は、週休2日で工事をおこなっています」  これまでは、「土方仕事を殺すのに刃物はいらぬ。雨の数日続けばいい」と いわれたこともあります。農業と同じように、土木仕事もお天気相手。常にお天気を見定め仕事をしていたものです。 それが、土木業界も週休二日を導入する時代になったのかと思うと、時代が大きく変わったことを感じます。 今年は2024年。 24年問題は、数年前から生産現場や流通問題で大変なことになると囁かれていました。いよいよ今年は、働き方改革が現実のものになります。これに対応できなければ、これから生き残れません。農業界もこの流れには無関心ではいられません。農業も日曜日が休み等と驚いていてはいられません。農業界も確実に休日を導入することになるでしょう。 大変な困難が予想されます。しかし、それでも従来の考え方では若者が集まりません。生産の在り方を見直すなどで対応を考えなければ生き残れない時代がやってきました。 確かに農業生産において、単なる効率化だけを追い求めることに大きな疑問があります。 少なくとも法人経営をめざす農業経営体は、世の中の動きを無視できなくなります。 今年は、農業の在り方や働くことの意義をあらためて問われる年になりそうです。