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6月に入り田植え作業もほぼ終わりました。今年は、春先から雨が少なく山間部では用水不足で田植作業が遅れたところもありました。心配しましたが、先月末に50ミリを超す雨が降りひと安心。 それにしても、田植え風景は大きくかわりました。
企業の農業参入は決して珍しいことではありません。近い将来に食料危機(枯渇)が予想されることもあり、多くの企業が食料生産にビジネスチャンスを求めることは極めて自然なことです。
先月、長年にわたり日本の農業技術開発・研究をリードし農業技術会議の重鎮である元農業・食品産業技術研究機構理事長を務めた三輪睿太郎先生から「未来ドキュメント・2050年の日本の食と農」というたいへん思慮深い論述をまとめた著書をいただきました。
その中で、「食料問題に関して2050年がクリティカルな年」と考えている。また農業ほかの食料ビジネスが忘れてはいけないことがあるとして、次の二点をあげています。 ①は、大衆が安全で良質な農産物・食品を十分な量を購入できること。(食料の安全保障そのもの) ②農産物・食品の多様な価値が付加され、消費者が正当な対価で手に入れることができること。(農業や食料ビジネスの成長に欠かせない事項)
ところで、私がコメ作りをはじめて52年が過ぎます。その間、大冷害や台風被害で収穫目前にして全滅したことがあります。それでも、春になると何事もなかったかのように種をまき、コメ作りを続けてきました。 「百姓の来年」という言葉があります。「来年こそは」「来年こそは」その想いの繰り返しであっと言う間に50年が過ぎました。
ところで一般企業は、厳しい市場経済の現実の中で、時代のニーズに沿った製品を開発し利益を追求しなければ来年を語ることはできません。
先月12日。地元の企業アイリスオーヤマがコメ生産に参入。と新聞各社が大きく取り上げました。貴社は、全国規模の大型ホームセンター等を傘下におさめ、生活用品を中心に電気製品の製造販売などあらゆる分野に進出し、いまや東北を代表する企業に成長しました。新卒者の就職ランキングでも東北の企業の中でトップクラスです。
15年前の東日本大震災の震災復興予算から補助金を獲得し大型精米工場を建設したことを契機に農業参入を伺っていたようです。 また、昨年のコメ騒動の際は、改良区管内の大規模生産者に対し積極的に米の買い付けをしたことや、近年はパックご飯を大々的に製造販売するなど常に話題を提供してきた企業です。
これまでの、コメの集荷、加工販売から、田んぼでコメの生産を手掛けることで、流通・販売まで一貫して日本人の食糧生産に乗りだしました。
管内の田んぼを預かる土地改良区の責任者として大いに関心があります。 記者会見があるというので、招待されませんでしたが特別に記者会見場に入り 社長の意気込みが如何なるものかを聞いてきました。
アイリスオーヤマの若き社長は、会見冒頭に多くの時間を割いて強調したのが、「地域の基幹産業であるコメ作りを通して地域の発展に貢献したい」この言葉を信じたい。コメを作り続けるということは、日本の原風景である田んぼを守るということ。
食料枯渇が予想される20年後も、記者会見後に田んぼに入りお田植した社長の姿が見られることを期待しています。「コメを作り続ける」その行為こそが最大の社会貢献!です。
今年は春先から暖かい日が多く苗の生育もよく、田植え作業も順調に進んでいます。例年と比べて風の強い日が数日ありましたが、管内の7割の田んぼで田植えは終わりました。
ここ数年感じることですが、田んぼに出てくる人が本当に少なくなりました。大型連休があったというのに、田植え作業をしている人はまばら。10年前の田植え風景とは様変わり。コメの生産構造が激変していることを、身近に感じます。今は亡き親父さんの時代、食糧増産の掛け声の下に村総出で田んぼに通った光景はまったくなくなりました。
戦後、農業近代化政策を掲げ、農学者先生の皆様が頭で考えた農政がことごとく失敗?というよりも、戦後農業(特にコメづくり)という職業からくる生産性の低さ(米は、所詮儲からないという宿命をかかえている)をどのように克服するか。生産性向上、その大きな障害となったのが、終戦直後に実施された農地改革による地主制度の解体による小規模農家(1ヘクタール前後)の創出。
そして戦中にできた食糧管理制度(食糧法)をつい最近まで残した弊害。この二つの政策が相まって総兼業農家体制による日本の米作りが実現された。
コメ作りに50年間ひたすら田んぼと向き合って暮らしてきた一人の百姓として思うこと。 総兼業農家体制によるコメ作り農政も決して悪くはない。むしろ自信をもって、日本の誇るべき農政(産業政策と地域社会政策を同時に実現)として展開すべきだと考えたこともあります。それが、現実には産業政策としてのコメ作りは表向き。
常に政策展開過程でJAを中心に地域社会政策だけが展開されてきました。そのJAといえば目先の利益追求に走り、株取引等金融商品等を組合員に売りつけ、その実績をJAトップまで自慢するバカげた事業展開のあり様。しかも、つい最近まで続いた超低米価(生産者手取り米価1俵60㌔一万円に届かず)。
昨年米価の半値以下というとんでもない低米価を組合員に提示。その超低米価を主導させられたのがJA。なんとも情けない組織になりすがったものです。 コメ作りを唯一の暮らしの拠り所としてきた我が家。10年前に法人経営に移行して10年が経ちます。 よくぞ潰れないで暮らしてきたものだと思うこの頃です。
昨年の予想外の高米価。大きな社会問題となりました。コメが高くなりすぎたと騒ぐものの、昨年の米価があって法人経営として中小企業並の社会福利厚生を社員に支払えるかな?という状態。それでは儲かる経営になったというとイマイチ。稲作農家の担い手になったものの、安定した利益が得られる経営が約束されたかというと これまで以上に経営手腕が問われる世界になったことは確かです。
はっきり言えることは、大学卒だろうが中高卒であろうが、安定した高い栽培技術の習得と資金力(有効に使える国からの補助金を含む)を如何に手に入れるか。これまでのように挙党を組んで国などに困窮を訴えることで国からオコボレをいただくような農家は生き残れない。そんな世界になります。自立した農業経営者が生まれることを望みます。
もう少し時間はかかりそうですが、農業は最も大切な産業として国民から羨望の目で見られる時代が必ず来ると信じます。
世界は今、イラン戦争をきっかけに、石油に由来するあらゆる物資が高騰し騒いでいます。しかし食べ物が枯渇したらこんな騒ぎでは済みません。 命の問題です。
先月30日に桜の開花宣言がでました。例年よりも早めの開花宣言です。 今年も種まきがはじまり本格的なコメ作りがスタートしました。 さてこの通信を書き始めたところ エハライという漢字が出てきません。グーグル検索したところ、偶然にも過去のホームページが出てきました。
日時・2010年4月11日付だだわらす子のひとりごと。一部転記 江払い作業 朝5時半集合。部落の共同作業の日だ。年2回の共同作業。春は主に用水路の土砂払いだ。江払い作業といっている。田んぼの基盤整備が進み、昔の土水路の時代と比べ格段に作業が楽になった。米を作るからこそ水が必要だ。
田んぼの水は数キロ離れた阿武隈川から取水している。土地改良区が管理している揚水機場で汲み上げられパイプラインで田んぼにやってくる。地域の要所にバルブがあり用水路を通じて各々の田んぼに水が引かれる。稲を育てるためには水が必要だ。これは当たり前のこと。個人の力ではどうにもならない。
土地改良区が揚水機場や用水路の維持管理などを担っている。日本の米作り支えている農業団体は土地改良区だと考えている。 阿武隈川から取水する揚水機場の建設・土地基盤整備事業や地域排水を担う排水機場を建設するには膨大な費用が必要だ。その予算獲得に時の政治と連携し予算獲得に奔走することは宿命的なことであった。
その過程があまりにも政治的であり、それが今回の政権交代劇の目玉政策である事業仕分けによって大ナタを振られる結果となったといえます。
それにしても、土地改改良関係・前年度予算額約6000億に対し6割減という前代未聞の大幅減額。これには政治の力がいかなるものかを思い知らされた。組織存亡の危機ともいえる状態だ。 一昨年から角田土地改良区の役員となった今、江払い時期になると田んぼの在り方、土地改良区の存在意義を考える時期でもある。(投降者・百姓 2010・4・11 23時16分)
2010年4月11日付だだわらす子のひとりごと。
あれから16年が過ぎました。懐かしくもあり当時が思い出されます。 4年前から角田市・丸森町にまたがる5,000㌶の農地の維持管理をする土地改良区の責任者をしています。16年前、政権交代劇の目玉政策・事業仕分けによって大ナタを振られた土地改良区の事務所で毎日働いています。
今年も4月12日 春の共同作業がありました。名称も市内一斉のクリーン作戦と変わり江払い作業という言葉はなくなりました。村の様子は激変しました。
イラン戦争の影響が日々の暮らしを直撃しています。昨日ガソリンスタンドから軽油の配達は、予約の半分にして欲しいと連絡がありました。政府は 1973年の第一次オイルショック、79年の第二次オイルショックを経験して、巨大地震など有事の際に備えとしてエネルギーと食料の二本柱で総合的に検討したといいます。
食料安全保障では「万一の場合、食糧不足の影響は大きいと」食糧備蓄の重要性が強調されたといいます。 45年が経ちます。生産現場では食糧備蓄のへの認識が深まったという実感はありません。また、高い潜在生産力を維持するといいます。今の日本の何処に潜在生産力があるのか。そもそも農業の若い担い手が激減した今、評論家的発想だけでは食糧は生産できない。
食糧備蓄の重要性が認識されても、軽視され続ける現実。最後は消費者・国民の皆様が決めることです。それまでは、あと50年はかかるという話もありますが・・・・・。
夕方6時。 辺りはまだ明るさが残ります。 年末ごろに比べ日が暮れるのが遅くなりました。 陽ざしも日ごとに明るさを増し、梅の花も咲きました。
今朝は、雪をたたえた蔵王の山々が雲ひとつない青空に映え気持ち良い景色が広がっています。 今年も春が来ました! 昨年末から続く極端な雨不足。 数日前に久しぶりに雨が降ったものの、期待したほどの雨量にはならず相変わらず雨不足を解消するまでにはなりません。
来月末には田んぼに用水が入り、本格的なコメ作りが始まります。用水時期を控え、管内5,000㌶田んぼに用水を供給する仕事を担っている土地改良区の責任者として、水不足にならないか心配する日々です。
土地改良区管内の用水は、主に阿武隈川から取水していますが、管内の中山間地の田んぼは,ため池を利用してコメ作りをしていますので渇水が続くと深刻な水不足になります。
まとまった雨が降ることを祈る日々でもあります。 どんなに足掻(アガ)いてもお天道様の下での農業です。生業としての農業を選んだからには何処かでお天道様と折り合いをつけなければ続けられません。
「想定外」という言葉があります。 コメ作りという仕事は、基本的に人がコントロールできないお天道様あいて。全ての農作業は、「想定外」の連続。 コメ作りの歴史は、「想定外」という言葉を如何に「想定外」という言葉をなくすための歴史そのもの。
その原動力は、全ては、生き残る(暮らし続ける)ため。生き残るため(暮らし続ける)に現実から目をそらすことなく、知恵を出し日々実践する。その積み重ねだったといえます。
おそらく人が生き続ける限り「想定外」という言葉はなくならないでしょう。ただ「想定外」という言葉を現実から逃避するための言い訳に使う生き方だけは、否定します。 日々の出来事は、おこるべきしておこったのであって、現実を素直に受け止めることで、明日が見えると信じています。
今月に入り、大震災関連の報道がおおくなりました。 今年が大震災から15年目の節目を迎えるということもあり、NHKをはじめとする報道機関が力を入れて番組等をつくってくれました。 消防団の一員として大津波による甚大な被災現場に出動した日々。地獄絵の様な被災現場の姿にただただ唖然とするだけでした。 あれから15年が過ぎた今でも当時のことを鮮明に思い出されます。そこで見た、想像を絶する自然界の猛威。 その後、東京電力福島原発爆発事故による放射能汚染による風評被害。そのことで人生を大きく狂わせられた多くの人達がいます。東北南部太平洋側に位置する福島県浜通りから宮城県南部太平洋沿岸は、気候が温暖で雪が少なく脱サラして有機農業を志す人には絶好の土地だったといえます。 安全で美味しい農産物を求めて有機無農薬の生産に自ら立ち上がった百姓仲間を知っています。それが、原発事故の放射能汚染で農業を諦めざるをえなかった友人。新天地で理想とする生き方を求めて誠実に畑を耕してきた40年間の姿。その心中を思うとき心が痛みます。それだけに何ともいえない人生の悲哀を痛感します。それでも、評論家的思考からは現場はなにも変わりません。いかなる時代になろうとも、したたかに生き残るために与えられた環境の中で精一杯生き続ける。
昨年末から今年に入ってからも、天気が続いています。 雨が全く降りません。
東北地方の日本海側は大雪の被害が話題になっていますが、東北南部太平洋側は全く雪が降りません。先日、関東地方にも積雪があったようですが、ここ角田では降りませんでした。田んぼや畑はカラカラに乾いています。しかも、最高気温が17度。春を思わせる陽気がつづいています。極端な天気が続いています。経験のないほどの暖かさで夏の天気が心配になります。
今年の夏も暑くなるのか。このまま、雨が降らない日が続くのか。
これまでの経験からすれば、たとえば年間総雨量は一年を通してみれば殆ど変わらないという思いがあります。カラカラ天気が続けば、必ず天気が崩れ田んぼに入れなくなる。春の農作業が困難になり苦労することになる。 人の力ではどうにもならないお天気様相手の仕事。それが、百姓しごと。やるべき仕事は、やれるときに早め早めに仕事をすすめる。これが農作業の鉄則。
そんな思いで過ごしてきた我が百姓人生。 農業経営の第一線から退いたいま、もどかしさを感じつつ我が家の経営を眺める日々です。
それにしても、昨今のお天気様。 あまりにも異常です。これまでの経験を基にした農業経営を継続するだけでは生き残ることが困難な時代になった事を痛感します。
経営の根幹である作物の選定。それに伴う品種や栽培技術の習得などやるべきことが沢山あります。
今年も今月はじめに、諏訪神社の「筒がゆ目録」を頂いてきました。「筒がゆ目録」による作占いは、当たった、ハズレタのという問題ではなく、自然相手の百姓仕事しごと。自然界の八百万の神々に常に謙虚に感謝し手を合わす。その心こそが命ある農作物を育みその糧を得て暮らしてきた人間として当たり前。
お天道様など自然界の神々に素直に感謝する気持ちをもつことは、決して新興宗教のようにお金がかかることではなく、自分の心ひとつでいつでも、どこでも出来ること。 一百姓が世間に対しモノ申すという思い上がりはありません。今年の作占い。稲作は早稲の品種が良く中生が普通、晩稲が悪いという結果です。お日様と雨は並。風が多いと出ています。それを、どのように理解するかは個々の問題です。
私にとって、農作物の作柄を予想するうえでスーパーコンピューターが導き出す日本気象協会が発表する長期予報よりもはるかに心の支えになっているだけです。
ところで、昨年から今年にかけて一年あまりで三回の国政選挙が行われました。 それぞれの結果の受け止め方は、個々人により様々でしょう。
常に思うことは、投票したのは法律で定められた選挙権を有する日本人。それぞれの暮らしの中での思い・考えで投票したという現実を先ずもって素直に認めること。
すべては、そこからはじまる。 結果の賛否はどうであれ評論家的立場で生きるのではなく、其の結果を通して、自らの立場で暮らし続けるためにどんな行動をとるか。
そのことによって自分の生き様を、自分で納得して決める。少なくとも他人の評価はどうであれ、自分の行動したことは、自分で責任を持つ。そんな心意気だけは常に持って暮らしたい。 何が正しいか分からない時代です。正解は、自分で導き出すしかない。
コメ作りをはじめて52年が過ぎました。14日は、どんと祭。小正月を迎え一年で最も寒い時期を迎えました。地球温暖化が叫ばれてから久しくなります。年々暖かな正月を過ごしてきましたが、こんなに暖かな正月は経験ありません
どんなに暖かな正月でも北向きの日陰にある水道は、凍るため使えませんでした。小正月を迎えた今朝、水道の蛇口あけると水が出ます。 これには驚きです。
さて農業経営は、全て息子達に任せましたが永年続けてきた神事は私の仕事。 もともと正月準備は、6年前に亡くなった親父さんの役目でした。親父さんが元気なころは12月中旬になると準備をはじめていました。手まめで器用な親父さんは、手間のかかる玄関飾りなども親戚の分まで作っていたものです。
現在は、私と妻が正月飾りを準備していますが、しめ縄の基本である稲わらで、縄を綯う(なわをナウと読みます。何本かのワラにヨリをかけて一本のヒモにすること)この縄を綯うことができなければ正月準備はできません。
縄は、50年まえまで農作業をするうえで最も大切な道具のひとつでした。縄を綯う材料となる稲ワラは、最も身近にあるものです。 当たり前にある稲わらですが、縄を綯うにために適した稲があります。稲の茎が長く、わら細工に適した柔らかな稲が必要です。
現在は、しめ縄を作るためのワラを求めるのが極めて困難な時代になりました。ひと昔前、稲刈り作業は多くの手間と労力がかかりました。現在は、大型コンバインなどで短時間に終わる時代です。
収穫作業と同時に稲わらを細かく裁断するためワラ細工に適した稲わらは、正月を見据えてひと手間を加えて準備しなければ手に入らない時代です。我が家で正月飾りに必要な稲わらは、両手で抱える位の少しの量ですみますが、正月のしめ縄づくりを意識していないと忘れてしまいます。
これまで、身近にあって当たり前であったことが、当たり前ではなくなりました。 ところで一本の縄さえも綯うことができない人が殆どの時代になりました。しかも、縄の綯い方を教えてくれる先輩方も極端にいなくなりました。
正直、私自身も親父さんが亡くなってから本格的に始めましたが未だに一本の縄さえ満足になえません。正直なところ妻の方が上手です。仕事がきれいで器用な妻は、親父さんの元気なころから正月飾りの手ほどきを受けていました。
今年も、玄関飾りは、生け花の心得のある妻おかげで現代風の立派な正月飾りをかざることができました。神棚などのしめ飾りは私が準備します。従来よりも簡略になりましたが、無事に正月を迎えることができました。
ところで、一昨年からコメの高騰が続いています。この先、一時的に米の価格は下がると思いますがその落としどころは、農林大臣が言う通り需要と供給に応じたところで決まります。
これまでのコメ農政で、中途半端な人為的な操作(無責任な政治の介入)が生産現場を混乱させてきた現実。基本的には、経済行為の中でコメの値段がきまることであり、最終的には消費者がおなかの問題として考えるべきことです。
コメ政策をすすめるうえで、産業としてのコメ作りを農政の柱に据え、誇りを持った経営者を育て、その経営理念として地域社会福祉貢献を取り入れた経営の実践を求める。その様な農政を夢見ている。
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